最近、いわゆる成功本を読んでいて、「幸運の女神には前髪だけがあって、後頭部は禿げている」という表現を目にしました。どこかで聞いたことがあるなと思っていて思い出したのが、Gladys Knight and Pipsの曲、Butterflyでした。もう手元にCDはないのですが、インターネットで調べてみたら、1978年の「The One and Only」というアルバムに入っていました。私がGladys Knight and Pipsを好きになったのは、たまたまラジオで聞いた「夜汽車よ、ジョージアへ」からでした。ジョージア州アトランタ出身のソウルグループで当初デトロイトのモータウンで活動していて、マービンゲイのカバーでもヒットした「悲しい噂」や数々のソウルナンバー、美しいバラードナンバーのヒットで人気を博しましたが、モータウンのマネージメントに不満がつのり、70年代にBuddah Recordsに移籍します。そのころからソウル、R&Bからポップスよりの編曲となっていきます。「夜汽車よ、ジョージアへ」はBuddah Records移籍後のポップス路線での大ヒットとなり、1973年のグラミー賞を受賞しPipsの新しいサウンドを代表する曲となりました。ですから、私がこの曲を初めて聞いた時は既にヒットから10年以上は経っていて、私は実はリアルタイムでの彼らの活躍を知りません。私はこのポップス路線のちょっと力の抜けたGladys Knight and Pipsが好きで、Buddah Records時代のCDを数枚買った覚えがあります。そのうちの一枚が「The One and Only」で、私が地元を離れた信州の田舎で一人ぐらししていたころの愛聴版でした。Butterflyの曲の終わりの部分でアドリブみたいにして歌っている中に、「Opportunity is like a bald-headed man」という歌詞があって、うまい表現をするなあと感心した覚えがあります。私はこの言葉はてっきりPipsのオリジナルだと思っていて、深く考えませんでした。「幸運の女神の後頭部は禿げている」という表現を聞いて、それで初めて、「Opportunity is like a bald-headed man」にも語源があるのではないかと思いついたのでした。調べてみたら、ありました。この言葉は、20世紀初頭の黒人政治家、Booker T. Washingtonがスピーチの中で使った言葉のようで、
Opportunity is like a bald-headed man with only a patch of hair right in front. You have to grab that hair, grasp the opportunity while it's confronting you, else you'll be grasping a slick bald head.
と続きがあります。幸運の前髪をつかみ損ねたら、ツルツル滑る頭をつかまねばならなくなる、ということで、誰かが日本語に訳する時にハゲ男を幸運の女神に言い換えたのだろうとその時は思いました。しかし、更に調べてみるとこのWashingtonの言葉にも原典があったようで、もとはギリシャ神話で後頭部の禿げた俊足の神、カイロスのことだったようです。カイロスは足にも羽が生えている少年神でOpportunityという意味だそうです。カイロスを描いた絵を見てみると、確かにかわった髪型です。耳のあたりから前は豊かな髪の毛があるのがわかりますが、頭頂、側頭、後頭部はツルツルで、禿げているというよりは、むしろ意図的に剃ったという感じです。この「とき」の神様は、いわゆる幸運の女神、テュケー(Chanceという意味らしいです)とは別で、テュケーは勿論、禿げ頭ではありません。幸運の女神の後頭部が禿げているというのは実はダビンチが語った言葉だそうです(レオナルドダビンチの手記)。そうすると、ダビンチ版の「幸運の女神の後頭部は禿げ」という言葉はBooker Washington版の「幸運は一つかみの前髪しかないハゲ男」という言葉よりも先に成立しているわけです。想像するに、Washingtonがダビンチの言葉を伝え聞いて演説に使ったものと思われます。そこで彼は次のように考えたのではないでしょうか。禿げているのはそもそも、女神ではなく男性神のカイロスであるし、また女神が禿げで、こちらを向いている間に前髪を掴めという話は、政治家として国民に向かって語るという状況下で、いまいち説得性に欠けると。あるいは彼がダビンチとは無関係に独自に発明した表現なのかも知れません。いずれにせよ、神様の前髪やハゲ頭を掴むという行動に私は抵抗を覚えるので、幸運の女神が微笑んだ時は、せいぜい微笑み返すだけでしょう。ひょっとしたら、後頭部の禿げた少年がこっちを向いていたことも過去にあったのかも知れませんが、気持ち悪いと思って見ないでやり過ごしてしまったことが何度もあったのかも知れません。そう言えば、「多くの人が幸運を逃すのはチャンスが作業服を着ていて、いかにも骨の折れるような仕事に見えるからだ」というエジソンの言葉もありました。
Opportunity is like a bald-headed man with only a patch of hair right in front. You have to grab that hair, grasp the opportunity while it's confronting you, else you'll be grasping a slick bald head.
と続きがあります。幸運の前髪をつかみ損ねたら、ツルツル滑る頭をつかまねばならなくなる、ということで、誰かが日本語に訳する時にハゲ男を幸運の女神に言い換えたのだろうとその時は思いました。しかし、更に調べてみるとこのWashingtonの言葉にも原典があったようで、もとはギリシャ神話で後頭部の禿げた俊足の神、カイロスのことだったようです。カイロスは足にも羽が生えている少年神でOpportunityという意味だそうです。カイロスを描いた絵を見てみると、確かにかわった髪型です。耳のあたりから前は豊かな髪の毛があるのがわかりますが、頭頂、側頭、後頭部はツルツルで、禿げているというよりは、むしろ意図的に剃ったという感じです。この「とき」の神様は、いわゆる幸運の女神、テュケー(Chanceという意味らしいです)とは別で、テュケーは勿論、禿げ頭ではありません。幸運の女神の後頭部が禿げているというのは実はダビンチが語った言葉だそうです(レオナルドダビンチの手記)。そうすると、ダビンチ版の「幸運の女神の後頭部は禿げ」という言葉はBooker Washington版の「幸運は一つかみの前髪しかないハゲ男」という言葉よりも先に成立しているわけです。想像するに、Washingtonがダビンチの言葉を伝え聞いて演説に使ったものと思われます。そこで彼は次のように考えたのではないでしょうか。禿げているのはそもそも、女神ではなく男性神のカイロスであるし、また女神が禿げで、こちらを向いている間に前髪を掴めという話は、政治家として国民に向かって語るという状況下で、いまいち説得性に欠けると。あるいは彼がダビンチとは無関係に独自に発明した表現なのかも知れません。いずれにせよ、神様の前髪やハゲ頭を掴むという行動に私は抵抗を覚えるので、幸運の女神が微笑んだ時は、せいぜい微笑み返すだけでしょう。ひょっとしたら、後頭部の禿げた少年がこっちを向いていたことも過去にあったのかも知れませんが、気持ち悪いと思って見ないでやり過ごしてしまったことが何度もあったのかも知れません。そう言えば、「多くの人が幸運を逃すのはチャンスが作業服を着ていて、いかにも骨の折れるような仕事に見えるからだ」というエジソンの言葉もありました。