百醜千拙草

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東洋と科学の成熟

2021-07-13 | Weblog
前にもちょっと述べましたが、東洋の文化と科学は馴染みが悪いという話。科学は西洋で生まれ、仮説を懐疑的に検討していくことで「真実」を明らかにしようとする世界を理解するためのアプローチといえるのではないかと思います。それがあっという間に世界に広まったのは、そのアプローチとそれによって得られる知識が役に立つからです。
「役に立つ」というのは東洋においては非常に重要な価値観です。特にプラグマティカルな中国や日本では、「役に立てば、理屈はどうでもいい」という考えもまだまだ健在です。例えば、東洋医学や漢方はどちらかといえば、役に立つことがまず先にあって、理屈は後付けであったりします。これは西洋の科学のアプローチと対照的です。

近代の東洋は社会もライフスタイルも学問も西洋のスタイルを真似することで発展してきました。それで、形は真似ても中身がそぐわないという場合はよくあります。科学にしてもそうで、その精神や考え方は西洋のキリスト教文化が深く影響しると思いますけど、その部分は東洋では軽んじられている、と私は思います。

中国からの科学論文は凄まじい勢いで増えているのですけど、そうした論文を査読した経験から、中国からの論文の多くは、まだまだ、質に問題があると私は思っています。研究者が論文を出すのは業績と地位や金が結びついているからですけど、研究には、ウソをつかないこと、再現性を確認すること、倫理や規制を守ること、などのルールがあり、そのルールを守るのは、科学の精神を尊ぶ研究者の良心に委ねられています。しかるに、こうした科学の精神や研究者の良心は、しばしば出版という実利的な目的と相反し、故に、研究不正は後を絶たないわけです。

実利を重んじる中国で、論文の発表が即、金や地位や名誉に直結しているような場所では怪しい論文が大量生産されるのは当然の帰結と思われます。さらに悪いことに、適当で怪しい論文を出版しても問題がなさそうだとなるとそうした質の悪い論文を出すことを躊躇わなくなり、この傾向が加速することになります。ちょうど日本の政府与党のみたいなものですか。

7・9号のNatureのフロントページでは、最近の中国のとある研究を批判しています。

オスのラットと妊娠したメスのラットを縫い合わせて、液性因子を共有させ、オスを妊娠状態にする、という実験です。その上で、メスの子宮と胎児をオスに移植し、オスの体内で胎児が発育できるかを調べるという研究です。二匹のマウスやラットを縫い合わせる実験というのは液性因子の影響を調べるために、以前から行われていますが、動物にとっては大変なストレスです。今回の実験は、加えてオスの妊娠状態のメスを縫い合わせるという実験ですから、その意義や倫理面に多くの批判が集まった模様です。また、記事では、二年前のヒトの胎児に遺伝子編集を行って、世界的にバッシングを受けた中国での事件が引用されていました。

遠藤周作の小説で「海と毒薬」という戦中のアメリカ人捕虜を使った人体実験の実話に想を得た小説があり、キリスト教世界である西洋とそうした絶対神信仰のない日本の倫理観の違いがモチーフになっていますが、思うに、これは東洋に共通する同様のメンタリティに由来するのではないでしょうか。日本も今の中国も、その行動基準に絶対的基準を持たず、赤信号はみんなで渡れば怖くない感覚の人々が大勢いると思いますけど、その東洋的やり方は、原理原則、厳密性を尊ぶ科学とは馴染みが悪いと思います。

西洋人からすれば、明らかに倫理性に問題のある実験を行うにあたって、おそらく生体解剖をした日本人も、今回のような実験を行った中国人研究者も、その実験の意味をそれほど深く考えていなかったのだろうと思います。科学的実験を行うにあたっての精神、ソフトの部分が欠如していると言えるかも知れません。

一部の良心ある中国人研究者は、中国の科学はすでに偏見にさらされているのに(その偏見には十分根拠があるわけですが)、こうした問題のある研究を発表するのは、さらに中国のイメージを悪化させると心配しているようです。
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