百醜千拙草

何とかやっています

流行

2020-06-11 | Weblog
数年にわたるスランプに加え、コロナの活動抑制で思うように仕事もはかどらず、時間だけが経っていくというのは、精神に悪いですね。この数年、何かと投げやりな気分になることが多くて参ってました。長年面白いと思ってそれなりに情熱を注いできた研究も、最近の業界の動きを見ていると、興奮を覚えることが少なくなりました。だんだんと自分が時代の流れの外にいることが実感されます。困るのはその今の時代で流行っているようなスタイルの研究がしっくりこないことです。大量データをコンピュータ上で解析して記述的な論文というのが多く、確かにデータを集めるのも人手と労力がかかっているのはわかるし、解析もいろいろな方法を駆使してやっているのもわかるので、「すごいね」とは思いますけど。自分ではやりたいとは思いません。やはり研究も客商売的なところがあり、唯我独尊で我が道を行くでは認めてもらえないし、流行はある程度積極的に取り入れていく必要があるのはよくわかるのですけど。、これは好みの問題だろうと思うのですけど、流行になっているものにあまり興味がわかないとちょっと困ります。

音楽のジャンルのようなもので、私が学生のころはフュージョンというジャンルが流行っていて、ロックやファンクのリズムにジャズっぽいメロディーをのせてたりするやつで、多分、マイルス デイビスなんかが電気楽器を使いだしたあたりから始まったのだと思いますけど、その系統でWeather Reportとか日本だと、ラテンとのフュージョンのナベサダとか松岡直也とか、ロック系だとカシオペアとか、流行っていました。私も当時はそういうのが好きでした。それから月日が流れ、私はジャズもロックもソウルも聞かなくなり、クラッシックと民謡系の方が好みになったわけですけど、一方で、若い世代で流行っていた音楽、ヒップホップとかラップとか、に全く興味がもてませんでした。レセプターがないのでしょう。趣味ならいいのですけど、時代の流れにシンクしていないというのは研究ではかなり問題です。

話がズレましたけど、要は、私はまだそれなりに研究に興味をもっており、自分がやろうとしていることは意義があることだと思っているわけではありますけど、一方で、それを評価する世間の流行は変化していっており、私と世間とのズレがこの数年のスランプで、実感されてきたということなのです。つまり、流行というのは、世間の大勢の人々が欲しているもののことで、今なら例えばコロナウイルスとCOVID19関連の研究です。そういう情報を世間が求めているので、科学的に必ずしも優れた研究でなくても、話題性で一流紙に載ります。流行がおこると大勢の研究者が我先とその分野に参入してきて驚くべきスピードで多くの研究成果を出します。そうして数年たつといろいろなことがわかってきて、答えるのに難しい部分のみが残されます。そうした問題は重要でないわけではないのですけど、あえてそれを追求しようとする人は少なく、そして流行が終わります。

問題は、時代とシンクしなくなりつつある私はどうすればよいのかということです。若い人々が新しいアイデアを持ってきて独自に発展させるのを補助するようなことができるのなら喜びですけど。あいにく、そんな優秀な若者は滅多にいないし、いたとしても、そういう人は私のような人間の助けを必要としません。ちょっと寂しいですね。
愚痴っぽくなってきたので続きはまたいずれ。


コメント
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