音楽の話の続きですが、偽ベートーベンという呼ばれる人がゴーストライターに曲を作ってもらっていたという事件。音楽でメシを喰っている人の書いたこの事件の本質(?)というか、ゴーストライターの人の立場を解説した記事があったので、読みました。大変興味深いです。
偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ
かつて、バークレーでジャズピアノを勉強した人と話をする機会がありました。バークレーは音楽のプロを養成するトレーニングをするのだそうです。音楽のプロとは、音楽の作曲、編曲、演奏、教育などで報酬を得ることができる人ということです。つまり、職人です。職人の技術を教えることは体系的にやればできるのだそうです。しかし、できないことは「芸術家」に育てることだそうで、訓練すれば、誰でも職人レベルにはなって音楽で多少の報酬を得る事ができるようになるが、その上の世界、芸術のレベルに上がれるかどうかは、才能次第で、努力では越えられない線があるのだそうです。これは教えようがないという話でした。
商業音楽では、ゴースト作曲家は沢山いるでしょう。シンガーソングライターの人などで、楽譜が読めない、書けない、当然編曲もできないという人は沢山います。そういう人は鼻歌を録音して、音楽の職人の人々に、採譜してもらって、立派な曲に編曲してもらって、演奏してもらって、それでも作曲者というクレジットで作品を発表し、9割以上の作品を作ったプロの人は、全く表に出ないことはよくあることです。今回の偽ベートーベンはまさに、こういうレベルの話だったと理解すれば、成る程と思います。
今回の偽ベートーベンのゴースト作曲家の人が、どうして何のクレジットも求めず、安い請負料でゴースト作家をしたのか、という理由がこの記事をよんで、理解できたような気がします。言ってみれば、芸術作品と工芸品の違い、芸術家と職人の違い、ということなのでしょう。作家の名前のない芸術作品はありません。一方、工芸品では、多くの場合が無名のままです。このゴースト作曲家の人にとっては、偽ベートーベンへの曲は、名前を冠するに値しない職人の「ふつうの仕事」にしか過ぎなかった、その上の世界、芸術の作品を作ろうとしたのではなかった、つまり、真剣勝負というよりはエキシビジョンだったということなのでしょう。
研究の世界でもちょっと似たところがありますが、自然が相手ですから、才能とかセンスとかが関与する部分は音楽よりも遥かに少ないでしょう。努力とひらめきと多少の運、ノーベル賞などそうですね。努力だけではとれませんし、才能やセンスもあまり関係なさそうです。ただ、職人としての研究者はやはり努力を積み重ねれば、音楽の職人と同様にプロとしてある割合でメシが喰っていけると思います。(そう思っているから頑張っているのですが、どうでしょうか)
偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ
かつて、バークレーでジャズピアノを勉強した人と話をする機会がありました。バークレーは音楽のプロを養成するトレーニングをするのだそうです。音楽のプロとは、音楽の作曲、編曲、演奏、教育などで報酬を得ることができる人ということです。つまり、職人です。職人の技術を教えることは体系的にやればできるのだそうです。しかし、できないことは「芸術家」に育てることだそうで、訓練すれば、誰でも職人レベルにはなって音楽で多少の報酬を得る事ができるようになるが、その上の世界、芸術のレベルに上がれるかどうかは、才能次第で、努力では越えられない線があるのだそうです。これは教えようがないという話でした。
商業音楽では、ゴースト作曲家は沢山いるでしょう。シンガーソングライターの人などで、楽譜が読めない、書けない、当然編曲もできないという人は沢山います。そういう人は鼻歌を録音して、音楽の職人の人々に、採譜してもらって、立派な曲に編曲してもらって、演奏してもらって、それでも作曲者というクレジットで作品を発表し、9割以上の作品を作ったプロの人は、全く表に出ないことはよくあることです。今回の偽ベートーベンはまさに、こういうレベルの話だったと理解すれば、成る程と思います。
今回の偽ベートーベンのゴースト作曲家の人が、どうして何のクレジットも求めず、安い請負料でゴースト作家をしたのか、という理由がこの記事をよんで、理解できたような気がします。言ってみれば、芸術作品と工芸品の違い、芸術家と職人の違い、ということなのでしょう。作家の名前のない芸術作品はありません。一方、工芸品では、多くの場合が無名のままです。このゴースト作曲家の人にとっては、偽ベートーベンへの曲は、名前を冠するに値しない職人の「ふつうの仕事」にしか過ぎなかった、その上の世界、芸術の作品を作ろうとしたのではなかった、つまり、真剣勝負というよりはエキシビジョンだったということなのでしょう。
研究の世界でもちょっと似たところがありますが、自然が相手ですから、才能とかセンスとかが関与する部分は音楽よりも遥かに少ないでしょう。努力とひらめきと多少の運、ノーベル賞などそうですね。努力だけではとれませんし、才能やセンスもあまり関係なさそうです。ただ、職人としての研究者はやはり努力を積み重ねれば、音楽の職人と同様にプロとしてある割合でメシが喰っていけると思います。(そう思っているから頑張っているのですが、どうでしょうか)