青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

心惹かれるカラーリング

2017年05月08日 05時34分02秒 | 飯山線

(川口の町を後に@越後川口~内ヶ巻間)

181Dの越後川口折り返しは13分の短いインターバル。上越線との接続駅ですが、飯山線のホームは棒線1本なんで上越線に直通する列車を除いてはさっさと折り返すダイヤになっています。そのため内ヶ巻からの追っ掛けはあまり時間がなく、返しは定番の魚野川橋梁で撮る事に。単純に土手に上がってもつまらないので、川口の町の裏山から小俯瞰気味に構えてみました。魚野川はこの町で信濃川と合流しますが、なるほどこの町が「川口」と呼ばれる理由が分かりますね。


返しの182Dはやはり撮れるのはワンカットだけ。十日町から越後川口は駅が少なく駅間距離も長いので、列車の足が速いのもあって捕まえるのは難しいですね。と言う訳で魚野川で撮ってようやく朝メシ。国道沿いのセブンイレブンでパンとコーヒーを買ってようやく一息ついたところでぼっちらぼっちら十日町の駅に行くと、さっきの182Dが今度は昼の136Dでの出動に備えて1番ホームで休憩中。ちょうど駅構外から撮りやすい位置に停車していました。


飯山色の特徴である暖色系三色のグラデーションストライプ。このラインが入っている事で、爽やかなパープルとホワイトのボディがビビッドに締まるデザインの最重要ポイント。妙にこの色に惹かれるのはなぜだろう。キハ110のアイドリング音を聞きながらぼんやり考えていたのだが、大好きだった旧日本エアシステム(JAS)のカラーリングに近いからじゃないかと言う結論に至りました(笑)。JALとANAに比べるとしょうもない辺鄙な路線ばっか割り当てられて、羽田でも搭乗口に行くのが一苦労だったJAS。地方の公営競技に躍起になっていた頃、MD81とかの小型双発機で地方都市を目指して飛んでいたあの頃を思い出すのであります。

 

まあどちらかと言うと旧JASのカラーリングは先代の飯山色の方が近く、今回のリバイバル飯山色はかつては濃紺だったところがパープル系の青になっているのでより爽やかさが増した感がある。そして往時のキハ52とかキハ28は、塗装を施したとはいえお世辞にもキレイな車両でなかったから、それと比べればキハ110のキレイさは月とスッポン、ハゲとバリカンの差がある(笑)。


この「地域色」という考え方は、国鉄時代の全国画一的な塗装に対する民営化以降のアンチテーゼというか、「解放され地域に根ざした形に分割されたJR」をアピールするための政策的な意味合いも大きかったのかなと思います。お隣のしなの鉄道でも115系をJR発足時の「長野色」に戻していますが、JRも発足30年を経て、国鉄色のみならずJRとなってからのものもリバイバルの対象となる事に時の流れを感じざるを得ません。
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3時間35分の乗りごたえ

2017年05月07日 06時11分29秒 | 飯山線

(追い掛けて内ヶ巻@内ヶ巻駅)

十日町のバカ停で123D改め181Dを大きく追い越し、どこで撮ろうかとロケハン。十日町から先は列車の足が速いのと、国道の車の数も増えるのでやれて片道一発ずつ。吟味した結果、終点の越後川口のひとつ前、内ヶ巻の駅でやる事にします。飯山線標準規格(?)とも言えるトンガリ屋根の駅舎。駅のホームの向こうには、線路に沿って桜の古木が続いています。静かな丘陵地の中に佇む内ヶ巻の駅ですが、かつては駅の南に油田(田麦山油田)があって、天然ガスと石油の採掘により隆盛を極めた時期もあったんだとか。俄かには信じられないですよね。

 

内ヶ巻の桜は、見た感じ古木だけに花の咲き方には勢いがなく控えめ。テングスにやられちゃっているのも多いですね。少し散りかけと言うのもあると思うのだけど、まあ西大滝なんかに比べればよく持った方か。駅手前の掘割には水仙が咲いていましたが、飯山線の沿線って結構水仙が植えられている場所が多いですね。桜が散ってる代わりと言っちゃあなんですが、正直低い位置に咲いているので列車とは絡みづらいっすw


さあ、ラストスパート。越後川口までは、あと3km4分の道のりです。123D→181Dは長野からバカ停を含めて3時間35分の普通列車の旅、昔ならいざ知らず現代ではなかなかの乗りごたえなのではないだろうか。以前は越後川口から上越線で小出へ出て、そっから只見線で会津若松へさらに4時間のローカル線鈍行の旅が楽しめたのだが、平成23年の水害によってその鉄路は寸断されたままです。
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北信妻有の郷を行く

2017年05月06日 06時22分43秒 | 飯山線

(メンタテどかーん@越後田中~津南間)

河岸段丘の森の中を行く友情の列車。あんまりこういう構図で撮るのは好みではないが、キハ110系と言うのはこうして見ると案外小田急顔である。小田急顔から裾絞りを抜いて全体的にカクカクさせたような感じ?前照灯が貫通扉の上にあって腰回りにはないところとかもそんな感じがする。昔々のその昔、御殿場線が電化される前は新宿から御殿場の間で気動車準急を運転していた事もある小田急、今も御殿場線の非電化が続いていたとしたら、こんな顔のキハがあさぎり号の代わりに走っていたかもしれない(笑)。


ブナ林を抜けて。この辺り、津南町から旧松之山町にかけては丘陵地帯にブナ林の豊かな森が広がっています。ブナの美林が続く美人林に、丘陵地に水を張った棚田が緑を映す星峠の棚田や儀明の棚田、芝峠の雲海などなどこの辺り古くからネイチャー系のカメラ屋さんの聖地とも言える場所でした。「美人林 画像」でググってみれば、あまたの先人が残した四季の姿を見る事が出来ますが、それこそこの時期雪に覆われた美人林がブナの根っこの部分からまあるく雪融けして行く写真とか結構有名じゃないっすかね。まあそれだけ魅力的な地域ですよ。北信妻有は。


秋山郷への最寄り駅である津南を出ると、ずーっと右に見て来た信濃川を越後鹿渡の先で渡り、東頸城と魚沼の丘陵地に挟まれた穀倉地帯を走って行きます。屋敷森を抜け、羽根川の築堤を往く123Dは沿線最大の都市十日町へ。水田に水が張られていたらと思ったのだが時期尚早でした。123Dは十日町で上りの1122Dと交換のため30分以上のインターバルを取り、改めて181Dとして越後川口へ向かいます。

結構なバカ停ですが、飯山線自体が豊野から越後川口まで6つの交換駅しかない(替佐・飯山・戸狩・桑名川・森宮野原・十日町)上に、特に森宮から十日町とか25km以上交換駅ありませんのでね。普通列車で40分の区間が1閉塞でも問題ない程度の列車密度と言う事か。
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もう一つの大震災

2017年05月05日 18時00分00秒 | 飯山線

(栄大橋俯瞰@横倉~森宮野原間)

西大滝からさらに飯山色を追い掛け、追い付いたのは森宮野原手前の栄大橋俯瞰。この先、志久見川との合流地点である宮野原橋の地点で、千曲川は新潟県に入り信濃川へと名前が変わります。ここは大きい景色で川と線路を俯瞰出来る飯山線随一の撮影スポットですが、南面しているので日中は割と逆光ベース。朝だと東からの光が線路に回るので、切り位置によっては順光になるみたいですね。この辺り、周辺に比べ妙に路盤が整備され築堤の法面も新しいけど、これはあの東日本大震災の起こった3月11日の翌朝、平成23年3月12日3時59分にこの地域を襲った震度6強の直下型地震…いわゆる長野県北部地震(栄村大震災)によって崩壊した築堤を修復したためなんですよね。


東日本大震災の衝撃も冷めやらぬ中、北信の小さな村を襲った未明の大地震。雪深い里の家々は潰れ、すべての水道が止まり、交通網が寸断されました。つぶさに見て行けば大きな被害であった事は間違いないんですが、なにぶんにもその全容は東日本大震災の陰に隠れてイマイチ伝わり切らない部分があった事は否めません。その大震災の記録を風化させず留めるために、森宮野原の駅前には震災復興記念館が建設されています。

 

あの夜は東北の被災地から送られてくる衝撃的な映像に全く一睡も出来ずにテレビに噛り付いていたっけ。ひっきりなしにテレビの画面に現れる緊急地震速報の文字とアラート音、そこに東北ではなく「長野県・新潟県・福島県」の文字が現れた時に、いったい日本はどうなってしまうのだろうか、という言いようのない戦慄を覚えたのを記憶している。最終的にこの地震では災害関連死による死者3名、負傷者10名の人的被害と、その他のインフラを含め大きな爪痕を残し、政府の激甚災害にも指定されました。


地震による土砂崩れに巻き込まれ、中空に放り出された線路。ちょうど上部の写真、栄大橋から俯瞰した地点である事がわかります。それでも東日本大震災の混乱の中、たった1ヵ月半で築堤を盛り直して線路を開通させたのだから長野支社のリカバリー能力たるや恐れ入る。そして全面運転再開にこぎつけたのが4月29日だから、ちょうど訪れた日の6年前のことだったんだね。


レンガ積みの年代物らしい中条川の橋台。築堤は崩れたものの、橋台は地震に耐えて残ったようだ。遠く奥志賀の山々と寄り添うように流れる千曲川。この風景を見ていると、とても大きな地震があった事など信じられないような穏やかな風景だよねえ…

あの時止まった時計を動かすように。きれいな朝日を浴びて、飯山色が森宮野原を目指します。
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桜は見ている

2017年05月04日 06時48分39秒 | 飯山線

(桜の里よ西大滝@西大滝ダム俯瞰)

飯山線沿線随一の桜の名所・西大滝ダム。下流の東京電力信濃川発電所への導水のために作られた発電用ダムですが、ダムの回りには多くの桜が植えられています。お次の撮影地はこの西大滝の桜と飯山線を俯瞰する通称「西大滝の旧道俯瞰」なのですが…意気揚々と俯瞰場所に上がって桜の具合を見下ろしたところ、どうやらピーク過ぎちゃってますね。夜中にロケハンしたときは、結構咲いているかと思ったんだけねえ。


ちょっと失意の西大滝俯瞰。こっから見る西大滝の駅の一本桜もとっくのとうにピークアウトして、僅かに枝に花を残すのみ。テンション上がらないまま長野行きの162D。飯山色の123Dとは隣の桑名川で交換します。こちらは緑のキハ110基本色の単行ですが、出来る事なら単行に飯山色が入ってバッチリ満開の桜と合わせたかった。脳内でのシュミレーションは完璧でも、自然相手の現実はそうは上手く行かないものである。


旧道俯瞰はスノーシェッドを挟んで長野側と十日町側、どちらからでも撮影が出来ます。スノーシェッドの両サイドの俯瞰の間に西大滝の停車が挟まるので、50m程度のスノーシェッドの中をダッシュすれは駅を挟んで前後で二発イケるのがいいところ。まずは長野側の俯瞰。まだまだ雪をかぶった山並みは飯山と上越の間にある開田峠方面だろうか。ブナの芽吹きの中、野々海川の鉄橋を渡って飯山色がやって来ました。


十日町側からの俯瞰。緩やかに集落の先をカーブしながら、飯山色が走り去って行く。こっから桜満開の西大滝の集落を俯瞰して撮りたかった。ただ、桜が物足りないのは仕方がないとして、シャッターを切りながらなんか違和感を感じていたんだよね。ここの俯瞰からは7年前のGWに撮った事があって、その時がちょうど桜の満開の時期に当たった事もあってねえ。実に見事な眺めだったのが忘れられなかったんだけど…


これがその7年前のGWの一枚。さすがに全く同じアングルで撮っている訳ではないんだけど、違和感の理由がお分かりいただけるかと思う。7年前と比べて家の数が明らかに違うのだ。撮影した当時は、北信らしい鮮やかなトタン屋根の並ぶ古民家が連なる集落だった西大滝。7年経って比べてみると、もはやどうしようもない過疎化という現実を痛感するしかない。家がなくなった土地は荒れ、棄てられた田畑は色を失ってしまった。

桜の木だけは変わらず、今年も咲いたであろう西大滝の集落。
美しいだけではない、桜だけが見ている豪雪地帯の集落の厳しい現実がそこにありました。
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