長年所属していた学会の秋の大会の演題審査を頼まれました。私はもうこの学会に行くつもりはないですけど、最近の研究の動向にも多少興味があったので、引き受けました。20題ほどの抄録を評価して点数をつけるのですが、そのうちで面白いと思ったのは4題ほど。あとは、すでにわかっていることを別の方法でやり直したとか、とりあえずシングルセル解析やってみた、みたいなYoutuber的なノリのやつとか、結論がパッとしないので厚化粧になったら重みで崩れてしまったのとか、そんな感じです。「成果」だけで評価すれば、つまり8割の研究は(現時点では)大きな意義は明らかでないものです。予想された通りで、いつも変わらぬ風景に安心半分、落胆半分。
この学会は五、六十年前の黎明期に数人の同好の志が集まって始めた研究会を中心に発展し、一時は5000人を超える学会参加者を数えたこともあります。その間、学会の規模は拡大し、そして縮小してきましたが、面白い演題とそうでない演題の比率は変わりません。ですので、面白い演題の絶対数は、学会の規模が大きくなると増え、規模が小さくなると減ります。
投資において、2割の投資対象が利益の8割を生み出しているという観察から導き出された80-20の法則は、投資以外のいろいろな状況にも適用可能なユニバーサルな法則のようで、研究業界でも例外なく当てはまるように思います。面白い研究は2割、それが全体の8割のインパクトをもっているようです。
つまりそのハイパフォーマンスな2割の集団は、成果だけで判断すれば、残りの8割の平均の16倍の効率を持っているという計算になります。これだけ見れば、使えるリソースをこの2割だけに集中投下すれば現在の4倍の効率で成果が得られるはずだ、と単純に推論する人もいるでしょう。もちろん、そうしたナイーブな考えに基づくやり方は、通常は長期的には失敗することは繰り返し示されており、ゆえに分散投資が勧められております。
研究という活動も一種の投資であります。うまくいくかどうかはやってみないとわからないし、リターンを予測することもできません。研究成果の価値の評価さえ直ちにできない類のものもあります。そして、そもそも研究の優れた成果とは、いろいろな分野に分散投資した結果として、2割の確率で出てくるという話にすぎません。その2割の成果が現れるためには、その他の多くの一見ぱっとしないような多彩な研究が必要であることもしばしばです。現在パッとしなくても将来に大化けする研究もでてきますし、地道な意味のよくわからないような研究データが大発見をもたらす鍵になることもあります。捨て石があるからこそ急所に石を打つことができ、地道な積み重ねがあるからこそ、それを踏み台として高いレベルに手が届くというものです。
この分散投資をした「結果」としての2割を、成果の単独の原因と考えて、残りの8割をあたかもムダであるかのように扱ってきたのが日本政府の大学、研究政策でしょう。残りの8割は山で言えば裾野であり、氷山で言えば海面下の部分です。そこを削れば山は崩壊し、表面に出ている氷山部分は小さくなります。その8割に割くリソースを削って、結果として成功した2割に注ぎ込んで起こると予想されることは自明でしょう。加えて、80-20の法則はその2割の集団にも作用し、そのハイパフォーマー集団の8割はmediocre集団になっていくと予想されます。
さて、日本の教育研究政策をこの観点からみていますと、違和感を感じざるをえません。東大出で計算が早く優秀なはずの文科省官僚が、なぜこのように、研究や学問の裾野を狭め、人材育成を妨害し、多大な国益の損失につながるような政策を取るのか、私はずっと不思議に思っていました。東大官僚がバカになったというわけではないでしょう。また、日本がどんどん貧乏になって没落していき、国民生活のレベルが下がり少子化が進んでいるときに、単純で有効な解決策があるのにも関わらず自民党政権は、それをやらずに、逆に悪くするような政策を次々に打ち出しては、この30年間、ますます状況を悪化させてきました。いくら自民党議員だといっても、小学生でも理解できる理屈が理解できないはずはありません。
こう考えると、利権でしか動かない自民党政権を見ていて、疑念から確信に変わったことは、この政権は単に無能なのではなく、不誠実で邪悪でさえあるということです。つまり、自民党政権はこの「国民いじめ」を意図してやっているということです。増税し、福祉を削り、国民から教育機会と財力を奪い、非正規労働を増やし、農村を潰して、都会に持たざる人間を集めて管理する「囲い込み」を行う大きな理由は、安い労働力でしょう。組織票を持つ資本家の手先となって一般国民を貧乏にし、安価な労働力に変えることによって自民党は自らの権力を維持しようとしている。加えて、組織票と引き換えに、日本国民を朝鮮民族の奴隷とすることを教義とする反日カルト宗教と手を結び、多くの日本人被害者を出してきました。つまり、この党は、日本に優れた人材を育てて住みやすい豊かな社会を実現することを望んでいないばかりか、日本をもっと貧しくして切羽詰まった人間を増やすことで、国全体を安い賃金でよく働く労働者のタコ部屋にしたいと望んでいるのです。そう解釈すると、すべてが腑に落ちます。これは多分、当たらずとも遠からずでしょう。自民党が、先進国では義務化を廃止した国民総背番号制のマイナンバーをわざわざ導入して、個人情報を一括管理しようとし、改憲を通じて、独裁政権の安定化と国民管理の強化を目論むのは、「国民いじめ」の結果として、将来起こりうる市民革命や一揆のような運動を予測しており、それを抑え込むためであろうと想像できます。
数々の物的証拠が示す通り、自民党議員が国民の代表だというのは建前としても正しくありません。彼らは利権団体の代弁者、宗主国の植民地管理者、韓国カルト宗教の手先であり、端的に言えば国民の敵であると認識されるべきであります。
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