国立大運営費、学部ごと評価し交付金に差。文部科学省は国立大学の運営費交付金について2010年度から、教育や研究の実績を学部ごとに評価して交付金の配分額に差を付ける方針。交付金を一律に年1%削減する現行制度を見直し、大学ごとに削減率を変えることも検討する。配分にメリハリを付けるとともに、成果主義を採り入れて大学間の競争を促す。
というニュースを聞きました。国に金がないのはわかります。しかし運営費というのは、とりわけ競争力の弱い所の命綱なわけですから、そこにまで成果主義を入れて配分に差をつけるということは、実質、弱小大学、学部を潰していこうという政策ということですね。それにしても、日本政府はどうしてこうも頭がないのでしょうか?格差社会がなぜ生まれたか、その格差社会がどれほど有害であるか多少でも理解しているのでしょうか。大学での教育研究の性質を理解しているのでしょうか。そもそもどういう理由で大学間の研究業績に差が生まれてきているのか知っているのでしょうか。私は先のことが見える方ですが、政府がこのような大学での成果主義や競争がプラスに働くとでも考えているのなら大間違いだと思います。とりわけこの十年ほど、日本政府が大学、研究に関してとってきた政策は日本の高度教育研究を促進するという意味で、全く逆効果です。それはとりもなおさず、儲けたものが偉い、偉いところに金を回すという、資本主義でのビジネスと大学の教育研究との本質的な差がまったく理解できていないということなのであろうと思います。研究や教育を国がサポートするのは数十年後を見据えた投資なのであって、短期の利益を目的としているのではないと思います。研究成果などというものはいったんヒットすれば短期の利益を目的とするスポンサーは自然とついてくるので、そこを政府の金で必要以上にサポートする必要はないのです。ヒットする前の研究にこそ金を回して、シードを育てていかねばならないのに、そこを削った上で、逆に政府からの多少の資金援助はもはや必要ないというレベルの研究室に金を回すのは、研究格差をますます大きくし、研究の多様性をつぶして、新しい大発見の芽を摘む愚行であろうと思います。最近のiPSなど大型研究プロジェクトに資金を集中投下するやりかたは、間違いなく十年後には、日本の研究の国際競争力を落とすでしょう。たとえばiPSがなぜあれほど脚光を浴びているのか、そのコンテクストを考えてみれば、そこに国が金を集中投下することの愚かさは明らかではないでしょうか?iPSはステムセル研究という国際的に非常にホットで競争の激しいところでのブレークスルーであったからあれだけ注目を浴びたのです。ビジネスで言えばすでに成熟した競争の激しい市場に新技術をもって大きく食い込んだということで、これは別段その市場のシェアを大きくとったというのではないのです。市場のシェアは他国の公私のもっと大きな研究室がすでにがっちり取っており、iPSがいくらすばらしい発見であるといっても、ここでいくら日本が資金を投入しても市場をコントロールできるようにはならないのです。結局、いくら日本が金をつぎ込んだところで、先発の大きな研究室にiPSは取り込まれるような形となって収束し、日本が主導権をとることはないでしょう。投資するのなら成熟市場ではなく、まだ市場さえ形成されていないような、まだ皆が将来の可能性に気がついていないような研究に広く投資しなければなりません。そのためには業績にかかわらず、長年ユニークな研究を継続している地味な研究室や、やる気のある若手研究者に広く浅く資金を回すべきです。研究に成果主義を積極的に取り入れることは、偏った選択圧による淘汰を促進し、研究の多様性を潰し、研究不正の増加を来たし、独創的で重要な研究の芽を潰し、十年後の日本の国力を減弱させることに繋がります。研究においては、トップダウン型の研究比率をできるだけ小さくし、研究者主導型の小さなグラントに金を回すこと、研究テーマがホットでない地味な研究で、それ故に競争資金を得るのが困難な研究には、それが枯渇しない程度のサポートをする、そうしていかないと、急な研究の潮流の変化に対応できません。研究は投資であったとしても、数十年単位の長期投資であって、短期の利益を期待する方が間違っています。大株主が短期利益を求めて会社の経営に口出しして会社をめちゃくちゃにしてしまうように、投資効果を短期の金銭的価値でしか評価できないような科学研究政策は日本の大学というシステムそのものを台無しにしてしまうでしょう。
追記。そう考えていたら、事情はイギリスでも同様のようで、6/26号のNature (Special report: Payback time)によると、1998年から増大した科学研究費は主に商業的利益が見込まれそうな研究につぎ込まれ、純粋な学問のための研究はおざなりになっているそうです。「Blue-skies investigator-driven research is getting squeezed out」
というニュースを聞きました。国に金がないのはわかります。しかし運営費というのは、とりわけ競争力の弱い所の命綱なわけですから、そこにまで成果主義を入れて配分に差をつけるということは、実質、弱小大学、学部を潰していこうという政策ということですね。それにしても、日本政府はどうしてこうも頭がないのでしょうか?格差社会がなぜ生まれたか、その格差社会がどれほど有害であるか多少でも理解しているのでしょうか。大学での教育研究の性質を理解しているのでしょうか。そもそもどういう理由で大学間の研究業績に差が生まれてきているのか知っているのでしょうか。私は先のことが見える方ですが、政府がこのような大学での成果主義や競争がプラスに働くとでも考えているのなら大間違いだと思います。とりわけこの十年ほど、日本政府が大学、研究に関してとってきた政策は日本の高度教育研究を促進するという意味で、全く逆効果です。それはとりもなおさず、儲けたものが偉い、偉いところに金を回すという、資本主義でのビジネスと大学の教育研究との本質的な差がまったく理解できていないということなのであろうと思います。研究や教育を国がサポートするのは数十年後を見据えた投資なのであって、短期の利益を目的としているのではないと思います。研究成果などというものはいったんヒットすれば短期の利益を目的とするスポンサーは自然とついてくるので、そこを政府の金で必要以上にサポートする必要はないのです。ヒットする前の研究にこそ金を回して、シードを育てていかねばならないのに、そこを削った上で、逆に政府からの多少の資金援助はもはや必要ないというレベルの研究室に金を回すのは、研究格差をますます大きくし、研究の多様性をつぶして、新しい大発見の芽を摘む愚行であろうと思います。最近のiPSなど大型研究プロジェクトに資金を集中投下するやりかたは、間違いなく十年後には、日本の研究の国際競争力を落とすでしょう。たとえばiPSがなぜあれほど脚光を浴びているのか、そのコンテクストを考えてみれば、そこに国が金を集中投下することの愚かさは明らかではないでしょうか?iPSはステムセル研究という国際的に非常にホットで競争の激しいところでのブレークスルーであったからあれだけ注目を浴びたのです。ビジネスで言えばすでに成熟した競争の激しい市場に新技術をもって大きく食い込んだということで、これは別段その市場のシェアを大きくとったというのではないのです。市場のシェアは他国の公私のもっと大きな研究室がすでにがっちり取っており、iPSがいくらすばらしい発見であるといっても、ここでいくら日本が資金を投入しても市場をコントロールできるようにはならないのです。結局、いくら日本が金をつぎ込んだところで、先発の大きな研究室にiPSは取り込まれるような形となって収束し、日本が主導権をとることはないでしょう。投資するのなら成熟市場ではなく、まだ市場さえ形成されていないような、まだ皆が将来の可能性に気がついていないような研究に広く投資しなければなりません。そのためには業績にかかわらず、長年ユニークな研究を継続している地味な研究室や、やる気のある若手研究者に広く浅く資金を回すべきです。研究に成果主義を積極的に取り入れることは、偏った選択圧による淘汰を促進し、研究の多様性を潰し、研究不正の増加を来たし、独創的で重要な研究の芽を潰し、十年後の日本の国力を減弱させることに繋がります。研究においては、トップダウン型の研究比率をできるだけ小さくし、研究者主導型の小さなグラントに金を回すこと、研究テーマがホットでない地味な研究で、それ故に競争資金を得るのが困難な研究には、それが枯渇しない程度のサポートをする、そうしていかないと、急な研究の潮流の変化に対応できません。研究は投資であったとしても、数十年単位の長期投資であって、短期の利益を期待する方が間違っています。大株主が短期利益を求めて会社の経営に口出しして会社をめちゃくちゃにしてしまうように、投資効果を短期の金銭的価値でしか評価できないような科学研究政策は日本の大学というシステムそのものを台無しにしてしまうでしょう。
追記。そう考えていたら、事情はイギリスでも同様のようで、6/26号のNature (Special report: Payback time)によると、1998年から増大した科学研究費は主に商業的利益が見込まれそうな研究につぎ込まれ、純粋な学問のための研究はおざなりになっているそうです。「Blue-skies investigator-driven research is getting squeezed out」