5/21付の朝日新聞奈良版に、銭湯の話題が大きく取り上げられていた。棟形祐水記者のレポートで、見出しは《財政難 老後の湯直撃 奈良市「無料券やめ1回100円」》だった。
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000805210003
記事によると《市内に計12ある銭湯は、利用客の8割が無料入浴券を利用するお年寄り》《入浴料は大人380円だが、奈良市は「老春手帳」を交付する市内在住の70歳以上の高齢者に対し、月15回分の公衆浴場の無料入浴券を配っている。これが見直し案では、1回あたり100円の負担を利用者に求めている》。
《風呂なし世帯の減少で銭湯の利用者は年々減るうえ、最近では「スーパー銭湯」と呼ばれる大規模店に若者や家族連れを奪われがち。原油高も追い打ちをかけ、燃料代は毎年のように2~3割上がり続ける。後継者難もあり、68年に県内に152軒あった銭湯は、06年には59軒と半分以下に減った。見直し案が実現すると、高齢者の客離れはさらに打撃となる》。市浴場組合の大西弘一組合長は《利用者の一部負担が始まったら、市内の銭湯の4分の1が廃業するかもしれない》と危惧する。
記事では、年金暮らしの方の《内風呂はあるが、水道代が重くのしかかるため、銭湯を愛用する。何より、近所の人との会話が楽しみだという。「しょっちゅう通えるのは無料だから。でも、負担が決まったら、年金暮らしだし、入浴の回数は減らさなあかんやろな」と顔を曇らせる》という話も紹介されていた。
私の同僚(奈良市在住)からも、同居している母親がしょっちゅう銭湯へ行って、ご近所の方との会話を楽しんでいる、という話を聞いた。この場合は、水道代や燃料代を惜しんで行っているわけではなく、純粋にコミュニケーションの場を求めているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/9f/e12fcce84d84cdb766b37fafe95f0538.jpg)
私も学生時代には銭湯のお世話になっていた。生活の1つのアクセントのようなものだった。決まった時間に銭湯へ行き、帰りは本屋で立ち読みをしたり、食料品店でジュースを買ったりして下宿へ戻る。夏場は脱衣場に冷房が効いていたので、ゆっくり涼めるのも有り難かった。
だから後に家を建てても、スーパー銭湯のなかった頃は、家族で銭湯や、写真のお寺の浴場(霊山寺内の薬師湯殿)へよく立ち寄った。大きな浴槽で足を伸ばしていると、とてもリラックスできるし、同じ湯船に入っている人と会話もできる。これは他国にはない、日本の文化だと言えるかも知れない。
先日来、当ブログ記事(呉善花さんが語る「日本人の縄文的世界観」)のコメント欄でも、常連コメンテーターの蔵武Sさん、金田さん、横田さんがこの件について問題提起されていた。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/eec9d9a1ee6e06678436f966724f401a
金田さんの話が興味深かった。《少し前の探偵ナイトスクープに「風呂屋の番台に座りたい」と云う依頼がありました。この依頼主が、何と小学生なのです。また、こだわりが有って、梯子で上がる番台、ボイラーは薪炊き、富士山のペンキ絵、脱衣鍵は木札の大きいの、唐破風の門構え、等々の条件の風呂屋、だったのです。これが何と東京の目黒に残っていたのです》。
この依頼は、番組のホームページによると《大阪府の主婦(42)から。9歳の息子は、映画「ALWAYS三丁目の夕日」を見て以来、昭和にはまっている。昭和のドラマやグッズに興味を持ち、今では周りから“昭和オタク”と言われるようだ。そんな彼の夢は「銭湯の番台に座る」こと。その夢がかなえば、他のことにも興味を持つと思うので、彼の理想の銭湯を探して欲しい》というものだった。
金田さんの話は続く。《ペンキ絵はタイル絵に、番台はカウンターに、木札の鍵はコインロッカーに変貌しています。唐破風の門などは、言わずもがな、で有ります》《スーパー銭湯とは違うモノが風呂屋には有ります。私は、風呂屋を文化として残したかったら、むしろ補助金政策よりも、文化的価値の上がる様な改装や、変に高度成長期に省力化を推し進めた様な所を元に戻す様な改装に対する制度融資や、無担保無保証の政府系金融政策などで、風呂屋自体の魅力をブラッシュアップしていく、と云う手法が大切かと思います。補助金は、対症療法でしか無いですよ》。これは素晴らしい逆転の発想だ。
銭湯というのは、純粋に市場原理で考えれば衰退産業であり、内風呂やスーパー銭湯に代替される時代遅れの産物なのだろうが、一方ではこのように、歴史的建造物であり、社会福祉(お年寄りなど町内のコミュニケーション)の施設であり、町衆の文化を体現した施設ともいえる。これについては、ブログをご覧の皆さんから引き続きご意見(コメント)をいただきたいものだ。
なお蔵武Sさんは、上記記事のコメント欄で《奈良町にある銭湯が今月いっぱいで閉じることになった。菊岡漢方さんと奈良町物語館がある道を東に行った芝突抜町の寧楽湯だ。昨年か一昨年には市立図書館の南、東寺林町の奈良温泉も駐車場になってしまった。奈良町の魅力の一つは銭湯の存在にあると思っている小生には一大事》。
《そんなわけで24か25、あるいは31日に寧楽湯さんに浸かって銭湯を考える会を開いてみたい。近くに知人の古本屋があるので入浴の後はそこで麦酒飲みながらなんて、どうだろう。たぶん店主は歓迎してくれると思うが》と呼びかけておられる。ビールが飲めるのは「酒仙堂」という古本屋さんだ。お近くの方は、ぜひ。
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000805210003
記事によると《市内に計12ある銭湯は、利用客の8割が無料入浴券を利用するお年寄り》《入浴料は大人380円だが、奈良市は「老春手帳」を交付する市内在住の70歳以上の高齢者に対し、月15回分の公衆浴場の無料入浴券を配っている。これが見直し案では、1回あたり100円の負担を利用者に求めている》。
《風呂なし世帯の減少で銭湯の利用者は年々減るうえ、最近では「スーパー銭湯」と呼ばれる大規模店に若者や家族連れを奪われがち。原油高も追い打ちをかけ、燃料代は毎年のように2~3割上がり続ける。後継者難もあり、68年に県内に152軒あった銭湯は、06年には59軒と半分以下に減った。見直し案が実現すると、高齢者の客離れはさらに打撃となる》。市浴場組合の大西弘一組合長は《利用者の一部負担が始まったら、市内の銭湯の4分の1が廃業するかもしれない》と危惧する。
記事では、年金暮らしの方の《内風呂はあるが、水道代が重くのしかかるため、銭湯を愛用する。何より、近所の人との会話が楽しみだという。「しょっちゅう通えるのは無料だから。でも、負担が決まったら、年金暮らしだし、入浴の回数は減らさなあかんやろな」と顔を曇らせる》という話も紹介されていた。
私の同僚(奈良市在住)からも、同居している母親がしょっちゅう銭湯へ行って、ご近所の方との会話を楽しんでいる、という話を聞いた。この場合は、水道代や燃料代を惜しんで行っているわけではなく、純粋にコミュニケーションの場を求めているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/9f/e12fcce84d84cdb766b37fafe95f0538.jpg)
私も学生時代には銭湯のお世話になっていた。生活の1つのアクセントのようなものだった。決まった時間に銭湯へ行き、帰りは本屋で立ち読みをしたり、食料品店でジュースを買ったりして下宿へ戻る。夏場は脱衣場に冷房が効いていたので、ゆっくり涼めるのも有り難かった。
だから後に家を建てても、スーパー銭湯のなかった頃は、家族で銭湯や、写真のお寺の浴場(霊山寺内の薬師湯殿)へよく立ち寄った。大きな浴槽で足を伸ばしていると、とてもリラックスできるし、同じ湯船に入っている人と会話もできる。これは他国にはない、日本の文化だと言えるかも知れない。
先日来、当ブログ記事(呉善花さんが語る「日本人の縄文的世界観」)のコメント欄でも、常連コメンテーターの蔵武Sさん、金田さん、横田さんがこの件について問題提起されていた。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/eec9d9a1ee6e06678436f966724f401a
金田さんの話が興味深かった。《少し前の探偵ナイトスクープに「風呂屋の番台に座りたい」と云う依頼がありました。この依頼主が、何と小学生なのです。また、こだわりが有って、梯子で上がる番台、ボイラーは薪炊き、富士山のペンキ絵、脱衣鍵は木札の大きいの、唐破風の門構え、等々の条件の風呂屋、だったのです。これが何と東京の目黒に残っていたのです》。
この依頼は、番組のホームページによると《大阪府の主婦(42)から。9歳の息子は、映画「ALWAYS三丁目の夕日」を見て以来、昭和にはまっている。昭和のドラマやグッズに興味を持ち、今では周りから“昭和オタク”と言われるようだ。そんな彼の夢は「銭湯の番台に座る」こと。その夢がかなえば、他のことにも興味を持つと思うので、彼の理想の銭湯を探して欲しい》というものだった。
金田さんの話は続く。《ペンキ絵はタイル絵に、番台はカウンターに、木札の鍵はコインロッカーに変貌しています。唐破風の門などは、言わずもがな、で有ります》《スーパー銭湯とは違うモノが風呂屋には有ります。私は、風呂屋を文化として残したかったら、むしろ補助金政策よりも、文化的価値の上がる様な改装や、変に高度成長期に省力化を推し進めた様な所を元に戻す様な改装に対する制度融資や、無担保無保証の政府系金融政策などで、風呂屋自体の魅力をブラッシュアップしていく、と云う手法が大切かと思います。補助金は、対症療法でしか無いですよ》。これは素晴らしい逆転の発想だ。
銭湯というのは、純粋に市場原理で考えれば衰退産業であり、内風呂やスーパー銭湯に代替される時代遅れの産物なのだろうが、一方ではこのように、歴史的建造物であり、社会福祉(お年寄りなど町内のコミュニケーション)の施設であり、町衆の文化を体現した施設ともいえる。これについては、ブログをご覧の皆さんから引き続きご意見(コメント)をいただきたいものだ。
なお蔵武Sさんは、上記記事のコメント欄で《奈良町にある銭湯が今月いっぱいで閉じることになった。菊岡漢方さんと奈良町物語館がある道を東に行った芝突抜町の寧楽湯だ。昨年か一昨年には市立図書館の南、東寺林町の奈良温泉も駐車場になってしまった。奈良町の魅力の一つは銭湯の存在にあると思っている小生には一大事》。
《そんなわけで24か25、あるいは31日に寧楽湯さんに浸かって銭湯を考える会を開いてみたい。近くに知人の古本屋があるので入浴の後はそこで麦酒飲みながらなんて、どうだろう。たぶん店主は歓迎してくれると思うが》と呼びかけておられる。ビールが飲めるのは「酒仙堂」という古本屋さんだ。お近くの方は、ぜひ。