百醜千拙草

何とかやっています

PLoSの理想と現実

2008-07-15 | 研究
GeneChipを代表とするマイクロアレイを使った包括的遺伝子発現解析、やゲノム解析は、現在の分子生物学、分子遺伝学を始めとする種々の研究分野で、ルーティンといって良いぐらいの研究技術となりましたが、その歴史はたかだか十年ちょっとです。今では、短い合成オリゴDNAプローブを使うAffymetrix GeneChipが、少なくとも遺伝子発現アレイにおいては市場を圧倒していますが、つい数年前まで、遺伝子発現アレイはおおまかにオリゴ式とcDNA式が共存していました。マイクロアレイ技術の最初の出版は、多分、1995年のScienceで、96のプローブで二色の蛍光ラベルしたサンプルを同時定量をしたというStanford大のPat Brownのグループの論文ではないかと思います。この論文ではPat BrownらはオリゴではなくcDNAを使用しています。その後、Affymetrixの圧倒的な技術力の進歩により、cDNAアレイはあっという間に淘汰されてしまいました。当初の96プローブと、現在のChip一枚に約4万種の遺伝子配列、各種について22のプローブが乗っているAffyのゲノムアレイを比べると、その技術の進歩に恐れ入るばかりです。
ところで、そのマイクロアレイの元祖ともいえるPat Brownを設立メンバーの一人として始まったハイインパクト生物学雑誌がPLoS (Public Library of Science)です。2002年の発刊当時、無料アクセスを謳うコンセプトが賛否両論、喧々諤々たる議論を巻き起こしました。従来の出版のビジネスモデルは購読者から料金をとり出版活動の運営にあてるわけですが、PLoSでは著者から掲載料を取ることで運営していくという方針です。多くの研究は国民の税金でまかなわれているのだから、その成果に国民は無料でアクセスできるべきだという主張が根拠としてあるのです。私は、その筋の研究者でなければ無料で論文にアクセスできたところで論文は無用の長物であろうと思いますし、研究者であればその所属機関を通じて商業誌にアクセスできるので、論文を無料公開することが実質的に社会や国民にプラスになるかどうかという点においては否定的に思っています。しかし、「税金で行った研究成果には無料でアクセスできるべきだ」という筋を通す、つまりpolitically correctであること、を優先すれば論文へは当然無料アクセスできなければならないということになるでしょう。現にアメリカでは、税金で行った研究の論文は、発表後1年以内に公的な論文のリポジトリであるPubMed Centralに論文を提出することが、今年の4月から義務づけられました。その画期的なオープンアクセスモデルを提唱したPLoSでは、掲載論文には数千ドルの掲載料を取り、採択率1割程度で高品質の論文を載せることを目標とするというコンセプトでスタートしました。その程度の収入でも、雑誌のフロントページの省略などで経費を抑えチャリティーで資金を調達することで、トントンでやっていけるという見通しでした。これには楽観的過ぎるという批判が当初からあって、実際、最初の2年の公的な補助があった期間は金銭的にポジティブバランスでしたが、それが切れてから一気にマイナスに転じ、その将来が危ぶまれました。2年程前からその経済状況が多少よくなってきているようで、その様子が7/3号のNature誌にレポートされています。PLoSはハイインパクトの論文のみを出版するというコンセプトがまず最初にあった雑誌で、事実PLoS BiologyはCellの姉妹紙なみのインパクトファクターがあります。しかしPLoSがここ数年、出版雑誌種を拡げて姉妹紙を作ってきたのには、どうやらPLoS Biology一本ではやっていけないという台所事情があったようです。当然ながら掲載者から料金をとるというシステムのPLoSの経済状況を良くするのには掲載論文数の増加が必要なのですが、そうそうハイインパクトな論文が沢山集まるわけがありません。近年のPLoSへの論文数の増加とそれに伴う経済的な改善は、どうもPLoS Oneという新しい姉妹雑誌への掲載論文の増加によるもののようです。この雑誌は、論文の意義とかインパクトは余り考慮されず、科学的研究手法と結果の解釈に誤りがないことが一人のレビューアに確認されれば、アクセプトされるという雑誌です。つまりレビュープロセスが大変甘い雑誌なのです。このNatureのレポートでは、JCIのディレクターのJohn Hawleyは、PLoS Oneは論文掲載数が多過ぎることと論文の質を判断しにくいことから、この雑誌は結局、「ゴミ捨て場」となってしまうであろうと述べています。ハイインパクト論文を売りにしていたPLoSは生き残るために、結果として低品質論文を出版することになる雑誌をその姉妹紙として発刊していく必要にかられたという皮肉でしょうか。ちなみに、同レポートではイギリスのオープンアクセス出版社BioMed Central (BMC)にも言及してあって、BMCが出版する数々のオンライン二流雑誌によってBMCは約20億円の歳入があり、十分ビジネスとして利益を出しているとあります。オープンアクセスとなれば、お客さんは読者ではなく、著者になるわけで、ビジネスとしてはお客さんである著者がより喜ぶサービスを提供することが成功の条件であるのは当然です。著者側には、低品質でもとにかく論文を出版したいという需要が多くあるわけで、高い理想を掲げて出発したPLoSもその顧客ニーズに迎合することなしにはやっていけないという現実に当たり、その妥協がPLoS Oneであったということなのかも知れません。もちろんPLoS側は、PLoS Oneの存在意義を「お金を集めるためにやむなく作ったゴミ捨て場」であるとは言いません。むしろ、レビュープロセスを簡略化し、早く論文を一般読者に提供して、積極的に読者からのフィードバックを得ていくことで、論文の評価を決定していくという画期的な雑誌であると謳っています。しかし、もちろん読者はそれほどヒマではないですから、そのような読者参加型のコンセプトはうまく機能してはいないようです。現時点では、PLoSの名前がついているからという理由でPLoS Oneに投稿する著者も多いでしょうが、長期的にゴミ捨て場であるという認識が広がれば、同じゴミを捨てるなら無料の商業誌に投稿しようという著者が増えるであろうと思われますし、そうなるとPLoSの経営は再び苦しくなってしまうでしょう。
さて、前途多難なPLoSの将来はどうなるのでしょうか。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする