昨日収監された鈴木宗男氏、収監前のブログを読んで、目頭が熱くなりました。
検察に冤罪をでっちあげられ、司法にデタラメの裁判で嵌められ、それでも悪法でも法と、前向きに歩もうとされるその態度にただただ、頭が下がります。
その悔しさ、家族とも別れ、国民と国のために情熱を傾けた政治活動を止めざるを得なくなり、貴重な時間を無為に過ごさねばならない無念というものは推して余りあります。しかも、己の利益のために権力側が謀略によってでっち上げた罪によるものなのですから、私なら怒り狂うでしょう。
もちろん、私は、収賄罪が本当に成り立っているのかどうかの判断の妥当性を知りません。しかし、本人も、贈賄と判断された方にも、その意志を一貫して否定してきているわけで、その状況の詳細を知ると、これが贈収賄であるはずがない、と感じざるをえません。年をとって、頭も体力も落ちてきましたが、唯一、良くなっていると思うのは人を見る目です。騙されたり、とんでもない人間とかかわり合いになってしまったり、逆に素晴らしい人にであったり、そんな経験をつんで、人を見る目だけは磨かれました。一言しゃべる言葉を聞けば、どんな人間か正しく判断できると自信を持っています。鈴木氏の綴る文章に鈴木氏という人間が体現しています。ウソをつく人間にはかけない文章だと思います。
思うに、この鈴木事件の詳細を少しでも知っている人は、全員がこれは冤罪であることを分かっているのだろうと思います。その収監を決めた検察とグルの裁判所も事件をでっち上げた検察も、自分たちが法を欺いて、人間として、職業人としてもっとも恥ずべきことをしていることを十分に知っているはずなのです。みんなが間違っていると思っているのに、結局、鈴木氏の収監という恥ずべき結果になってしまった日本。鈴木氏の無念を思うと、ハラが立って仕方がありません。
そんな中でも、鈴木氏は将来への希望を捨てず、支援者や家族に人々に感謝の言葉を残して、胸を張って収監されていったことに、私は人間の尊厳とでも言うべきものを感じました。腐りきった権力と自分の利益のことしか考えない現内閣の政治家、マスコミのいう大ウソを真に受けて思考停止してしまう人々、やりきれないことが多すぎるこの国の今ですが、政治家の中にも、マスコミと権力の卑怯な総攻撃を総身に受けても天に向かって真っ直ぐに立ち続ける鈴木氏や小沢氏のような人をみると、日本人も捨てたものではないと思ったりするのです。
私が日本に望むことは、誇り高い君子の国であることです。喩え、アメリカの属国であっても、胸を張って天を望む人々のいる国であって欲しい、そうずっと思っています。
検察に冤罪をでっちあげられ、司法にデタラメの裁判で嵌められ、それでも悪法でも法と、前向きに歩もうとされるその態度にただただ、頭が下がります。
その悔しさ、家族とも別れ、国民と国のために情熱を傾けた政治活動を止めざるを得なくなり、貴重な時間を無為に過ごさねばならない無念というものは推して余りあります。しかも、己の利益のために権力側が謀略によってでっち上げた罪によるものなのですから、私なら怒り狂うでしょう。
もちろん、私は、収賄罪が本当に成り立っているのかどうかの判断の妥当性を知りません。しかし、本人も、贈賄と判断された方にも、その意志を一貫して否定してきているわけで、その状況の詳細を知ると、これが贈収賄であるはずがない、と感じざるをえません。年をとって、頭も体力も落ちてきましたが、唯一、良くなっていると思うのは人を見る目です。騙されたり、とんでもない人間とかかわり合いになってしまったり、逆に素晴らしい人にであったり、そんな経験をつんで、人を見る目だけは磨かれました。一言しゃべる言葉を聞けば、どんな人間か正しく判断できると自信を持っています。鈴木氏の綴る文章に鈴木氏という人間が体現しています。ウソをつく人間にはかけない文章だと思います。
思うに、この鈴木事件の詳細を少しでも知っている人は、全員がこれは冤罪であることを分かっているのだろうと思います。その収監を決めた検察とグルの裁判所も事件をでっち上げた検察も、自分たちが法を欺いて、人間として、職業人としてもっとも恥ずべきことをしていることを十分に知っているはずなのです。みんなが間違っていると思っているのに、結局、鈴木氏の収監という恥ずべき結果になってしまった日本。鈴木氏の無念を思うと、ハラが立って仕方がありません。
そんな中でも、鈴木氏は将来への希望を捨てず、支援者や家族に人々に感謝の言葉を残して、胸を張って収監されていったことに、私は人間の尊厳とでも言うべきものを感じました。腐りきった権力と自分の利益のことしか考えない現内閣の政治家、マスコミのいう大ウソを真に受けて思考停止してしまう人々、やりきれないことが多すぎるこの国の今ですが、政治家の中にも、マスコミと権力の卑怯な総攻撃を総身に受けても天に向かって真っ直ぐに立ち続ける鈴木氏や小沢氏のような人をみると、日本人も捨てたものではないと思ったりするのです。
私が日本に望むことは、誇り高い君子の国であることです。喩え、アメリカの属国であっても、胸を張って天を望む人々のいる国であって欲しい、そうずっと思っています。