色々、たくさんのことがあった1週間でした。感傷的な気分がまだ残っています。
昔の中国では死ぬことを「借を返す」といったらしいという話を聞いた覚えがあります。90年近い歴史を刻んだ白い骨を見ながら、そんなことを思いました。
90年ほど前、ちょうど今の日本に流れていると同様の不穏な空気が社会に流れていました。日本は、アジアの覇権国を目指し大陸に侵攻した挙句に、思い上がって、勝ち目のない戦争へと誘われるままに突入し、結果は完膚なきまでの敗戦。そして大勢の国民が困窮し死にました。人が住む平野は焼夷弾によって焼け野原となり、広島や長崎では何万人という一般市民が、原爆によって一瞬にして大量に虐殺されました。そしてGHQによる統治を経て、独立国という体裁をもつアメリカの植民地という屈辱的立場を受け入れさせられました。一方で、日本人はがむしゃらに働いて復興、脅威の経済成長を遂げ、80年代にはそのアメリカに経済戦争で勝利さえしました。しかしその栄華も続かず、実質経済がピークに達した後は、バブル化、必然的にバブルは終焉し、不況へと突入し、そのタイミングで愚かにも消費税導入を行ったことをきっかけに、以後ただただ下り坂の日々が30年続いて今に至ります。
その日本の激しい浮き沈みの時代をくぐってきた人の一生の間に起こったであろう様々なことに思い巡らせると、その漠洋さに打ちのめされるような気持ちになります。一生のうちに、人は数え切れぬぐらいの様々な経験をし、様々なことを思い、夢を見、失望し、その間、心臓は何十億回と休むことなく鼓動をうち続け、血液は休むことなく巡り、骨は体を支えつづけました。そして、ある日、それらは止まり、命と体を返して地上を去り、元の処に戻って行きました。中身を失った肉体は「亡骸」となり、やがて白いカルシウムの塊となりました。
これまで数々の人の死に接してきましたが、それは多少の時間を共にすごした人との別れであって、私は常に地上に残される側でした。今回は、その死という別れが、そう遠くない未来に自分自身が地上を去る立場なってやってくるのだということが強く実感されたのでした。まもなく、私が借りているこの体は動くのを止め、木の箱に入れられて焼かれて灰になるということを全く違和感なく、自然と細部まで心に思い描かれたのでした。全ての生まれた人は死んでいき、それには一人の例外もありません。送る側にいる人間も最後には送られる側におかれる、その当たり前のことを、実感したのでした。