ちょうど、先月投稿したリバイス原稿が再びリバイスになって返ってきました。そこについてきた理不尽なレビューアの要求にウンザリしましたけど、結局、現在のピア レビューなど、このレベルのものなのです。レビューアが実験の実際を理解していない場合に、非常識で理不尽なコメントを書くのもよくあることで、とりあえず、エディターにメールしてさりげなく根回ししておくことにしました。
このピア レビューの話、つらつら考えていくと、結局、アカデミアも含めてどんな世界であっても、所詮、この世は、金と力と色に名誉と、人間の欲望のエネルギーで動いているのだなということを改めて思います。こういうのはジャンクフードのようなもので、若い時は渇望するものでも、もう私の年では、胃もたれと胸焼けで気分が悪くなるのがオチです。
さて、少なからぬ人が矛盾を感じている論文出版のシステムですけど、そろそろ変わってもよい時期だと思います。
研究論文の出版には、少なからぬ研究者ボランティアによる編集作業やレビューの時間がついやされております。論文の作成や投稿プロセスは簡便になり研究のグローバル化によって中国などから投稿原稿の数は飛躍的に増えたにもかかわらず、この部分は、昔と変わらず一部の研究者の良心と義務感に依存しており、出版プロセスのボトルネックとなっていると思います。しかも、こうした状況下でレビューアの数も質も低下してきていると思います。
これらの問題を解決するためにも、私は、論文掲載の採否をピア レビューによって決めるやり方はもうやめたら良いと思います。そもそも研究者の善意の奉仕活動に依存しないと成り立たないシステムで、そのサービスの供与者と受益者のインバランスが大きくなりすぎた現在では、ピア レビューや編集を積極的に引き受けようとする人も少なくなる一方でしょう。そしてこのプロセスを利用してビジネスをしている出版社やその他の関係者の思惑がシステムを歪めている上、ピア レビューは徐々に意味の乏しい儀礼的なものに過ぎなくなってきているばかりか、しばしば不必要で意味の乏しい実験をレビューアが自身の興味ゆえに強要するパワハラとでもいうべき悪習が研究者の時間と労力を削るという弊害もおこしています。ついでに言うと、研究費配分におけるピアレビューによるメリットベースの評価法も益よりも害の方がおおきいと私は思っております。これは何年も前にコンピューターシミュレーションで、ピアレビューによる研究費配分はランダムに配布するよりも悪いことが示唆される研究がありましたが、この話はまた長くなるので別の機会にします。
研究成果を雑誌を通じて発表し、その採否にピアレビューを通すというやり方には明らかな問題があり、投稿論文の絶対数の増加、データリッチで複数の分野にまたがるような論文が増えてきた現状で、このシステムは不完全であるばかりかムダが多すぎると思います。ふつう、論文はランクの高い雑誌に投稿して、リジェクトされたら、別の雑誌に投稿する、ということを繰り返して大多数のものが、どこかの雑誌に着地するわけですが、今のシステムでは投稿の度にレビューアの労力は消費され、時間は経過していくというわけで、できの悪い論文ほど、多くのレビューアの労力を消費することになります。どうせどこかの雑誌に拾われるのなら、これは時間と労力のムダです。総じて出来に悪い論文でも、重要な知見が含まれていることはしばしばありますから、どこにも発表されなかったら、その知見は存在しないとほぼ等しいです。
その替わりに、例えば、各研究者は研究成果はオンラインでレビューなしで発表すればいいです。すでにbioRxiv やmedRxivなどのpre-printサイトがありますから、そのプラットフォームを利用すればいいでしょう。あるいはNCBIのPMCやPubMedのデータベースにマージさせるというような形でもいいかもしれません。これらは従来の多額の掲載料と購読料を払う雑誌社を通じた研究成果の発表方法よりもスピーディーで、はるかに低いコストで運営可能ではないでしょうか。もちろん、preprintの弊害というものもありますし、これは前回紹介したNat Medの記事でも考察されていますが、研究者のレベルでいえば、preprintの有用さに疑念の余地はありません。
ここまではいいのですが、そもそもランクの高い(インパクトの大きい)雑誌になぜ、研究者が発表したがるのかということです。研究者がNatureブランドが好きだから、Natureはあのように高飛車なのでしょう。それは、論文の評価が研究者の評価、ひいては、研究費とポジションに結びついているからであるのは自明です。結局は金と力と、たまに色(研究室の上司が異性の部下にほにゃららラララということはよくあるようですから)ちゅーわけで、これらに無縁でかつ胃もたれ胸焼けの私は、余計にバカらしくなってしまうわけです。
ま、しかし、人間の欲望は研究のエネルギーのもとですから、これを止めるわけにはいきません。ランク付けが現行のシステムで必要なのもやむを得ません。しかし、研究者の評価にを掲載雑誌のランクを使うという悪習は簡単にやめられるはずです。影響力の大きい人、たとえばNIHにディレクターなどが、トップダウンで研究者評価に掲載雑誌のインパクトを考慮してはならないと、一言、言えば。
その辺の話はまた次回。