※今日の記事は長いので、要点を太字にする。御用とお急ぎの方は、太字部分を追っていただきたい。
佐賀県武雄市には、樋渡啓祐(ひわたし・けいすけ)氏という名物市長がいる。昨年の2月16日、忙しいスケジュールを縫って、奈良市の「市民公開講座(奈良市職員養成塾)」に来られた。演題は「武雄市の地域活性化の取り組み」で、質疑応答を含めて2時間半という長丁場だった。講座の「講師プロフィール」によると《1969年佐賀県武雄市朝日町生れ。武雄高校から、東京大学へ進み、経済学部を卒業後、旧総務庁に入る。内閣府参事官補佐、総務省課長補佐、高槻市市長公室長などを歴任し、2006年4月から武雄市長》とある。
「開催趣旨」には《「市政運営は、まずやってみることが大切。」「やっての失敗は怒らないが、先送り、やらないでの失敗は怒る。」「市長の仕事は、自らの責任で地域が豊かになること。」と語る、樋渡市長。武雄市での取り組みを参考に、スピード感、挑戦する姿勢、分かり易さ、ポジティブ思考など、地域を元気にするために必要な意識変化のきっかけづくりとなることを目指します》。
あいにく私は都合がつかず欠席したが、出席したN先輩が「とても面白い講演だった。日本Twitter学会を立ち上げたり、市役所にいのしし課やフェイスブック係(現在はフェイスブック・シティ課)を設けたり。早速著書を買ってきたので、これを読めば?」といって『首長パンチ 最年少市長GABBA奮戦記』(講談社刊)という本を貸してくれたので、すぐに読んだ。プロフィールからは想像もつかないような、疾風怒濤の人生を歩んでこられたのだ。目次を拾うと
1.沖縄のおばあに泡盛をかけられた
2.官邸から大阪へ
3.最年少市長と佐賀のがばいばあちゃん課
4.医師会というパンドラの箱
5.リコール、そして全面戦争!
6.武雄から風を起こす
というものである。トホホな話がたくさん出ていてとても面白いのであるが、「UT-Life」(東京大学公認、学生が作る東大HP)というサイトの「東大な人」というインタビューコーナーに、市長のもう少しシリアスな側面がたっぷりと出ているので、こちらを引用する(2009年8月の取材)。
佐賀県武雄市市長の樋渡啓祐さんは、総務省の官僚を務め、全国最年少(当時)で市長になり、テレビドラマ「佐賀のがばいばあちゃん」のロケ誘致など地域活性化のために精力的に働いており、全国から注目を集めている。これまでの人生について学生時代と市長になってからを中心にお話を伺った。
樋渡氏の似顔絵(氏のFacebookより)
■モラトリアムとしての大学生活
(東大に)入学してすぐは、燃え尽きた状態になってしまいました。僕の高校では4年ぶりの東大合格者だったぐらいで、東大入学が自分にとってはハードルが異様に高かったこともその一因でしょう。挫折感と閉塞感がありましたね。周りは頭がよさそうだし、授業も面白くなかったですし。
■転機となったNHKの集金アルバイト
そんな大学生活の転機となったのが、NHKの集金のアルバイトです。駒場キャンパスで募集のビラをたまたまもらって、直感的に面白そうだなと思って始めました。やってみると面白かったです。なぜかというと、ただお金下さいって行くわけじゃなくて、やはりいかにお金を引き出すかという作戦があるわけですよ。だからそこで戦略とそれに基づく戦術、交渉術というのを学びましたね。
当時NHKの集金バイトをしていた学生は、早稲田や慶応など他の大学の人も含めて200人ぐらいいました。その中で僕はずっとトップでした。さまざま工夫をして作戦を立て、それでやればできるんだなって再確認できました。
「近代建築物語」全体実行委員会(8/10)で撮影。トップ写真および下の3枚とも
■世界が自分のキャンパス
新しい世界を直に感じたいと思って、一念発起して世界20カ国ぐらいを巡る旅に出たのが大学の後半です。だからほとんどキャンパスにはいませんでしたね(笑)。僕のキャンパスは世界だって思っていましたから。旅行した先で心に残っているのはイタリアです。ある時イタリアのシエナという都市の近くの貧しい街に行きました。日本人は初めてだと言われました。そこでアッと思ったのは、みんな人生を楽しんでいるということです。身なりは貧しいのですが、家族や地域の人と楽しんでいるのです。
お世話になった家族は、別れるときは泣いてくれました。そこで人のつながりとか絆とかを学びました。そして精神的に豊かなことは物質的に豊かなことよりも高次だなと思いました。それを大学の時に感じられたっていうことはとても大きかったです。自分で入っていって体験したことが、その一瞬が何万冊の本を読むよりも僕にとっては価値がありました。まちづくりで大切なのは気持ちだと思いました。その人たちは自分たち、そして自分たちの生まれた街を誇りに思っていると言っていましたから。
■キャリアになって
大学卒業後は総務庁に入りました。キャリアだったので駆け出しの時からいろいろ大きな仕事をさせてもらえました。総務庁に入って以来、左遷や栄転を繰り返しましたが、その中で、出向先の内閣官房ではとても一人ではできない仕事を経験しました。それとチームでやった時の達成感を味わいました。
出向して大阪府高槻市の市長公室長(企画広報部長)のときは隣の吹田市から関西大学の誘致にも成功しました。幼稚園から大学院まで丸ごと誘致しようというすさまじい構想を立て、それに沿って、今もう出来上がりつつあります。あとはそんなふうに結構いろいろなところでバリバリやっていました。そういうわけで関西弁を話せない公務員として向こうではちょっとした有名人でした。このときも市役所の仲間に恵まれました。今でも付き合いが続いています。
■市長になったきっかけ
市長になったきっかけは、ちょっとしたことでした。30歳の時に高校時代の同級生の結婚披露宴に呼ばれスピーチをしたことです。その披露宴は政治家一族の披露宴でした。そしてそこで行った私の即興のスピーチが抜群に面白かったらしく、その場で、次の武雄市長選挙に出てほしいと言われました(笑)。
30代半ばで体力もあるし、それまで12年間公務員をやってきていましたから経験もそれなりにはあります。名誉職として帰ってくるんじゃなくて、自分の体が一番動く時に市長になる、そして、故郷に帰ってまちづくりを通じた恩返しをするというのはいい選択肢だと思いました。これが人生の最大の転機となりました。
■勝つなんて思っていなかった
(現役をダブルスコアで破り市長になって)とにかく僕の最初の仕事は知名度を上げることだと思いました。何故東大生がちやほやされるかと言うと、それは知られているからなんですね。それは街も同様で、知られないと街は元気にならないのです。だから僕の仕事は自分の力を活用して、まず、街の知名度を上げることだと思ったのです。そうすればみんな元気になるだろうと。そこに舞い込んできたのが「佐賀のがばいばあちゃん」のドラマの話です。それ以来ずっと知名度を上げるためのいろいろな取り組みを重ねてきました。特産品化を目指してレモングラス(レモンの香りがするハーブの一種)を作ったり、いのしし課を作ったりしました。gripする、掴むってことですよね。
今までの市長と逆のことをやろうと心がけています。例えば、様々な案件で最後に判断するのが普通の市長なのですが、僕の場合は最初に動きます。それで流れを作って、残る細かいところは職員の皆さんにお任せしますというやり方です。この前やった、議会の様子をYoutubeで流すという企画もそうです。僕が最初にバーンと言ってあとはお任せという完全なトップダウンなのです。これが悪いと言う人もいますけれど。
普通の市長より20年は早く市長になってますから、僕には経験はない反面、しがらみもないのです。そういった「ない」ということのメリットを生かそうと思いました。普通は「ある」ということがメリットですよね。でも僕の「ない」ことのメリットは何かなと考えた時に、勢いとか勘とか直感とかそういうのを生かそうと思いました。それが自分の持ち味だと考えるようにしました。足りないのは、周りの職員の皆さんや市民の皆さんに聞いて補えばいいと思っています。
■市長になって良かったこと悪かったこと
僕は普通の公務員と違って勤務時間がありません。やる時は24時間やりますが気が乗らない時はやらなくて良いし、それは自由裁量ですもんね。市長というのは政治家だから勤務時間がないのです。それは良いですね。自分の好きなようにできるから。その分責任はあるけれども、僕には責任よりも自由が魅力的です。自分である程度コントロールができる点が魅力的です。サラリーマンは自由がないと思います。それに比べると今は個人商店のおっちゃんみたいなものです。しかも4年に1回選挙だから、そこでリフレッシュできますしね。どういうふうに評価されるのだろうと。
■これからについて
最初は3期12年で辞めようと思っていたのですが、思った以上にやはり面白いですね。僕は、市長と言うのは腰掛で国会議員や知事を目指すとか何とか言われていますが、やはり今のポジションが最高に面白く、楽しいし、やりがいもあります。だからこのまま続けようと思っていますが、それが12年になるのかもう少し長くなるのかは判りません。
今は少なくない給料は頂いていますが、自分のためにやっているというのは0割ですね。その認識が間違っているかもしれませんが、武雄市のためにやっている気持です。そのことを妻とも話していたのですが、そこで妻が言ったのが、「1%でも自分のためにやっていると思うようになったら、あなたが辞めるときだ」ということです。なるほどなと思いましたね。
24時間365日休みはないでしょ。褒められることなんて100回に1回あるかないかですしね。挙句の果てには怪文書流されたり、リコールされるし……。それでも何でやれるかというと、楽しいからですね。
さて前置きが長くなったが(これからが本論である)、私は金曜日(8/10)、この樋渡市長にお会いするという僥倖に恵まれた。奈良市と武雄市が連携して観光客の誘客促進を図ることになり、その一環として、明治の建築家・辰野金吾(佐賀県出身)が設計した武雄温泉の楼門や奈良ホテルを題材に、「近代建築物語」という事業をスタートさせたのである。私はたまたま実行委員会委員ご指名を受け、この日に開催された「全体(武雄市&奈良市)実行委員会」に出席したのである。
ひととおりの議事のあと、樋渡市長は、自らが出演されたテレビ番組「がっちりマンデー」(TBS系)のVTRを上映された。これは今年の7/8に放送された「儲かる地方自治体」のひとコマである。番組のHPから要点をピックアップすると
樋渡市長が目指す自治体とはなんですか?
樋渡市長:稼ぐ自治体!儲かる自治体!それによって我々には税収が来るじゃないですか。それを実際に稼げない人たちに再投資できるんですよ。それが福祉であり、それが子育て政策なんですよ。
樋渡市長のFacebookサイトより
市長、あれはなんですか?
樋渡市長:フェイスブックシティ課です。武雄市のホームページをフェイスブックに一元化したんです。(以前のHPの)アクセス数が月5万件だったのが300万件を超しています!
人気サイトに入ることで、武雄市のホームページを見に来る人が、1年前の、なんと60倍に!さらに、他のメリットとして、コストもこれまでかかっていた費用の3分の1以下になったそうです。どうして、こんなに違うのかというと…、ホームページを作るには、一からデザインなどをするのでデザイン代がかかります。さらに、データを保存するためのコンピューター、サーバー代もかかります。ところがフェイスブックに移すと、デザインは、おおまかな外枠がすでにあるので、そんなにかからない。サーバー代は、フェイスブックのものをタダで間借りするのでゼロ。グッと安くなるのです!
しかし、樋渡市長、ここからさらに儲かりビジネスを思いつきました!なんと、お役所が通販サイトを立ち上げたのです!その名も「ファンバイ良品たけお」!武雄市内で採れた野菜や工芸品、人気のお店の商品などを、ネットでお取り寄せ出来る、まさに、ネット上の直売所!
武雄市のサイトは、出品者から手数料はもらわない!つまり売り上げた分は全部、出品者の儲けに!一体どうして!?
樋渡市長:通販サイトで出品者に売り上げが出ると、税金の量も増えるからです。
武雄市内のお店や農家の方が儲かれば、そのぶん武雄市の税収もアップ!だから手数料をもらう必要がないのです!スタートしてまだ8ヶ月ながら、すでに50品目を売り出し中!売上げも800万円以上!
市長は、なんとレンタル業界の王者、ツタヤを全国に展開するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に市民図書館の運営をお願いしちゃったのです!では、民間のプロがやると、どう変わるのか?まずは、図書館が年中無休でオープンする!閉館時間も夕方6時から夜9時まで延長!もちろん、本を借りるのはタダ!さらに、図書カードだけでなく、Tカードでも借りられる!
しかもその上、Tポイントまで付いちゃう!
図書館の運営費は武雄市持ちですが、ツタヤのノウハウで運営してもらうことで、今まで1億4500万円だったコストが、1000万円以上節約できる予定なのだとか。さらになんと本やCD売り場もオープンする!そんな新武雄市図書館(仮)は来年4月からスタート予定!
手数料無料の通販サイト(しかもそれをFacebook上で展開)、図書館の運営をTSUTAYAに委託し、年中無休・夜9時まで開館とは、すごいビジネスモデルである。その夜は市内で懇親会があり、奈良市側のスタッフが奈良の美味しい地酒を用意してくださった。
武雄市からは「鍋島 純米吟醸 中汲み 五百万石」というお酒をご持参いただいた。飲んでビックリ、これはスッキリさわやか、とても美味しい日本酒である。「九州は甘口」という先入観があったが、そんなことはないのだ。相当酒米を磨き上げ、雑味のない、大吟醸と見まがうばかりのお酒に仕上がっていた。通販サイトで調べると「1800ml 2,940円(税込)」と出ていたが、品薄でなかなか手に入らないとのことである。
樋渡市長一行は、辰野金吾設計の奈良ホテルに泊まられた。樋渡市長はどういう行動をされたのか、市長のTwitterサイトを追ってみると、
8月9日 今日は夕方、奈良市で、奈良市長と会う。武雄市から奈良市へ観光業界を中心に10名程度お邪魔するが、奈良市×武雄市の観光連携について具体的に協議する。奈良市は奈良ホテル、武雄市は武雄温泉楼門と、辰野金吾博士の珍しい和風建築で共通点。楽しみだ。勿論、泊まりは奈良ホテル!
8月10日 昨晩は遅くまで、奈良市長ほか皆さんにお世話になりました。なら燈花会は特筆すべき美しさ。東大寺南大門のライトアップは圧倒。昼間感じることができない迫力。奈良は凄い。
8月10日 武雄温泉楼門、東京駅、日銀本店などを手がけた辰野金吾博士が建設した明治時代からの奈良ホテルに投宿。機能的なホテルも良いが、やはりクラシカルは落ち着く。これから朝食、奈良ラン。奈良公園の周り10キロくらい走ろう。
8月10日 奈良RUN! 奈良ホテルを起点に、奈良公園、東大寺、春日大社、奈良町、興福寺を観光しながら走る。9.5キロ。最後は暑くなってばてるが、爽快。京都ランも良いが奈良ランも雄大で素晴らしい。病みつきになりそう。
8月10日 奈良ホテルの伝説の朝食の茶がゆ、美味しい。卵焼きも良かった。部屋から興福寺五重塔も見える。クラシックホテルは落ち着く。仕事もはかどった。これから未来の吉野町長・中井吉野町議と会う。楽しみだ。
奈良ホテル内を見学(8/10)
(こちらはFacebook、8月10日夜7時頃)
最終便で福岡へ。武雄に帰ります。仲川奈良市長、中井吉野町議始め皆さんお世話になりました。
(再びTwitter)
8月12日午前9時頃 これから初盆参り。武雄は盛んな気がする。お盆を迎えるという実感。
8月12日、吉野町議の中井章太さんはFacebookに、このように記されていた。《昨日は奈良にて楽しい時間を過ごさせていただきました。奈良には、本当に素晴らしい自然と歴史があることを改めて感じると共に、奈良全体でどのように繋げ活かしていくか、樋渡市長を見ていると、首長の発想、行動力、繋がりに尽きると感じました。何事においてもスピード感は人を引き付けてくれますね。そのスピード感が武雄市にはあります。武雄市のスピード感と職場の明るさを肌で感じるために、武雄に行かれてはいかがでしょうか? 何か感じるはずです》。
うーん、これは超人である。奈良に来られる前はサンフランシスコにおられたのである。奈良に来られ、会議を済ませて奈良ホテルに泊まり、翌朝は10キロのランニング、中井章太さんとの面談を済ませ(ランチは「無心」のつけ麺)、奈良国立博物館にも立ち寄って、飛行機で(福岡経由)武雄に帰り、8月12日(日)朝にはお墓参りをされているのだ。
樋渡市長の発想力、行動力、人脈力(繋がり)、即応力(スピード感)には脱帽するほかない。まこと、スーパーウルトラパワフル市長である。奈良市の仲川市長も、吉野町の中井町議も、樋渡市長とのお付き合いを通じてそれを学んでおられるに違いない。
奈良と武雄の誘客促進・相互送客も、柔軟な発想に切り替えることで、ブレイクスルーできるかも知れない。樋渡市長の言動を拝見していて、そんな明るい兆しが見えてきたように思う。武雄市さん、これからも輝き続けてください。奈良も、頑張ります!
※土屋夏彦氏のブログにも、樋渡市長への詳細なインタビュー記事が掲載されている。
佐賀県武雄市には、樋渡啓祐(ひわたし・けいすけ)氏という名物市長がいる。昨年の2月16日、忙しいスケジュールを縫って、奈良市の「市民公開講座(奈良市職員養成塾)」に来られた。演題は「武雄市の地域活性化の取り組み」で、質疑応答を含めて2時間半という長丁場だった。講座の「講師プロフィール」によると《1969年佐賀県武雄市朝日町生れ。武雄高校から、東京大学へ進み、経済学部を卒業後、旧総務庁に入る。内閣府参事官補佐、総務省課長補佐、高槻市市長公室長などを歴任し、2006年4月から武雄市長》とある。
「開催趣旨」には《「市政運営は、まずやってみることが大切。」「やっての失敗は怒らないが、先送り、やらないでの失敗は怒る。」「市長の仕事は、自らの責任で地域が豊かになること。」と語る、樋渡市長。武雄市での取り組みを参考に、スピード感、挑戦する姿勢、分かり易さ、ポジティブ思考など、地域を元気にするために必要な意識変化のきっかけづくりとなることを目指します》。
あいにく私は都合がつかず欠席したが、出席したN先輩が「とても面白い講演だった。日本Twitter学会を立ち上げたり、市役所にいのしし課やフェイスブック係(現在はフェイスブック・シティ課)を設けたり。早速著書を買ってきたので、これを読めば?」といって『首長パンチ 最年少市長GABBA奮戦記』(講談社刊)という本を貸してくれたので、すぐに読んだ。プロフィールからは想像もつかないような、疾風怒濤の人生を歩んでこられたのだ。目次を拾うと
首長パンチ--最年少市長GABBA奮戦記 | |
樋渡啓祐 | |
講談社 |
1.沖縄のおばあに泡盛をかけられた
2.官邸から大阪へ
3.最年少市長と佐賀のがばいばあちゃん課
4.医師会というパンドラの箱
5.リコール、そして全面戦争!
6.武雄から風を起こす
というものである。トホホな話がたくさん出ていてとても面白いのであるが、「UT-Life」(東京大学公認、学生が作る東大HP)というサイトの「東大な人」というインタビューコーナーに、市長のもう少しシリアスな側面がたっぷりと出ているので、こちらを引用する(2009年8月の取材)。
佐賀県武雄市市長の樋渡啓祐さんは、総務省の官僚を務め、全国最年少(当時)で市長になり、テレビドラマ「佐賀のがばいばあちゃん」のロケ誘致など地域活性化のために精力的に働いており、全国から注目を集めている。これまでの人生について学生時代と市長になってからを中心にお話を伺った。
樋渡氏の似顔絵(氏のFacebookより)
■モラトリアムとしての大学生活
(東大に)入学してすぐは、燃え尽きた状態になってしまいました。僕の高校では4年ぶりの東大合格者だったぐらいで、東大入学が自分にとってはハードルが異様に高かったこともその一因でしょう。挫折感と閉塞感がありましたね。周りは頭がよさそうだし、授業も面白くなかったですし。
■転機となったNHKの集金アルバイト
そんな大学生活の転機となったのが、NHKの集金のアルバイトです。駒場キャンパスで募集のビラをたまたまもらって、直感的に面白そうだなと思って始めました。やってみると面白かったです。なぜかというと、ただお金下さいって行くわけじゃなくて、やはりいかにお金を引き出すかという作戦があるわけですよ。だからそこで戦略とそれに基づく戦術、交渉術というのを学びましたね。
当時NHKの集金バイトをしていた学生は、早稲田や慶応など他の大学の人も含めて200人ぐらいいました。その中で僕はずっとトップでした。さまざま工夫をして作戦を立て、それでやればできるんだなって再確認できました。
「近代建築物語」全体実行委員会(8/10)で撮影。トップ写真および下の3枚とも
■世界が自分のキャンパス
新しい世界を直に感じたいと思って、一念発起して世界20カ国ぐらいを巡る旅に出たのが大学の後半です。だからほとんどキャンパスにはいませんでしたね(笑)。僕のキャンパスは世界だって思っていましたから。旅行した先で心に残っているのはイタリアです。ある時イタリアのシエナという都市の近くの貧しい街に行きました。日本人は初めてだと言われました。そこでアッと思ったのは、みんな人生を楽しんでいるということです。身なりは貧しいのですが、家族や地域の人と楽しんでいるのです。
お世話になった家族は、別れるときは泣いてくれました。そこで人のつながりとか絆とかを学びました。そして精神的に豊かなことは物質的に豊かなことよりも高次だなと思いました。それを大学の時に感じられたっていうことはとても大きかったです。自分で入っていって体験したことが、その一瞬が何万冊の本を読むよりも僕にとっては価値がありました。まちづくりで大切なのは気持ちだと思いました。その人たちは自分たち、そして自分たちの生まれた街を誇りに思っていると言っていましたから。
■キャリアになって
大学卒業後は総務庁に入りました。キャリアだったので駆け出しの時からいろいろ大きな仕事をさせてもらえました。総務庁に入って以来、左遷や栄転を繰り返しましたが、その中で、出向先の内閣官房ではとても一人ではできない仕事を経験しました。それとチームでやった時の達成感を味わいました。
出向して大阪府高槻市の市長公室長(企画広報部長)のときは隣の吹田市から関西大学の誘致にも成功しました。幼稚園から大学院まで丸ごと誘致しようというすさまじい構想を立て、それに沿って、今もう出来上がりつつあります。あとはそんなふうに結構いろいろなところでバリバリやっていました。そういうわけで関西弁を話せない公務員として向こうではちょっとした有名人でした。このときも市役所の仲間に恵まれました。今でも付き合いが続いています。
■市長になったきっかけ
市長になったきっかけは、ちょっとしたことでした。30歳の時に高校時代の同級生の結婚披露宴に呼ばれスピーチをしたことです。その披露宴は政治家一族の披露宴でした。そしてそこで行った私の即興のスピーチが抜群に面白かったらしく、その場で、次の武雄市長選挙に出てほしいと言われました(笑)。
30代半ばで体力もあるし、それまで12年間公務員をやってきていましたから経験もそれなりにはあります。名誉職として帰ってくるんじゃなくて、自分の体が一番動く時に市長になる、そして、故郷に帰ってまちづくりを通じた恩返しをするというのはいい選択肢だと思いました。これが人生の最大の転機となりました。
■勝つなんて思っていなかった
(現役をダブルスコアで破り市長になって)とにかく僕の最初の仕事は知名度を上げることだと思いました。何故東大生がちやほやされるかと言うと、それは知られているからなんですね。それは街も同様で、知られないと街は元気にならないのです。だから僕の仕事は自分の力を活用して、まず、街の知名度を上げることだと思ったのです。そうすればみんな元気になるだろうと。そこに舞い込んできたのが「佐賀のがばいばあちゃん」のドラマの話です。それ以来ずっと知名度を上げるためのいろいろな取り組みを重ねてきました。特産品化を目指してレモングラス(レモンの香りがするハーブの一種)を作ったり、いのしし課を作ったりしました。gripする、掴むってことですよね。
今までの市長と逆のことをやろうと心がけています。例えば、様々な案件で最後に判断するのが普通の市長なのですが、僕の場合は最初に動きます。それで流れを作って、残る細かいところは職員の皆さんにお任せしますというやり方です。この前やった、議会の様子をYoutubeで流すという企画もそうです。僕が最初にバーンと言ってあとはお任せという完全なトップダウンなのです。これが悪いと言う人もいますけれど。
普通の市長より20年は早く市長になってますから、僕には経験はない反面、しがらみもないのです。そういった「ない」ということのメリットを生かそうと思いました。普通は「ある」ということがメリットですよね。でも僕の「ない」ことのメリットは何かなと考えた時に、勢いとか勘とか直感とかそういうのを生かそうと思いました。それが自分の持ち味だと考えるようにしました。足りないのは、周りの職員の皆さんや市民の皆さんに聞いて補えばいいと思っています。
■市長になって良かったこと悪かったこと
僕は普通の公務員と違って勤務時間がありません。やる時は24時間やりますが気が乗らない時はやらなくて良いし、それは自由裁量ですもんね。市長というのは政治家だから勤務時間がないのです。それは良いですね。自分の好きなようにできるから。その分責任はあるけれども、僕には責任よりも自由が魅力的です。自分である程度コントロールができる点が魅力的です。サラリーマンは自由がないと思います。それに比べると今は個人商店のおっちゃんみたいなものです。しかも4年に1回選挙だから、そこでリフレッシュできますしね。どういうふうに評価されるのだろうと。
■これからについて
最初は3期12年で辞めようと思っていたのですが、思った以上にやはり面白いですね。僕は、市長と言うのは腰掛で国会議員や知事を目指すとか何とか言われていますが、やはり今のポジションが最高に面白く、楽しいし、やりがいもあります。だからこのまま続けようと思っていますが、それが12年になるのかもう少し長くなるのかは判りません。
今は少なくない給料は頂いていますが、自分のためにやっているというのは0割ですね。その認識が間違っているかもしれませんが、武雄市のためにやっている気持です。そのことを妻とも話していたのですが、そこで妻が言ったのが、「1%でも自分のためにやっていると思うようになったら、あなたが辞めるときだ」ということです。なるほどなと思いましたね。
24時間365日休みはないでしょ。褒められることなんて100回に1回あるかないかですしね。挙句の果てには怪文書流されたり、リコールされるし……。それでも何でやれるかというと、楽しいからですね。
さて前置きが長くなったが(これからが本論である)、私は金曜日(8/10)、この樋渡市長にお会いするという僥倖に恵まれた。奈良市と武雄市が連携して観光客の誘客促進を図ることになり、その一環として、明治の建築家・辰野金吾(佐賀県出身)が設計した武雄温泉の楼門や奈良ホテルを題材に、「近代建築物語」という事業をスタートさせたのである。私はたまたま実行委員会委員ご指名を受け、この日に開催された「全体(武雄市&奈良市)実行委員会」に出席したのである。
「力強い」地方づくりのための、あえて「力弱い」戦略論 | |
樋渡啓祐 | |
ベネッセコーポレーション |
ひととおりの議事のあと、樋渡市長は、自らが出演されたテレビ番組「がっちりマンデー」(TBS系)のVTRを上映された。これは今年の7/8に放送された「儲かる地方自治体」のひとコマである。番組のHPから要点をピックアップすると
樋渡市長が目指す自治体とはなんですか?
樋渡市長:稼ぐ自治体!儲かる自治体!それによって我々には税収が来るじゃないですか。それを実際に稼げない人たちに再投資できるんですよ。それが福祉であり、それが子育て政策なんですよ。
樋渡市長のFacebookサイトより
市長、あれはなんですか?
樋渡市長:フェイスブックシティ課です。武雄市のホームページをフェイスブックに一元化したんです。(以前のHPの)アクセス数が月5万件だったのが300万件を超しています!
人気サイトに入ることで、武雄市のホームページを見に来る人が、1年前の、なんと60倍に!さらに、他のメリットとして、コストもこれまでかかっていた費用の3分の1以下になったそうです。どうして、こんなに違うのかというと…、ホームページを作るには、一からデザインなどをするのでデザイン代がかかります。さらに、データを保存するためのコンピューター、サーバー代もかかります。ところがフェイスブックに移すと、デザインは、おおまかな外枠がすでにあるので、そんなにかからない。サーバー代は、フェイスブックのものをタダで間借りするのでゼロ。グッと安くなるのです!
しかし、樋渡市長、ここからさらに儲かりビジネスを思いつきました!なんと、お役所が通販サイトを立ち上げたのです!その名も「ファンバイ良品たけお」!武雄市内で採れた野菜や工芸品、人気のお店の商品などを、ネットでお取り寄せ出来る、まさに、ネット上の直売所!
武雄市のサイトは、出品者から手数料はもらわない!つまり売り上げた分は全部、出品者の儲けに!一体どうして!?
樋渡市長:通販サイトで出品者に売り上げが出ると、税金の量も増えるからです。
武雄市内のお店や農家の方が儲かれば、そのぶん武雄市の税収もアップ!だから手数料をもらう必要がないのです!スタートしてまだ8ヶ月ながら、すでに50品目を売り出し中!売上げも800万円以上!
市長は、なんとレンタル業界の王者、ツタヤを全国に展開するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に市民図書館の運営をお願いしちゃったのです!では、民間のプロがやると、どう変わるのか?まずは、図書館が年中無休でオープンする!閉館時間も夕方6時から夜9時まで延長!もちろん、本を借りるのはタダ!さらに、図書カードだけでなく、Tカードでも借りられる!
しかもその上、Tポイントまで付いちゃう!
図書館の運営費は武雄市持ちですが、ツタヤのノウハウで運営してもらうことで、今まで1億4500万円だったコストが、1000万円以上節約できる予定なのだとか。さらになんと本やCD売り場もオープンする!そんな新武雄市図書館(仮)は来年4月からスタート予定!
手数料無料の通販サイト(しかもそれをFacebook上で展開)、図書館の運営をTSUTAYAに委託し、年中無休・夜9時まで開館とは、すごいビジネスモデルである。その夜は市内で懇親会があり、奈良市側のスタッフが奈良の美味しい地酒を用意してくださった。
武雄市からは「鍋島 純米吟醸 中汲み 五百万石」というお酒をご持参いただいた。飲んでビックリ、これはスッキリさわやか、とても美味しい日本酒である。「九州は甘口」という先入観があったが、そんなことはないのだ。相当酒米を磨き上げ、雑味のない、大吟醸と見まがうばかりのお酒に仕上がっていた。通販サイトで調べると「1800ml 2,940円(税込)」と出ていたが、品薄でなかなか手に入らないとのことである。
樋渡市長一行は、辰野金吾設計の奈良ホテルに泊まられた。樋渡市長はどういう行動をされたのか、市長のTwitterサイトを追ってみると、
8月9日 今日は夕方、奈良市で、奈良市長と会う。武雄市から奈良市へ観光業界を中心に10名程度お邪魔するが、奈良市×武雄市の観光連携について具体的に協議する。奈良市は奈良ホテル、武雄市は武雄温泉楼門と、辰野金吾博士の珍しい和風建築で共通点。楽しみだ。勿論、泊まりは奈良ホテル!
8月10日 昨晩は遅くまで、奈良市長ほか皆さんにお世話になりました。なら燈花会は特筆すべき美しさ。東大寺南大門のライトアップは圧倒。昼間感じることができない迫力。奈良は凄い。
8月10日 武雄温泉楼門、東京駅、日銀本店などを手がけた辰野金吾博士が建設した明治時代からの奈良ホテルに投宿。機能的なホテルも良いが、やはりクラシカルは落ち着く。これから朝食、奈良ラン。奈良公園の周り10キロくらい走ろう。
8月10日 奈良RUN! 奈良ホテルを起点に、奈良公園、東大寺、春日大社、奈良町、興福寺を観光しながら走る。9.5キロ。最後は暑くなってばてるが、爽快。京都ランも良いが奈良ランも雄大で素晴らしい。病みつきになりそう。
8月10日 奈良ホテルの伝説の朝食の茶がゆ、美味しい。卵焼きも良かった。部屋から興福寺五重塔も見える。クラシックホテルは落ち着く。仕事もはかどった。これから未来の吉野町長・中井吉野町議と会う。楽しみだ。
奈良ホテル内を見学(8/10)
(こちらはFacebook、8月10日夜7時頃)
最終便で福岡へ。武雄に帰ります。仲川奈良市長、中井吉野町議始め皆さんお世話になりました。
(再びTwitter)
8月12日午前9時頃 これから初盆参り。武雄は盛んな気がする。お盆を迎えるという実感。
8月12日、吉野町議の中井章太さんはFacebookに、このように記されていた。《昨日は奈良にて楽しい時間を過ごさせていただきました。奈良には、本当に素晴らしい自然と歴史があることを改めて感じると共に、奈良全体でどのように繋げ活かしていくか、樋渡市長を見ていると、首長の発想、行動力、繋がりに尽きると感じました。何事においてもスピード感は人を引き付けてくれますね。そのスピード感が武雄市にはあります。武雄市のスピード感と職場の明るさを肌で感じるために、武雄に行かれてはいかがでしょうか? 何か感じるはずです》。
うーん、これは超人である。奈良に来られる前はサンフランシスコにおられたのである。奈良に来られ、会議を済ませて奈良ホテルに泊まり、翌朝は10キロのランニング、中井章太さんとの面談を済ませ(ランチは「無心」のつけ麺)、奈良国立博物館にも立ち寄って、飛行機で(福岡経由)武雄に帰り、8月12日(日)朝にはお墓参りをされているのだ。
樋渡市長の発想力、行動力、人脈力(繋がり)、即応力(スピード感)には脱帽するほかない。まこと、スーパーウルトラパワフル市長である。奈良市の仲川市長も、吉野町の中井町議も、樋渡市長とのお付き合いを通じてそれを学んでおられるに違いない。
奈良と武雄の誘客促進・相互送客も、柔軟な発想に切り替えることで、ブレイクスルーできるかも知れない。樋渡市長の言動を拝見していて、そんな明るい兆しが見えてきたように思う。武雄市さん、これからも輝き続けてください。奈良も、頑張ります!
※土屋夏彦氏のブログにも、樋渡市長への詳細なインタビュー記事が掲載されている。