5/11(日)、近畿日本鉄道が運営する近畿文化会の臨地講座(現地見学会)「東大寺と手向山八幡宮」に参加した。
http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/hiking_info/hiking0004533.html
この会のことは、近鉄のホームページによると《近畿文化会は、「文化財愛護の心を養い、歴史的知識を高める」ことを目的に、近畿日本鉄道の文化事業として昭和24年に発足しました。毎月、専門講師の執筆による「近畿文化」を発行し、近畿を中心に、講師の解説を受けながら社寺・古墳・史跡などの文化財を訪ねる臨地講座の開催など、様々な文化事業を行っています》とある。
http://www.kintetsu.jp/kouhou/etc/bunka.html
入会金300円、年会費2200円を払うと誰でも会員になれる。 臨地講座は毎月2回程度実施される。大学の先生などが講師となって現地を案内して下さると、いう贅沢なツアーだ。
私は昨年11月に会員登録したのだが、冬場はあまり気が進まなかった。今回は市内だし、奈良検定対策にもなりそうだったので、初参加することにした。会社のN先輩をお誘いすると、すぐに会員登録され、一緒に参加していただけることになった。初めてのツアーに連れができるのは心強い。
集合は、東大寺南大門前に朝10時。小雨が降っていたのに、周囲は外国人を含むたくさんの観光客でごった返していた。前日は、目の前の県新公会堂に中国の胡錦濤国家主席が訪れ、昼食会が催されたばかりだ。
今回の参加者は約50人で、シルバー世代が中心だ。講師は菅谷文則氏(滋賀県立大学名誉教授)で、近鉄秘書広報部のT部長も同行された。参加費は2600円(弁当持参)だった。
※菅谷氏について書かれたブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/itoko9/35424517.html
ちゃんと会報に内容が詳しく紹介されていて、《今回は、明治維新による神仏分離により、東大寺から離された神社を含めて、東大寺旧境内の社(やしろ)を巡ることによって、神仏習合を理解したいと思う。また、今日の東大寺の輪奐(りんかん=立派な建物)を造営した鎌倉時代の重源(ちょうげん)上人と、江戸時代の公慶上人の墓所を拝するものである》(「近畿文化702号」)。
主な訪問場所をざっと並べてみる。
・手向山(たむけやま)八幡宮…大仏殿東側の丘の上=冒頭の写真
・興成(こうじょう)神社…二月堂と若狭井の間
・飯道(いみち)神社…二月堂南東の丘の上
・遠敷(おにゅう)神社…二月堂北東の丘の上
・転害(てがい)門
・五劫院(ごこういん)内の公慶上人墓所
・重源上人墓所…三笠霊園の上・三笠温泉郷のすぐ下=次の写真の中央

手向山八幡宮は、神仏分離以前は東大寺八幡宮と呼ばれていた。大仏の守護神として九州の宇佐八幡神を勧請(かんじょう)したものだ。興成、飯道、遠敷の3つの神社は、お水取りの際に僧がお参りする神社(小さな祠)である。
手向山八幡宮では権宮司(ごんぐうじ)さんのお話を聞かせていただいた。五劫院では、予約なしでは拝観できないアフロ仏「五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏」も拝観できた。この仏さまは宋から請来したもので、五劫という無限に近い長い修行のうちに髪がぼさぼさに伸びてしまったのだそうだ。
奈良まほろばソムリエ検定・奈良通1級(第1回)には、「公慶上人の墓所がある寺の名は?」という問題が出ていたが、その正解が五劫院だった。他の選択肢は「東大寺勧進所」(大仏復興の寺務所)、「東大寺龍松院」(公慶上人の住坊)、「空海寺」(東大寺僧侶の葬儀のための寺)だった。1級合格者のひろさんから「良問」とされた問題である。
東大寺の旧境内には、まだまだたくさんの神社や祠(ほこら)がある。かつてはお坊さんが神社で般若心経を唱えたり、神主さんが柏手を打って仏さまを拝んでいたそうだ。神さまと仏さまが今のように区別されていなかったそうだが、それを身をもって知ることができた。
集合場所の南大門から解散場所の重源上人墓所まで4km、その前後を足すと約7kmほどの徒歩コースだった。朝は少し雨が降っていたがすぐ止み、みずみずしい新緑の中を楽しく歩いた。ユーモアたっぷりの菅谷氏のお話に、T氏のツッコミぶりが秀逸で、まるで息の合った漫才コンビのようだ。お2人とも、参加者にはおなじみのレギュラー出演者のようだ。
面白くてためになる、素晴らしいツアーだった。早速、N先輩と一緒に6/29の「古代葛城の仏像」を申し込んだ。「百聞を一見で実らす」という言葉があるが、本で読んだことについて、実物を見て反芻(はんすう)すると、理解が深まる。6/29のツアーの結果も、ぜひ当ブログで紹介したい。
http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/hiking_info/hiking0004544.html
http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/hiking_info/hiking0004533.html
この会のことは、近鉄のホームページによると《近畿文化会は、「文化財愛護の心を養い、歴史的知識を高める」ことを目的に、近畿日本鉄道の文化事業として昭和24年に発足しました。毎月、専門講師の執筆による「近畿文化」を発行し、近畿を中心に、講師の解説を受けながら社寺・古墳・史跡などの文化財を訪ねる臨地講座の開催など、様々な文化事業を行っています》とある。
http://www.kintetsu.jp/kouhou/etc/bunka.html
入会金300円、年会費2200円を払うと誰でも会員になれる。 臨地講座は毎月2回程度実施される。大学の先生などが講師となって現地を案内して下さると、いう贅沢なツアーだ。
私は昨年11月に会員登録したのだが、冬場はあまり気が進まなかった。今回は市内だし、奈良検定対策にもなりそうだったので、初参加することにした。会社のN先輩をお誘いすると、すぐに会員登録され、一緒に参加していただけることになった。初めてのツアーに連れができるのは心強い。
集合は、東大寺南大門前に朝10時。小雨が降っていたのに、周囲は外国人を含むたくさんの観光客でごった返していた。前日は、目の前の県新公会堂に中国の胡錦濤国家主席が訪れ、昼食会が催されたばかりだ。
今回の参加者は約50人で、シルバー世代が中心だ。講師は菅谷文則氏(滋賀県立大学名誉教授)で、近鉄秘書広報部のT部長も同行された。参加費は2600円(弁当持参)だった。
※菅谷氏について書かれたブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/itoko9/35424517.html
ちゃんと会報に内容が詳しく紹介されていて、《今回は、明治維新による神仏分離により、東大寺から離された神社を含めて、東大寺旧境内の社(やしろ)を巡ることによって、神仏習合を理解したいと思う。また、今日の東大寺の輪奐(りんかん=立派な建物)を造営した鎌倉時代の重源(ちょうげん)上人と、江戸時代の公慶上人の墓所を拝するものである》(「近畿文化702号」)。
主な訪問場所をざっと並べてみる。
・手向山(たむけやま)八幡宮…大仏殿東側の丘の上=冒頭の写真
・興成(こうじょう)神社…二月堂と若狭井の間
・飯道(いみち)神社…二月堂南東の丘の上
・遠敷(おにゅう)神社…二月堂北東の丘の上
・転害(てがい)門
・五劫院(ごこういん)内の公慶上人墓所
・重源上人墓所…三笠霊園の上・三笠温泉郷のすぐ下=次の写真の中央

手向山八幡宮は、神仏分離以前は東大寺八幡宮と呼ばれていた。大仏の守護神として九州の宇佐八幡神を勧請(かんじょう)したものだ。興成、飯道、遠敷の3つの神社は、お水取りの際に僧がお参りする神社(小さな祠)である。
手向山八幡宮では権宮司(ごんぐうじ)さんのお話を聞かせていただいた。五劫院では、予約なしでは拝観できないアフロ仏「五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏」も拝観できた。この仏さまは宋から請来したもので、五劫という無限に近い長い修行のうちに髪がぼさぼさに伸びてしまったのだそうだ。
奈良まほろばソムリエ検定・奈良通1級(第1回)には、「公慶上人の墓所がある寺の名は?」という問題が出ていたが、その正解が五劫院だった。他の選択肢は「東大寺勧進所」(大仏復興の寺務所)、「東大寺龍松院」(公慶上人の住坊)、「空海寺」(東大寺僧侶の葬儀のための寺)だった。1級合格者のひろさんから「良問」とされた問題である。
東大寺の旧境内には、まだまだたくさんの神社や祠(ほこら)がある。かつてはお坊さんが神社で般若心経を唱えたり、神主さんが柏手を打って仏さまを拝んでいたそうだ。神さまと仏さまが今のように区別されていなかったそうだが、それを身をもって知ることができた。
集合場所の南大門から解散場所の重源上人墓所まで4km、その前後を足すと約7kmほどの徒歩コースだった。朝は少し雨が降っていたがすぐ止み、みずみずしい新緑の中を楽しく歩いた。ユーモアたっぷりの菅谷氏のお話に、T氏のツッコミぶりが秀逸で、まるで息の合った漫才コンビのようだ。お2人とも、参加者にはおなじみのレギュラー出演者のようだ。
面白くてためになる、素晴らしいツアーだった。早速、N先輩と一緒に6/29の「古代葛城の仏像」を申し込んだ。「百聞を一見で実らす」という言葉があるが、本で読んだことについて、実物を見て反芻(はんすう)すると、理解が深まる。6/29のツアーの結果も、ぜひ当ブログで紹介したい。
http://www.kintetsu.co.jp/event-hiking/hiking_info/hiking0004544.html