百醜千拙草

何とかやっています

ネズミ講破綻

2010-12-10 | Weblog
気晴らしに書いているブログでも公開しているものですので、ちょっとこの話を書くのはどうかとも思ったのですが、研究キャリアでの成功を志して頑張っておられる若手の方の参考になればと思って書いておくことにしました。

先日、思いがけない突然の来客がありました。ずいぶん前に共同研究で出入りしていた別の研究室でポスドクをやっていた人で、その時にちょっと立ち話をしたのでしたが、それっきりの縁でした。私はすっかり顔を忘れていて、名前を聞いて(ちょっと珍しい名前なので)はじめて思い出しました。現在は私のやっていることと少しだけ関係のあるような研究をやっているということだったのですが、核心の話は、研究者として非常に苦しい危機的状況に陥っていて困っているということでした。どうも最初の研究室は資金の都合で出て行かなくざるをえなくなって、その時にいろいろ教官職に応募したものの、その時点ではその研究室からの論文が出る前で、ポジションを得る事ができず、結局、別の研究室に再びポスドクとして移ったということでした。研究分野も変えて殆どゼロから実験を立ち上げたのに、企業からの資金に依存していたその新しい研究室でも企業の撤退に伴って資金が切れ、もうサポートできないということで、あと2ヶ月で出なければならないという状況なのだそうです。一方、 何とか形になりそうなところまで育てたプロジェクトはボスに取り上げられ、論文も出ないまま、研究室を去る事になりそうだという話。この方は、ちょっと後戻りは難しいというような年齢でこの厳しい状況に置かれているわけで、私は心から同情しました。不景気な今の社会には研究者に限らず、リストラや倒産で社長や部長だった人が就職相談口に並んだりしているわけですから、研究者も例外ではもちろんありません。特に研究という金にならない活動ですから、経済が悪くなれば切り捨てられやすい分野でもあると思います。それにしても大学、大学院、ポスドクと長年、積み重ねた研鑽が酬われないというのは本人にとっては、悔しく、辛いことでしょう。 実際、 この方、論文としては、筆頭ではないもののN紙、S紙に複数、それに準ずるクラスにも数報あって、筆頭ではC紙の姉妹紙や分子生物ではよく名の通った雑誌などにも出ていますから、まずまず立派なもので、10年前だったら、とっくに日本のどこかの教授になっていてもおかしくない業績です。おそらく今のボスのCVよりも見栄えがするのではないでしょうか。
 しかし、なんらかの問題があるとき、具体的な原因があるのも事実です。博士や大臣になれば、並以上の生活が送れたというのは昔の話になって久しい時代の変化もありましたし、そして、この方自身にも原因の一端があるようでした。

もうポスドクをやるのはイヤだ、教官職または企業の研究職に着きたいとおっしゃるその気持ちは良く分かります。私も5、6年前は散々就職活動やグラントで痛い目にあいましたし、つい数年前にはボンヤリしていてグラント危機になって研究者廃業の瀬戸際まで行きました。今だに綱渡りの日々で、一歩、踏み外せば研究者廃業となる状況は変っていませんから、全然、エラそうなことを言う立場にはありません。しかし、痛い経験をしないと人間は学ばないもので、私は、それらの経験から幾分かのことを学び、研究者のキャリアにおける「病気」は治せなくても、「診断」ぐらいはつけれるようになりました。

それで、この方に、もし教官職に就けたとしたら、何をするつもりなのですか、と聞いてみました。つまり、将来どういう研究を展開して、その研究遂行のためにどういうストラテジーで研究資金を工面し、どのような研究者として社会に貢献していくつもりなのか、という多少具体的なプランを聞きたかったのです。ところが、困ったことに、この人はそれに対してはっきりした答えを持っていないようでした。研究はしたいとおっしゃるし、経験も様々なスキルもお持ちなのに、それを使って何を達成したいのかという情熱とビジョンがはっきりしていないのです。また、研究の世界は、本音のところは知恵と努力でカネとポジョションを奪い合う生き残り闘争で、それに勝てないとゲームに参加させてもらえない所だという辺にも余り意識的でなかったようでした。
 困っている人に対してキツいことを言うのはどうかと思いはしましたが、これでは永久に教官職は取れないと思ったので、「教官を採用する時には、大学側は投資だと考えていますから、回収の見込みが低い投資はしません。自分のやりたいことが分かっていない人に、カネを出す大学はありませんよ」と言ってしまいました。(実のところ、私も以前はボンヤリしていたので、こんなことをエラそうに人に言える資格はないのですが)
 また、この方は、新しいボスとの折り合いが悪いようで、確かにボスはちょっと困った人のようでした。そして、この人は自分の現在の苦境の多くがボスが良くないという点が来ていると考えているようでした。事実、そうでしょう。しかし、自分の問題の原因がボスにあるとしても、それを追求することはキャリアの発展の上で無益であるどころかむしろ逆効果であるということ、そして、そもそもその問題のありそうなボスの下で働くという決断をしたのは、他ならぬ自分である、という点の認識が十分でないと私は感じました。
 つまり、この方の問題は少なくとも二点あります。自分のやりたいことが具体的にわかっていない(独立した研究ポジションを目指そうとしているのであればこれは致命的です)、そしてまだ自己責任が徹底できていない、ということです。成功したらそれは自分の実力で、失敗したら他人のせいというのはムシが良すぎるワケです。自分1人の力で成功はできません。しかし、失敗した場合は、逆にその失敗の痛みは全て自分で引き受けることができないと、成功のチャンスは生まれないと思います。

思うに、これが日本式の洗脳教育の成果ではないでしょうか。江戸時代と同じように、近代の日本でも細かい身分制があり、(教授、助教授、助手、ポスドク、学生、先輩、後輩、etc.)日本人は小さなころから、その上下関係に従って行動するように教え込まれてきました。しかし、近代日本における身分制度というものは、一握りの支配者層が他の人間を効率よく利用するためのネズミ講式システムに他ならず、参加者の自己利益のためにシステムの維持を動機づけるような仕組みになっています。だから高度成長期の日本で、ネズミ講の新規入講者が大量にいて、政府のカネもまずまず潤沢だったころは、このアカデミアや官僚機構のヒエラルキーを維持するように行動すれば、ビジョンなどなくても、トコロテン式に時間が経てば自分の地位も収入も上昇していったわけです。例えば、私が学生だったころなど、医学部の基礎教室など人材不足でポジションはいくらでもありました。人手がないので大学院を中退して学位なしで教官になった人などもいました。しかし、経済成長が止まり、相対的若年人口が減少していって、当然のようにネズミ講は破綻しました。そのネズミ講で損を引き受けているのが、われわれぐらいから下の年代ではないかと思います。つまり、小さなころから「ネズミ講に入ったら若いうちは大変だけど、将来はラクできるよ」と甘言に騙されて大学院に進んだり法外な低賃金でこき使われたりしたのに、おいしい目にあう前にネズミ講が破綻し、「約束が違う!」となってようやく、「世の中、全て、自己責任だ」と真理を言い渡されたわけです。多分、最初にネズミ講をはじめた人以外にこの日本のシステムが詐欺だと分かっていた人は多くないのではないでしょうか。みんな、そんなものだと思って無批判にシステムに参加し、破綻して被害を被ってはじめて詐欺だと気づいたのだと思います。こういう社会なのだから自分の不運を社会のせいにしたくなる気持ちも分かりますが、このネズミ講の詐欺を考えついた人やこれでおいしい思いをした初期参加者はとっくの昔に消え去っていますから、残っているのは程度の差はあれ全員被害者みたいなものです。この状況を考えれば、文句をいう相手がいないのだから、結局、泣き寝入りせざるをえません。騙され損です。しかし、実際のところは、どんな場合でも騙された自分がバカだったと思えない限り、自分の人生を自分でコントロールできるようになりません。
 
アメリカでは、そして実は日本でも、成功するかしないかは個人の責任です。大学院学生からいきなり教授になった人もいますし、その一方でポスドクを30年近くやって終わった人もいます。個人に与えられた条件はさまざまなのですから、その条件を受け入れた上で希望する世界で生き残る才覚を磨かねばなりません。経済が悪い以上、競争が厳しくなる傾向はどうしようもありません。しかし、ネズミ講から実力生き残りへとルールが変更されてしまた以上(というか、本当のところネズミ講式は最初から詐欺であり、実力で生き残るのがずっと本当のルールだったのですが)、とりあえずは、このシステムを受け入れて、生き残りゲームだと割り切って参加するか、別の道を探すかしかないのではと思います。

こういうシステムの大元となっている「人間をカネで支配する」資本主義社会に対する批判がドルの崩壊に伴って、大きくなっていくのではないかと想像しています。今のままでは社会が余りに非人間的です。マルクスは「これまでの社会の歴史は階級闘争の歴史である」と言いましたが、現在の資本主義下での日本、欧米でも、その言葉の通り、階級(身分)があり、階級間、あるいは階級上昇のための闘争が社会の基礎になっているという解釈は十分成り立つでしょう。過去、社会主義、共産主義を選択する国家もありましたが、結局、国民の善意を前提とするこれらのシステムは、一部のズルをする連中によって悪貨が良貨を駆追するように、崩壊してしまいました。しかし資本主義がここまで先進国において露骨に動物的な弱肉強食の戦国時代的世界をもたらしてしまった以上は、このままでは社会は安定せず、再び共産主義的形態を人々は望むようになるでしょう。それにともなって研究の世界はいずれ現在よりもより穏やかな人間的な場所になる可能性があるとは想像するのですが、それにはまだまだ時間が必要だろうと思います。
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