百醜千拙草

何とかやっています

ルサンチマンの悲劇

2010-12-28 | Weblog
クリスマスを過ぎ、新年を迎えようとする時期、私もちょっとでも明るい気分で過ごしたいと思っているので、空きカン内閣のデタラメさを考えないようにとは思うのですが、私は正義感が強いせいで、ニュースなどを見るとついカッカしてしまいます。この連中が私利私欲のために官財米を利して、一般国民を管理、搾取し、日本の富を売り飛ばそうとする汚らしいやり口を見る度、「知らぬが仏」と言いますが、知らなかったらどれほど平穏に過ごせただろうか、と思わずにはおれません。こういう国賊どもの悪事に加担してきたマスコミどもに薄汚さにも反吐がでます。なかでも、特に最近は廃人レベルの朝日新聞。廃人レベルになったのは数年前から主筆をやっていた船橋某とやらのせいだろうと思っていたのですが、この御仁、つい最近朝日を辞めたという話を聞いて、これで朝日もちょっとはマシになるかも知れないと思ったりしたわけですが、現代ビジネス、ニュースの深層に、この船橋某が、政府がTPP担当相を創始して、そこに就任させるのではないか、というゾッとする話が披露されておりました。その意味についてはhttp://blog.goo.ne.jp/tarutaru22をご参照ください。
TPPは日本の農業を壊滅させるだけでなく、日本の数々の保護産業にアメリカの参入を許し、日本国民を完全なコントロール下に置こうとするものだと私は思います。食料自給ができない国は独立国家ではない、と私は思います。昔の兵法に兵糧攻めというものがありました。アメリカでは小規模農業を法規制の下に潰し、大企業に国民の食料をコントロールさせようとしています。そうなれば、食品に毒を盛るのも食品の値段をコントロールするのもやり放題です。人間をコントロールするのに、食べ物を押さえることほど強力な方法はありません。ソ連が崩壊したときロシアはソ連時代に推奨されて行っていた個人農業(ダーチャ)による備蓄で生き延びました。日本では、国際的競争力のない農家を戸別補償などの不十分な処置でなんとか農地を維持している状態な訳ですが、単純バカの危険人物は「日本の農業のGDPへの寄与率は低いのだから日本の農業がTPPで壊滅しても大したことはない」とかいう意味の救いようのない低能コメントをしました。このまま日本の農地が消えて行けば、兵糧攻めであっけなく日本は攻略されてしまうという現実認識がありません。本人は日本国民がどう苦しもうと自分さえよければそれでよいと思っているのでしょう、「グローバル化」で弱肉強食で強いものが生き残るのが正しいというデタラメを宣伝して、日本という弱肉をアメリカなどの諸外国のエサに差し出そうとしているとしか私には見えません。こういうデタラメを言うのなら、日本語という言語は全世界で数パーセントの人間しか使わないのだから日本語を使うのを止めて英語を公用語にしようとか、GDPの上昇に寄与しない日本人は消えてもらった方がよいとか、言うのと同じ理屈になるでしょう。これを本末転倒と言わずして何というのでしょうか。
 ここに、敗戦後、日本人が宗主国アメリカに楯突かないように徹底的に教え込んだアメリカ優越主義の洗脳効果を見るような気がします。明治維新以来、西洋文明に圧倒された日本がやってきたことは、「脱亜入欧」という卑しいスローガンに見られるように、とにかく西洋諸国に仲間に入れてもらうために媚を売ること、そして、そのためには自分のアイデンティティーも捨て去り、アジアの近隣諸国も文化的に深い影響を受けた大恩人である中国をも差別的に見下す、という破廉恥で身勝手極まりない、(まさに今のカン内閣のような)卑しい行いです。私は、日本国の国民であるという誇りは持っておりませんが(持ちたくても持てません)、一方で、日本国民の多くが持つ高度に倫理的な行動様式や正直さや気高さは深く評価しております。日本が本当に誇るべきものはその民衆の中に生きている無形の文化であり、GDPでも産業でも西洋の賞であるノーベル賞でもないと思います。そして、日本の政府は、最も日本が守って行かねばならないものを、西洋の基準で測った日本のレベルを上昇させるためにどんどん捨て去ろうとしているように思います。こんなことは、私がいうまでもなく、何十年来、言われ続けてきたことですが、悲しいことにこの傾向はひどくなる一方で改善される様子がありません。

さて、人間の感情、喜び、悲しみ、怒り、恨み、の中で、唯一、時間がたっても消えないものは「恨み」だそうです。恨みが生まれる原因はいろいろあるでしょうが、もっともやっかいなのは「妬み」から生じるものでしょう。一昔前の流行り言葉でいえば、「ルサンチマン」ですか。空きカン、悪徳弁護士や黄門気取りの爺さんらの言動が、どうも、小沢氏に対する「嫉妬」とそこからくる「怨恨」から出て来ているというのは正しいと思います。こんなxxの穴の小さい、日本人の誇るべき高潔さから最も遠い連中が、日本の国を運営しようとしているという事実は、悲劇以外の何ものでもありません。「反戦な家づくり」のブログ記事(http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-979.html)を読んで、つくづくそう思いました。
一部、転載します。

またしてもスケールの違いがまざまざ 菅vs小沢

この人間的なスケールの違いが、菅直人をして小沢一郎を忌み嫌う原因なのかもしれない。

菅は小沢氏と相対すると、自らのちっちゃさをイヤほど思い知らされるので、なんとしても視界から消し去りたいのだ。私も凡百のひとりとして、その気持ちは分からないでもない。
が、凡庸なるわたしでも、そんな情けない感情をむき出しにして他人を貶めるようなことは、さすがにしない。

ところが、いくら凡百とはいえ日本の首相という座にある人間が、ここまで醜い姿を恥ずかしげもなく満天下に晒しているのはどういうわけか。このモラルが完全にぶっとんでしまった姿をこそ、倫理審査をするべきだと感じるのは、私だけではあるまい。

権力欲と嫉妬は、おそらく、もっとも人間を破壊する。
そして、その両方を菅直人は両手いっぱいに抱えている。
何の躊躇もなくアメリカの言うなりになっているのも、内面的にはそれ故であろう。

(中略)

そうしておいて、支持率の低下を全部、小沢氏になすりつける。
なすりつけるために最低の政治をやって支持率を下げているのではないか とすら思えてくる。

みずからの嫉妬心のために、全国民を犠牲にして意図的に失政に失政をかさね、国民の怨嗟の声を小沢氏に転嫁して溜飲を下げる。これが菅直人の、真の姿なのではないか。

あまりのおぞましさに、鳥肌が立つ。
これまで、もっともきらいな政治家は、小泉ポチ、安倍ポチ、前原ポチ の三匹だったが、ごぼう抜きで菅直人が一位に躍り出た。

菅直人の小ささぶりは、昨日の連合が仲介した会合でも、あますことなく発揮された。

菅首相と小沢氏らの会談要旨
2010.12.25 時事通信

 小沢氏 政権交代ができたのは、みんなが一つの気持ちになって臨んだ結果だ。鳩山氏から私自身のことに触れて話があったが、改めて気持ちを整理して臨んでいきたい。国民の期待に応えられておらず、不徳を恥じている。通常国会、来春の統一地方選に向け、首相を筆頭に頑張らなければならない。

(引用以上)

ここまで菅らに責め立てられて、なお首相を筆頭に頑張るんだという言う小沢氏のど根性に、私はほとほと感服する。感情的には、ぜったいにそんなこと言いたくないはずだ。でも、現実の政治のなかでは、そうするしかないという判断に、自らを律することは、凡百にはまねできない。

そればかりか、菅政権が意図的におこなっている失政の責任を、自らの責任として「不徳を恥じる」というのだから、どこまで大きな責任感なのかと、目眩すら感じる。これが、自分が国民の生活を預かっているのだと自覚する政治家の立ち居振る舞いなのである。

菅は、この発言を聞いて、心底小沢一郎を恐れ、憎んだに違いない。
全部じぶんの責任としてとらえて行動する小沢氏に比べ、支持団体を前に、ジンギスカンまで持ち出して言い訳に終始する自分の姿の醜さを、イヤというほど感じたであろう。

(後略)
コメント
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