百醜千拙草

何とかやっています

落とした蒟蒻

2021-06-11 | Weblog
変わりない日々で、働いて、食べて、寝る生活です。今日は久しぶりに興味深いデータが出たので気分がいいです。だからといってこれに将来性があるかどうかは別問題ですけど、将来のことばかり考えていたら今日が生きていけません。

不安は尽きないものですけど、昼間はいろいろ目先の作業や関心ごとに注意が向いているので、自然とマインドフルネスになるのでいいのです。ですけど、明け方の4時半ぐらいに嫌な気分で目が覚めるのが困ります。うつや気分障害のときの早朝覚醒なのでしょうか。

これは未来への希望が年々縮小しているのと関係していると思います。明るい未来が描けないと心は過去に向かい、苦い思い出を反芻することが増えます。昼間の顕在意識では、心から「どうでもよい」と考えているようなことでも、無意識のレベルではまだこだわっていたりするものがあるようで、それが明け方に出てくるようです。後で思い返して、明け方の夢うつつ状態のときに、どうしてあんな馬鹿げた考え方をするのだろう、と不思議に思うのですけど、それに付随するネガティブな気持ちというのは気分の悪いものです。

そういえば、杉浦日奈子さんの漫画で、死ぬ前に井戸に落とした蒟蒻が気になって成仏できない幽霊の話がありました。最近の明け方の私の精神状態はこれに近いのではないかと思いました。その日の夕食に楽しみにしていた蒟蒻料理が食べれないことはその時の重大事かも知れませんけど、人生のスケールで考えたら本当に取るに足らないことです。でもきっと、そんな「くだらないこと」と考えているようなものでも無意識がこだわっているということもあるのでしょう。

いずれにしても、朝にすっきりと希望に満ちた気分で起きれないのは、この井戸に落とした蒟蒻のせいのようです。たかが蒟蒻だと思っているのが却って悪いのかも知れません。蒟蒻供養でもしてみようかなどと思っております。

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