百醜千拙草

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去り行く技術

2008-02-12 | Weblog
ポラロイドのインスタントカメラが発売されたときのコマーシャルはいまだに何となく覚えているのですが、衝撃的な未来の世界のように映りました。小学生の頃、子供むけの科学雑誌についていた付録作ったピンホールカメラが私の最初のカメラで、物置に暗室を作って、白黒の感光紙を現像したりして遊んだ記憶があります。その後、普通にフイルムを入れて撮影するカメラも持っていたこともありましたが、写真を撮ったり、撮られたりすることそのものに、興味を持ったことがなかったので、現在は写真器も持っていませんし、唯一自分で写真を撮るのは、研究データを記録するときだけです。私が研究を始めた頃、白黒のポラロイドカメラは必需品でした。分子生物学では、ゲルに流したDNAやRNAを紫外線で光らせて、そのパターンを解析するという実験は、一番最初に習う実験だと思います。そのゲルのデータを保存するために、昔はポラロイドカメラを使っていたのでした。当時の値段で一枚百円ほどしたような気がします。一日に何枚も流すゲルを記録するので、お金がないときは、フイルム代を節約して、ゲル泳動パターンをスケッチしたりしたこともありました。そのゲルの記録はすぐ、デジタルカメラに取って代わられ、デジタルカメラの値段が下がるに連れて、ゲル写真の単価も劇的に下がりました。今では、ゲルのイメージを直接コンピューターに取り入れて保存できるので、場合によっては、データを紙に焼き付けることさえしなくなりました。
 そのポラロイド社が、ポラロイドフィルムの製造を中止すると発表したことを先日、知りました。ポラロイドの技術の衝撃的な誕生、分子生物学実験への貢献、そして終焉、これらのことが数十年の単位でおこったということが信じられないほどです。新しい技術はより新しくよりversatileでよりグローバルな技術によってその地位を失うということなのでしょう。現在のコンピューター関連業界では、その新技術による旧技術の淘汰のサイクルはもっと速いのだろうと思います。しかし、妙なものでポラロイド写真のもつ独特な風合いを好む人もあるらしく、どこかのサイトでは、デジタルの画像をポラロイド写真風に加工するためのソフトを提供していました。
 技術の淘汰といえば音楽記録技術もそうです。私が高校生で音楽レコードをよく聞いていた頃は、レコードと言えば、ボール紙のケースに入ったLPレコードでした。学校で貸し借りするのに、わざわざおしゃれなレコード屋のケースに入れて大切に持ち運びしていました。貸しレコード屋のきれいなお姉さんは、レコードを返す時は、じいーとレコードの表面を明かりに当てて、傷をチェックしていました。傷が付くと針跳びして同じところが延々と繰り返しになってしまったりするのです。昔、まどかひろしという歌手が歌ってヒットした「とんで、とんで、とんで、、、」と長い繰り返しのある曲は、レコードが針跳びして思いついたのだという説がありましたが、「針跳び」などCDやiPODしか知らない世代には理解できないことかも知れません。CDができたとき、デジタルの音質を盛んに非難する人もいましたが、私は始めて買ったボビーマクファーリンのCDを聞いて、LPが生き残るすべはないと確信しました。音楽をオンラインでやりとりする現在、CDもそのうち無くなってしまうのかも知れません。デジタルカメラも使わないし、音楽も余り聴かなくなった今の私には、実はこれらの新しい技術の恩恵を余り感じません。むしろ若いころにお世話になった技術が消えていくことが寂しく感じます。今回のポラロイドフィルムの生産中止のニュースを聞いて、現在とつながっていた過去の自分の一部が切り離されて、物置にしまい込まれてしまったような感傷を感じてしまいました。
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