百醜千拙草

何とかやっています

研究と研究者の金銭価値

2008-07-22 | Weblog
経済の後退は、第三次産業にとりわけ大きな影響があります。医療業界も例外ではありません。先週号のNatureのSpecial Reportは、大手製薬会社での研究開発職を解雇されたベテラン研究者の例を取り上げています。Glaxo Smith Kline (GSK)は、製薬業界の大企業の例にもれず、合併、吸収によって、世界第二位の医薬品会社として現在あるわけですが、そこでは、研究開発に17,000人が従事しています。医薬品の開発は費用と時間がかかるものであるにもかかわらず、十年以上の研究開発、臨床試験を経て、莫大な費用をかけて市場に出した製品は、パテントがある限られた期間にできる限りの売り上げを上げて、投資額以上の利益を出さなければならないという厳しいものです。しかもそう簡単に新しい医薬品のシードが転がっているわけでもなく、長年の努力の末にプロジェクトが反故になることもしばしばです。一方、いったん市場に出た薬も、その後も、有効性や副作用について厳しく監視されます。毎年のように、副作用が発見され、裁判になったり、市場から撤回されたりという薬が出ますが、その度、裁判と補償の費用や売り上げの低下で、医薬品会社は相当なダメージを受けます。MerckのVioxxの訴訟は記憶に新しいです。Vioxxの場合、その副作用のメカニズムはおろか、因果関係でさえはっきり証明されたわけではないのに、クラスアクションで総額48億円という巨額の補償をするという結果に落ち着きました。会社がこうした損失を抱えると、経費を減らせて費用を浮かせようとするわけですが、もっとも打撃を受けるのが研究開発部門であろうと思います。十数年単位での研究開発の活動は、十年後に結果が見えてくるかもしれないという類いのものですから、とりあえず縮小しても経済的にはしばらくは困らないので、緊急時の整理の対象となりやすいのだと思います。多くの大手医薬品会社では、自前で研究開発を一からやるということが少なくなってきており、リスクの高い研究部分は、見込みのありそうなバイオテクベンチャーを買収するなり、ライセンスを買い取るなどして、リスクを減らそうとしています。日本、アメリカ、欧州でも、大手医薬品会社が持っていた、あるいは出資していた研究所がどんどん閉鎖されていっています。今回、GSKで勤続20年のベテラン研究部副部長が解雇されたのも、別段、彼の非によるものではなく、会社全体としての生き残り対策の中でおこったリストラであったようです。昨年、New England Medical Journalに発表された臨床論文のため、GSKのヒット糖尿病治療薬、rosiglitazone (Avandia)が心臓発作のリスクを上げる可能性があると報告され、GSKはその影響と対応への費用で、合計20億円の損害があったそうです。一昔前の日本では終身雇用制で、大企業に就職できれば安定していたわけですが、現在のように世界的経済の中で弄ばれるようになってくると、「安定」などというものは、どこにも無くなってしまったように思えます。GSKの研究環境についても、成果主義が強くなり、プロジェクトのターンオーバーが短くなったため、研究部門は、大企業の官僚主義的システムの中でベンチャーなみのリスクを負わなければならなくなっていると述べられています。
 今更、こんなことを言っても仕方ないのですが、「儲けてナンボ」の企業ですから、何十年の経験と知識を積んだ研究者であろうと、いくら画期的な研究であろうと、それらをサポートする場合のコストと見込み利益の比だけで、研究の価値は、最終的には金銭的に決められてしまうのでしょう。悲しい話ですが、会社が生き残るためには、利益を出す必要があり、生き残りは最優先ですからやむを得ない所もあります。ブリジストンがファイアーストンの経営再建に乗り出した時、偶数番の管理職を首にしたという話を聞いたことがあります。副社長、副部長、副係長、、、、その人の実力も経歴も関係無し、偶数番を間引きしただけの人事、私ならそんな人間を畑の野菜とでも思っているような経営陣のいる会社では働きたくありません。いくら頑張っても、今度はいつ奇数番が間引かれるかも知れませんから。製薬業界に留まらず、グローバリゼーションというものは、価値の交換を促進するわけですが、人やものの価値を最も測りやすい共通の単位である金銭におきかえることで価値交換を容易にしています。しかし、結果として、あたかも金銭が唯一の価値基準であるかのような錯覚、金銭至上主義を促進し、人間は、人という生物的存在ではなく金に換算されてはじめて評価の対象となるというような価値観を社会に植付けていっているようです。二十年のベテラン研究者も、会社の経営上の都合で整理されてしまうと、会社に役に立たない人、経済的価値の低い人、更に人間として価値が低いと単純に思われてしまう傾向さえあります。高収入のエグゼクティブの人がその収入の継続を当てに多額の借金をしてハイクラスの生活をしていたが、リストラで会社をクビになり、一気に自己破産まで突き進んでしまうというのはよく聞く話です。会社としては高給取りをクビにする方が効率的に節約できる一方、クビになった高給取りほど再就職に苦労するという現実があって、より一層問題を困難なものにしています。私の身の回りでは、医者をやめて大手製薬会社の研究開発部門に就職した友人は、とりあえずここ五年程は順調で良い生活を享受しているようでした。また大学での研究を辞めてバイオテクでミドルクラスの職を得た人は、いつクビになるかも知れないが、クビになってもすぐ別の職が見つかるから余り心配はしていないと言います。しかし、研究のように、どちらかというと労働と金銭との交換は二次的な目的となる趣味的な活動では、クビになることは金銭以外の問題も大きいのではないかと私は思います。優雅な暮らしをしている製薬会社勤務の元医者の友人をうらやましく思っていましたが、今回のNatureの記事で、製薬業界の厳しさとそこで働く事のリスクをあらためて考えさせられたのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする