リバイスに一年以上かかった論文がようやくアクセプトになりました。嬉しいというよりやれやれという気持ちです。扱っている題材が題材なので、私の分野には大きなインパクトはない仕事ですけど、広く分子生物学という観点からは、それなりの意義はあるかなと思っています。私にとっては、今後大きな発展の見込めないネタではあるのですが、この論文のco-first authorの二人の就職とグラントの獲得には役立ちそうで、それが何よりです。
先週末、グラントの予備応募のフィードバックが返ってきました。ここ数年の間に明らかになったのは、これまでの私の研究スタイルを続けていたのでは早晩、行き詰まるだろうということことです。この1−2年の間に、分野の意向やニーズに沿った方向で、研究スタイルを変え、さらにそれを先取りするような研究プロジェクトを提案していかないと、間違いなく廃業です。
ま、それで一つ思いついてボツボツと始めたプロジェクトがあったわけですが、これは、私がこれまでやってきたようなマウス遺伝学を使った生物学的研究ではなく、細胞工学系の応用研究で、ゴールの設定も進め方も随分違います。私の希望としては工学的、翻訳的研究で通じて、何らかの生物学的発見ができればいいなと都合よく思っているわけですが、その見通しで進めていってもいいものなのか、となかなか自信が持てませんでした。
私にとっては新しい分野だったので、このまま進んで良いのかどうかを見極めたいといういう思いで、これまで色々な人に話を聞き、アイデアを話してきました。今回のグラントの予備応募にしても、グラントの見通しもそうですが、グラントレビューアからもっと忌憚のない意見を聞きたいという気持ちもありました。
予備応募に対する3人のレビューアのコメントは好意的でした。安心の反面、ちょっとがっかりもしました。ここで私に本当に必要なのは、鋭い現実的な批判で、それを期待していたのですが。結局、自分のことは、自分で考え、自分で決断し、結果は自分で責任を取るしかない、という当たり前の結論に達しました。
しかし、この一年弱、いろいろな分野の先達の人の話を聞き、その研究の内容を見ていると、おそらく、どんなに偉い研究者でも、真摯に研究に向き合っている人は、自分のやっていることに十分な確信を抱いているわけではない、ということがわかったような気がします。先端を走る人々は、誘導してくれるペースメーカーはいないのだから当たり前です。誰もが五里霧中の中をわずかなサインを頼りに試行錯誤しながら歩いていて、そうしているうちに手がかり、足がかりを見つけて、自分の歩もうとする方向性にとりあえずの確信を持つに至るにすぎないと思います。
一方で大多数の人が(生活のために)要領よく面白い話を作ってインパクトファクターの高い雑誌に論文を出したいと願っているようです。その目的のためには、手探りでやらねばならないような、先の見えないような先端の研究はリスクが高すぎます。生活は大切だし、どんな形であれ論文にするというのは、何もアウトプットを出さないよりははるかに重要な貢献をすることになると私は思いますから、論文を書くためのストラテジーを持つことは必須です。しかし、論文をハイインパクトジャーナルに出すことだけがゴールになってしまうと、研究は腐ってしまうと思います。バランスが難しいですね。
さて、このグラントに出したプロジェクトは非常にriskyで、成功の確率は読めません。そもそもそういう研究をサポートするグラントに応募しようとしています。希望としては目指すものの10%をなんとかして達成し、それを叩き台に「カイゼン」を繰り返して、100%に近づけていければ、と望んでおります。多分10%が達成できれば、継続するに必要な資金を得る可能性も高まるでしょう。その10%の達成の可能性が如何ほどなのかを、私としては、できれば早い目に見極めたいと望んでいるのですが。
この新しいプロジェクトを始めようとする過程でとりあえず感じたことは、濃い霧の中で右か左かと迷いながら手探りで歩いているのは、たぶん正しい歩き方であり、他の方法はないだろうということです。あっちにぶつかり、こっちにぶつかりして学んでいければよいと思っています。そして、ダメならダメでその結果を受け入れれば良い、という結論に至った次第です。
「一燈を提げて、暗夜を行く 暗夜を憂うること勿れ 只だ一燈を頼め」 (言志四録)
の心境と言えば、カッコよすぎますか。
先週末、グラントの予備応募のフィードバックが返ってきました。ここ数年の間に明らかになったのは、これまでの私の研究スタイルを続けていたのでは早晩、行き詰まるだろうということことです。この1−2年の間に、分野の意向やニーズに沿った方向で、研究スタイルを変え、さらにそれを先取りするような研究プロジェクトを提案していかないと、間違いなく廃業です。
ま、それで一つ思いついてボツボツと始めたプロジェクトがあったわけですが、これは、私がこれまでやってきたようなマウス遺伝学を使った生物学的研究ではなく、細胞工学系の応用研究で、ゴールの設定も進め方も随分違います。私の希望としては工学的、翻訳的研究で通じて、何らかの生物学的発見ができればいいなと都合よく思っているわけですが、その見通しで進めていってもいいものなのか、となかなか自信が持てませんでした。
私にとっては新しい分野だったので、このまま進んで良いのかどうかを見極めたいといういう思いで、これまで色々な人に話を聞き、アイデアを話してきました。今回のグラントの予備応募にしても、グラントの見通しもそうですが、グラントレビューアからもっと忌憚のない意見を聞きたいという気持ちもありました。
予備応募に対する3人のレビューアのコメントは好意的でした。安心の反面、ちょっとがっかりもしました。ここで私に本当に必要なのは、鋭い現実的な批判で、それを期待していたのですが。結局、自分のことは、自分で考え、自分で決断し、結果は自分で責任を取るしかない、という当たり前の結論に達しました。
しかし、この一年弱、いろいろな分野の先達の人の話を聞き、その研究の内容を見ていると、おそらく、どんなに偉い研究者でも、真摯に研究に向き合っている人は、自分のやっていることに十分な確信を抱いているわけではない、ということがわかったような気がします。先端を走る人々は、誘導してくれるペースメーカーはいないのだから当たり前です。誰もが五里霧中の中をわずかなサインを頼りに試行錯誤しながら歩いていて、そうしているうちに手がかり、足がかりを見つけて、自分の歩もうとする方向性にとりあえずの確信を持つに至るにすぎないと思います。
一方で大多数の人が(生活のために)要領よく面白い話を作ってインパクトファクターの高い雑誌に論文を出したいと願っているようです。その目的のためには、手探りでやらねばならないような、先の見えないような先端の研究はリスクが高すぎます。生活は大切だし、どんな形であれ論文にするというのは、何もアウトプットを出さないよりははるかに重要な貢献をすることになると私は思いますから、論文を書くためのストラテジーを持つことは必須です。しかし、論文をハイインパクトジャーナルに出すことだけがゴールになってしまうと、研究は腐ってしまうと思います。バランスが難しいですね。
さて、このグラントに出したプロジェクトは非常にriskyで、成功の確率は読めません。そもそもそういう研究をサポートするグラントに応募しようとしています。希望としては目指すものの10%をなんとかして達成し、それを叩き台に「カイゼン」を繰り返して、100%に近づけていければ、と望んでおります。多分10%が達成できれば、継続するに必要な資金を得る可能性も高まるでしょう。その10%の達成の可能性が如何ほどなのかを、私としては、できれば早い目に見極めたいと望んでいるのですが。
この新しいプロジェクトを始めようとする過程でとりあえず感じたことは、濃い霧の中で右か左かと迷いながら手探りで歩いているのは、たぶん正しい歩き方であり、他の方法はないだろうということです。あっちにぶつかり、こっちにぶつかりして学んでいければよいと思っています。そして、ダメならダメでその結果を受け入れれば良い、という結論に至った次第です。
「一燈を提げて、暗夜を行く 暗夜を憂うること勿れ 只だ一燈を頼め」 (言志四録)
の心境と言えば、カッコよすぎますか。