tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

必携!『結び会 もうひとつの奈良観光』

2010年11月18日 | ブック・レビュー
奈良地域おこしネットワーク 結び会― もうひとつの奈良観光

ビレッジプレス

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NPO法人奈良元気もんプロジェクト編『奈良地域おこしネットワーク 結び会(むすびえ) もうひとつの奈良観光』(ビレッジプレス刊)1500円という本が出た。帯には《だれも知らなかった“もうひとつの奈良” そこにいきづく人たちの“ドラマ“ 光あるもの50選!》とある。奈良県下にある、50もの「光ある」人、団体、イベント、活動を丹念に取材され、丁寧に紹介されている。これは労作だ。

同書の監修者は、編集者・イベントプロデューサーの林信夫氏(平城遷都1300年記念事業協会 県内・広域事業プロデューサー)、編集長は井上久光氏(天理大学広報部主事)である。

奈良まちおこし結び会のHPには《NPO法人奈良元気もんプロジェクトが奈良県全域の活性化のために取り組む事業「奈良まちおこし結び会(むすびえ)」の一環として企画・出版いたしました。奈良にたくさんある“光ある人・もの・できごと”を「もうひとつの観光」(オルタナティブ・ツアー)の視点から厳選し、光あるもの50件を掲載しました。各地の光あるものの紹介は、光を見つけ・育て・観(しめ)そうとする、そこにいきづく人たちのドラマにもなりました。また、地域おこしプロデューサー陣による中身の詰まった座談会も掲載しています》。

「オルタナティブ・ツアー」とは聞き慣れない言葉だが、マス・ツーリズム(団体旅行などの大衆観光)の対義語で、グリーンツーリズムやエコツーリズムが代表例だ。掲載されている50件すべてをリストアップすると、

[景観・町並・街道]
日本一ホットなロードレース(上北山村)
世界遺産の小辺路ウォーキング(野迫川村)
今日も笑顔。果無のおばあさん(十津川村)
秋の香ただよう『山の辺のあかり』(天理市)
日本の原風景の中の原風景(桜井市など)
絶景かな。歴史的空間(天理市)
こだわりの技。工房街道『三茶屋』(吉野町)
道を守る『伊勢本街道保存会』(御杖村など)
多彩な魅力あふれる『きたまち』(奈良市)
再生。喫茶スペース『工場跡事務室』(奈良市)
一棟貸宿泊施設も『紀寺借家』(奈良市)
静謐、活力『宗教学園都市天理』(天理市)

[飲食・食材・宿泊]
現代に生きる僧坊酒『正暦寺』(奈良市)
一石三鳥の芋焼酎造り(平群町)
五つの徳『五徳味噌』(奈良市)
伝統、こだわりの醤油(奈良市、山添村)
古代の調味料『醤』(奈良市、五條市ほか)
伝統の食『朴の葉寿司』(黒滝村)
明治創業の行者宿『朝日館』(川上村)
南和の宿(川上村、上北山村)
みんな笑顔に。神納川の農家民泊(十津川村)
日本酒ミニ博物館『つぼ』(天理市)
隠れ家。喫茶『コックピット』(田原本町)
地の味を。フレンチ『めしあがれ』(奈良市)

[自然・農業・林業]
『達っちゃんクラブ』大活躍(川上村)
銘木店を和菓子職人が応援(下市町、奈良市)
先人の思い継ぐ『森野旧薬園』(宇陀市)
夢は農の広域連携『王隠堂』(五條市)
動植物と共生『むろう大沢農場』(宇陀市)
『山野草の里づくりの会』(桜井市)
『笹ゆりギャザリング』(上牧町)
荒れる竹を竹炭に(大和郡山市、天理市)
独立を選び邁進する村(山添村)
アートで村おこし『ふるさと元気村』(宇陀市)
天からの贈り物『結崎ネブカ』(川西町)
色も鮮やかな『片平あかね』(山添村)
きらびやかな『宇陀金ごぼう』(宇陀市)
東京の『大和野菜』を見る目(築地市場)

[歴史・伝統・文化]
何百ものホタルが舞う「蛍能」(宇陀市)
鎮守の杜『葛木御歳神社』(御所市)
600年の伝統行事『蓮取り行事』(大和高田市)
漆復興を。『ぬるべの郷』(曽爾村)
桃太郎生誕の地は活力みなぎる(田原本町)
悲恋物語、再生物語。新町通り(五條市)
『茶筌の里』高山の伝統工芸(生駒市)
絶えざる和紙への挑戦。植和紙(吉野町)
よそを知る跡継ぎ息子『倭太鼓 榛』(宇陀市)
盛況。大衆演劇『弁天座』(大和高田市)
『銭亀堂』のお祈りおばさん(平群町)
皇居跡が残る『賀名生の里』(五條市)

いずれ劣らぬ県下の「光ある人・もの・できごと」が網羅されている。中には「東京の『大和野菜』を見る目」として、築地青果市場・仲卸に取材した記事もある。《「食卓が満腹から満足へとシフト」する中、奈良の魅力を伝えていけるのが『大和野菜』だ》と頼もしい。

柳本もてなしのまちづくり会、奈良街道まちづくり研究会、農悠舎 王隠堂(のうゆうしゃ おういんどう)、山添村観光ボランティアの会、五條新町など、以前から存じ上げていて、当ブログで紹介した団体も、たくさん登場する。
※柳本は、感動がいっぱい!
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/9e146e2359fa29d81ec80783f2929de3
※奈良きたまち交流会
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/05bd569df5a6bc372019f87844090d52
※王隠堂邸のこだわり野菜料理
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/4fad7fffa1510fe26c077326f0d174f0
※山添村の巨石めぐり
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/81fb9e81f53a40cbd22a626c146b436f
※むかし町・五條市新町通り
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/3abec55f997f695774164e87bb225f25

中には私の大好物、奥吉野伝統の「朴の葉寿司」まで紹介されている。毎年、天川村の「民宿あおば」さんから送っていただいている。葉の保存が難しいので商業ベースに乗りにくいようだが、素朴で美味しい押し寿司である。
※朴の葉寿司
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/7d8d423930695ed00b9a6af67acc0f40

圧巻は、巻末の座談会である。《地域おこしプロデューサー陣が語る 「奈良の地域おこし」ポスト平城遷都1300年に向けて》の演題で、乾昌弘氏(NPO法人奈良元気もんプロジェクト理事長)、堀井良殷氏(財団法人大阪21世紀協会理事長)、村田武一郎氏(奈良県立大学教授)、山本陽一氏(NPO法人大和社中理事長)、林信夫氏(司会)という豪華メンバーである。

キーワードがどんどん飛び出す。《次の世代に引き継ぐことができる経済基盤や社会的仕組みを残すことが地域おこしの目標》(村田氏)。県下各所につながりがないのは、《大阪を起点にした放射状交通体系の影響でもある。奈良県は南部へ行くと歴史的に関係が深かった東西方向のつながりがなく、東部へ行くと南北方向のつながりがない》(同氏)。《役所の文化・論理と民間の文化・論理は違います。役所は行政法の支配下、会社は商法、われわれは民法でやっている。(中略) 民間もお上に頼ることに慣れすぎているのではないか》(堀井氏)。

《大仏商法というか、誰かがやってくれる的な感覚を強く感じました。また、よそ者、若者を受け入れてもらえない体質も確かにありました(中略) まだまだ市民の方が奈良へ愛着を持っているかというとわからない》(乾氏)。《団塊の世代は問題が多い。社会参加に対する意識調査をみると、それより上の世代と比べ地域活動への参加意識が低い。結局自分。自分が楽しいことをやりたいという意識》(村田氏)。《昔、淡路島は御魚国(みけつくに)として奈良の朝廷に食べ物を届けていた。そういう理屈さえ立てば、奈良で魚介類を出してもおかしくない》(同氏)。

《「なんで地域おこしをやるのか」というテーマにもどると、このままほっとくと地域は無茶苦茶になる、これに尽きるでしょう。犯罪だって増えてくる。なんでも放置すると錆びるのです》(堀井氏)。《私たちの課題は後継者です。「さがす」ということでいうと、私は「人さがし」をやっていきたい》(山本氏)

とにかく、この本は使える。地域おこし活動に携わっている人、観光振興に携わっている人はもちろん、奈良に息づく人たちの鼓動に触れたい人、新しい奈良の魅力を発見したい人、そして奈良を訪れようとするすべての人にお薦めしたい。ぜここの本を携えて、県下各所をお訪ねいただきたい。「1300年祭後の奈良観光」を考える手引き書としても、最適である。私も、取材しながらブログに書き漏らしている団体もあるので、それらは順次、当ブログで紹介していきたい。

NPO法人奈良元気もんプロジェクトさん、良いご本を出版していただいて、有り難うございました。

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秘宝・秘仏特別開帳(4)金峯山寺 金剛蔵王権現像

2010年11月17日 | 平城遷都1300年祭
本年9/1から12/9まで、金峯山寺(きんぷせんじ 吉野郡吉野山)の「蔵王堂」(本堂)で、「金剛蔵王権現像」(秘仏・重要文化財)が特別公開されている。平城遷都1300年祭の「祈りの回廊~奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳」事業として、「金峯山寺の特別な百日」と銘打って公開されているものだ。蔵王権現像は、国内最大級の秘仏である。

会社のOBが11/20(土)から12/5(日)までの土日祝(ただし11/21を除く)、ここで仏像の説明などの拝観支援を行うので、その事前準備のため、11/10(水)、お寺を訪ねた。蔵王堂主任の川畑妙仁さんが、丁寧に堂内を案内して下さった。

お寺の公式HPによると《大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています》。

《明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています》。

金峯山寺の本堂が蔵王堂である。Wikipedia「金峯山寺」によると《山上ヶ岳の大峯山寺本堂(「山上の蔵王堂」)に対し、山下(さんげ)の蔵王堂と呼ばれる。屋根は入母屋造檜皮葺き。2階建てのように見えるが構造的には「一重裳階(もこし)付き」である。豊臣家の寄進で再興されたもので、扉金具の銘から天正19年(1592年)の建立とわかる》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%B3%AF%E5%B1%B1%E5%AF%BA

《高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートル。木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模をもつといわれる豪壮な建築である。内部の柱には、原木の曲がりを残した自然木に近い柱が使われていることが特色で、ツツジ、チャンチン、梨などと称される柱が用いられている。内陣には巨大な厨子があり、本尊として3体の巨大な蔵王権現像(秘仏)を安置する》。

この蔵王権現像(トップ画像)が圧巻である。Wikipedia「金峯山寺」によると《本堂内陣の巨大な厨子に安置される秘仏。本堂が再興された天正19年(1592年)頃の制作と思われる。3躯のうち中尊は像高728センチ、両脇の像も6メートル近い巨像である。寺伝では中央の像が釈迦如来、向かって右の像が千手観音、左の像が弥勒菩薩を本地とし、それぞれ過去・現世・来世を象徴するという(「本地」は本来の姿である仏、「権現」は仏が姿を変えて現れたものの意)》。

《通常は秘仏で拝観できず、開帳日も定められていない。近年では、吉野・大峯の世界遺産登録を記念して、2004年7月から翌年6月まで開帳されたほか、2007年10月4日~8日にも開帳された。また現在、平城遷都1300年祭を記念して2010年9月1日から12月9日まで開帳されている》。

拝観料(大人1,000円、中高生800円、小学生600円)を納めると、木製の「護摩木 De ストラップ」がもらえる。お願いごとを書いて納める護摩木の上部をパチンと外すと、ストラップ(紐付き)になって、持ち帰ることができるというスグレモノである。本堂に上がるには、靴を脱いで袋に入れなければならないが、その靴袋が金峯山寺のロゴ入りのエコバッグになっていて、持ち帰ることができる。黒地に赤いロゴが、カッコいい。私は洗って何度も使っている。

とにかく金剛蔵王権現像は、今回の特別開帳を外すと、いつ拝めるのか分からない。ぜひ、12/9の期間中に拝観していただきたいと思う。なお、今年は桜の紅葉は不発に終わった。10月まで続いた暑さのため、木が弱って葉を落としてしまったのだ(桜が見事に紅葉するのは、何年かに1度しかない。それほど桜が傷んでいるのだ)。モミジは11/10に紅葉が始まっていたから、そろそろ見頃かも知れない。お早めにお訪ねを。お土産の柿の葉寿司は、「ひょうたろう」「やっこ」「たつみ」がお薦めですよ~。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/aaf8caa8a753791eea26ec746759aa8e
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Topic 結び会元気フォーラム2010は、11/20(土)開催!

2010年11月16日 | お知らせ
「奈良まちおこし結び会(むすびえ)元気フォーラム2010」は、11/20(土)に奈良県立万葉文化館(奈良県高市郡明日香村飛鳥10)などで開催される。主催は、奈良まちおこし結び会実行委員会と、社団法人平城遷都1300年記念事業協会である(共催)。

奈良まちおこし結び会は《県内で繰り広げられる“ひと”“もの”“できごと”を見つけ、対話し、連携して、響き合い、奈良県内一円に広がることをめざしています》《地域の魅力ある“できごと”を結集し、そして”地域の活力”をひとかたまりにし“新しい奈良”を全国に、世界に発信していけるよう取り組みます》(結び会の公式HP)という趣旨で運営されている。

奈良まちおこし結び会実行委員会のメンバーは、「2010年塾」(「文化制作ボランティア」を育てる県の講座)の卒塾生などで構成される。同実行委員会の母体は、県から委託を受けて同塾を運営するNPO法人「奈良元気もんプロジェクト推進会議」である。
http://musubie.net/

元気フォーラムでは、私もパネルトークのコメンテーターとして、お呼びがかかっている。当日は「関西文化の日」なので、万葉文化館の入館料は無料だし、イベントの参加料も無料だ。出し物は4つである。

1.講演会「万葉集の魅力」(13:30~14:45)
講師:奈良女子大学名誉教授 坂本信幸氏
場所:同館・企画展示室

2.パネルトーク「奈良まちおこし結び会 元気フォーラム」(同館・企画展示室)
(1)「地域おこしと観光」(11:05~12:35)
・バサラ祭り、高取城まつり、うたの夢街道の3つのグループが発表
・コメンテーターは私のほか、NHK奈良放送局、平城遷都1300年記念事業協会、ならの魅力創造課(県文化観光局)から各1名
・発表とコメントのあと、25分の質疑応答
(2)「まちおこしの現状報告と今後の観光」(15:00~16:30)
・高取土佐街なみ天の川計画実行委員会、むろう大沢農場、森とふれあう市民の会、奈良元気もんプロジェクト推進会議が発表
・コメンテーターは私のほか、NHK奈良放送局、県ならの魅力創造課から各1名
・発表とコメントのあと、参加者全員(7人)による55分のフリートーク
・コーディネーター(司会)は、朝廣佳子さん

3.万葉コンサート
(1)ウエルカムコンサート(11:00~13:00)
場所:JR・近鉄桜井駅南口前
(2)もてなしコンサート(14:00~15:30)
場所:奈良県立万葉文化館・野外ステージ

4.約20店による展示即売会「奈良大和路の味処」(10:00~16:30)
場所:同館・玄関前広場

講演やトークを聞き、お腹が空けば即売会、疲れたらコンサート、とよくできたイベントである。万葉文化館内も見学できる。明日香村では、ちょうど紅葉も始まることだろう。ぜひ、万葉文化館をお訪ねいただきたい。

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錦秋の円成寺

2010年11月15日 | 奈良検定
円成寺(えんじょうじ 奈良市忍辱山町1273)では、平城遷都1300年祭の「祈りの回廊~奈良大和路秘宝・秘仏特別開帳」事業に協力して、寺宝展が開催されている(11/21まで)。私は11/12(金)、寺宝展などの拝観ガイドのため、同寺を訪れた。行く前に、先輩(会社のOB)から「ちょうど紅葉のピークや」と聞かされていたので、カメラ持参で訪れた。

早めに家を出て、集合時間の15分前に到着すると、そこは一面、キラキラ輝く赤と朱と金と緑、まさに錦の世界が広がっていた。紅葉の写真を挟みながら、この古刹について、Wikipedia「円成寺」を引用しつつ紹介する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E6%88%90%E5%AF%BA


午前8時40分頃の参道(浄土式庭園の周り)。もとは県道だったそうだ



《円成寺(えんじょうじ)は、奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の仏教寺院。山号は忍辱山(にんにくせん)、本尊は阿弥陀如来。奈良市街東方の柳生街道沿いに位置する古寺で、仏師・運慶のもっとも初期の作品である国宝・大日如来像を所蔵する》。多宝塔に安置されている大日如来像は、柴門ふみが「ベスト1」に挙げている仏さまである。







《寺に伝わる「和州忍辱山円成寺縁起」によれば、沿革は次の通りである。天平勝宝8歳(756年)、聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真の弟子にあたる僧・虚瀧(ころう)により開創される。万寿3年(1026年)に命禅が再興して十一面観音を祀ったという。しかし、鑑真とともに来日した僧の中に虚瀧なる人物は実在せず、奈良時代にさかのぼる遺品、出土品等も見当たらない。以上のことから、この草創縁起は後世の仮託と思われ、「中興の祖」とされている命禅が円成寺の実質的な開基であると推定されている》。





《平安時代末期の保元元年(1156年)、京都仁和寺の寛遍が東密忍辱山流(とうみつにんにくせんりゅう)を開き、寺運は興隆した。この頃に本尊が当初の十一面観音から阿弥陀如来に代わったと思われる。室町時代、応仁の乱(1466年-1476年)の兵火により堂塔伽藍の大半が焼失したが、栄弘が入り再興された。江戸時代は寺中に子院23か寺を有するほどであった。明治の廃仏毀釈による混乱により衰え、現在に至る》。


楼門には「忍辱山」の扁額がかかっている


境内から見た楼門

《正門にあたる楼門の前には平安時代の面影を残す、池を中心とした浄土式庭園(名勝)が広がる。楼門を入ると本堂を中心に鎮守社の春日堂、白山堂、宇賀神本殿、多宝塔などが建つ》《現存する多宝塔は平成2年(1990年)の再建で、旧多宝塔は大正9年(1920年)、老朽化のため撤去された。ちなみに、鎌倉市の長寿寺にある観音堂は、旧円成寺多宝塔の初層部分の材を用いて建てられたものである》。







奈良の古刹に関する名物サイト「古都奈良の名刹寺院の紹介、仏教文化財の解説など」では、中西忠さんが円成寺を丁寧に紹介されている。なお以下の写真は、昼食休憩後に撮影した午後の風景である。
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/enjyouji.htm

《円成寺は奈良市にあるとはいえ市街から少し外れた東山にあり、バスの便が悪いため、訪れる人は疎らです。しかしそれだけに、歴史が息づいたひっそりと静まりかえった境内を、独り占めに出来る束の間の幸せがあります》。


浄土式庭園から見た楼門

《円成寺へのアクセスは車利用の方は奈良駅周辺からですと約12㎞、20分程度で信号も少なくすいすい走れます。しかし、バス利用の方はバスの便は日に数便です。事前に後述の「時刻表」を調べてからお訪ねください。円成寺は国道369号線沿いにありさらに進むと「柳生十兵衛」でお馴染みの「柳生の里」がありシーズンともなれば「柳生街道」のハイキングの途中で立ち寄られる方の方が多いようです》。



《応仁の乱の被害が僻地のここまで及びさらには廃仏毀釈の被害で、大伽藍の面影が失われる壊滅的な打撃を受け、無住の寺院となったりいたしましたが現在は、こぢんまりとして時々刻々と変化する自然に溶け込み清潔で静寂さが漂う寺院となっております》《「忍辱山 円成寺」は「にんにくせんえんじょうじ」と読みます。 「駐車場」と道路を隔て「標石」があり、そこから数歩で苑池、さらに少し行くと「通用門」です。その間の距離は50m程です》。


楼門横の紅葉が、逆光に映える

《石段を上がると「楼門」ですが通常は楼門からの出入りは出来ません。三間一戸の楼門です。山岳寺院にふさわしい桧皮葺の楼門は自然の山懐に抱かれております。楼門とは楼造の門のことで、縁はありますが通常あるべき縁高欄、扉、連子窓がありません。しかし、後述の「本堂」が簡素な「舟肘木」なのに一番格式の高い堂宇の建築様式である「三手先」であります》。



本堂は《焼失後再建されました入母屋造の妻入りで、寺院建築で妻入りは珍しいと言えます。「縋破風屋根」は普通だらりとして締りのないものとなりますが、屋根勾配は緩く、軒は両端でわずかに反り上がる見栄えのよい軽快な建物となっております。深い緑の背景で一層引き立られ、洗練された落ち着いた感じとなっております》。


寝殿造りの本堂(阿弥陀堂)

《桧皮葺を桧皮葺型「銅板葺」の屋根に改変されましたが優美な曲線の屋根で見た感じとしては柿葺のようでありました。特殊な屋根の形で清水寺の本堂の屋根を思い出しました。本堂の階段両側に、回り縁より少し高くなった高床式の舞台造りがありますが「外陣」として使われたのでしょうか。珍しい構造の舞台の床は手入れがよく行き届いてピカピカに光っておりました。三間の向拝は中央に階段、左右の柱間が舞台造となっております》。


多宝塔は3代目。トップ写真とも

《「多宝塔」は我が国独特のものでこれほど装飾的な塔はありません。多宝塔は下層が方形で、上層が円形です。上層が円形のため、端では軒の出が大きくなり本多宝塔も「四手先」となっております。多宝塔は「二重塔」ではなく、「一重塔」に「裳階(もこし)」が付いたものです。多宝塔の本尊は、「多宝如来」と「釈迦如来」の二尊併座ですが、多宝塔が大日如来の象徴という考えからか大日如来を祀ることもあります。本多宝塔も運慶作の大日如来像が安置されております。大正時代、前多宝塔は鎌倉のお寺に売却されましたので新造です》。 


多宝塔の上部 

《「大日如来像」は多宝塔の「本尊」で、わが国彫刻史上最高の仏師「運慶」の作で、大日如来像では唯一の国宝という貴重なものです。大日如来は「毘盧遮那仏」とも言います。大日如来は何時の時代も座っているみ仏です。「如来」は「瓔珞」、「臂釧」、「腕釧」などの装飾品並びに「宝冠」など一切付けないのですが、大日如来だけは「菩薩」と同じ身だしなみです。大日如来の「印」は、金剛界の智拳印で、年配の方には懐かしい「忍者・猿飛佐助」の「印」はこの密教の印から考えられたと言われております》。


鎮守社の春日堂と白山堂



《運慶二十歳頃の世に出る最初の貴重な作品であり、青年運慶が刻んだだけあって「本像」は青年らしい若々しさに溢れております。六重蓮華座の台座に結跏趺坐しております。豊頬で、瞑想の伏目勝ちな眼、きりりと結ばれた口許で清純さと叡智の富んだ厳かな表情です》。

 
裏から見た春日堂と白山堂

《春日堂(かすがどう)と白山堂(はくさんどう)とは現存最古の春日造の社殿で、春日大社の社殿を拝領したものです。それだけに、春日造社殿の貴重な資料でもあります。両堂は袖板壁で結ばれております。 春日堂では春日大明神を祀り白山堂では白山大権現を祀られております》。


池畔の売店では、松茸が出ていた

《社殿であるのに社でなく堂であるのは、廃仏毀釈の際に取り壊しを免れるためなど言われておりますがそれならば紛らわしい春日とか白山の名称は避けたと思われます。多分、小さな仏堂であるので取り壊される心配がなかったので春日社、白山社を春日堂、白山堂と変えるだけで灘を避け得たのでしょう。それとも、両堂共に廃仏毀釈当時は相当痛んでいたため取り壊しの対象とならなかったのでしょうか。我が国最小の国宝建造物で、両堂共に同寸法、同形式で石段を上がった台地に建築されております》。

紅葉のピークにお寺のお手伝いに当たるとは、ラッキーだった。紅葉のピークは続いているし、寺宝展は11/21まである。ぜひいちどお訪ねいただきたい。
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行ってきました!四国巡礼2010

2010年11月14日 | 日々是雑感
昨年に続き今年も、四国にお参りしてきた。とある講の「四国八十八ヶ所巡拝団」(旅行実施:琴参バス株式会社観光部)に参加させていただき、10月16日(土)~21日(木)の5泊6日の日程で、第29番国分寺から第1番霊山寺まで回り、最後に高野山(和歌山県伊都郡高野町)の金剛峯寺奥の院にお参りしてきたのである。
※参考:行ってきました!四国巡礼2009(当ブログ内)
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/613e19bbcb66b1b4709a69409e265b38

このバス巡礼(総勢22名)は、一昨年に第88番大窪寺(香川県さぬき市)からスタートし、88か所を逆に回っている(=逆打ち)。私は昨年から参加し、第53番圓明寺(愛媛県松山市)~第30番善楽寺(高知市)までお参りしてきた。今回はその残りを回って「結願(けちがん))」となる。さらに、高野山奥の院に詣でて「満願成就」とする。私はまだ第88番から第54番間までを回り残しているが、皆さんについて高野山までお参りしてきたのである。
※利用させていただいた「琴参バス」のホームページ
http://www.kotosan.co.jp/


第21番太龍寺で(10/18)

昨年は初の参加だったので、戸惑うことが多かった。今年は2回目なので「バスから降り、金剛杖(こんごうづえ)を携えてお寺へ→手水舎(てみずや)で手と口を清める→本堂前でろうそく1本と線香3本に火を灯してお供え→納め札を納札箱に→お賽銭を供えて拝む→皆でお経を唱える→大師堂の前でそれを繰り返す→バスへ戻る」という慌ただしい動作が、比較的スムーズにできた。

「四国巡礼に行くよ」というと、よく引き合いに出されるのが菅直人首相の歩き遍路のことである。私は当時の報道により、04年7月、菅氏は第1番霊山寺(りょうぜんじ 徳島県鳴門市)から第24番最御崎寺(ほつみさきじ 高知県室戸市)まで歩いただけで終わった、とカン違いしていたが、よく調べてみるとその後、菅氏は4回も四国遍路に通っていた(=区切り打ち)。訂正を兼ねてブログ「kojitakenの日記」から引用させていただく。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20100606/1275784083


室戸岬(10/17)

《菅直人が泊まった遍路宿に泊まり、おかみさんの話を聞いたことがある。おかみさんは、菅直人は家族も秘書も連れず、本当に一人で歩いて、宿でも変名を使っていたにもかかわらず、報道陣に足取りを突き止められてしまい、以後は報道陣を引き連れてお寺を回る羽目になったと言っていた。この時、菅直人は徳島県の遍路を踏破し、室戸岬にある高知県最初の札所、24番の最御崎寺(ほつみさきじ)まで歩いた》。

《特に、23番薬王寺から最御崎寺までの、80キロ近くもある単調な道を歩いていたことは事実で、あんなところを歩いたからには、全行程を手抜きせずに歩いたことは間違いないだろう。しかも、菅直人が歩いたのは、酷暑だった2004年7月。あの夏の暑さは尋常ではなかった。それを歩き抜いたのだから、さすがに政治家はタフだ。宿では菅直人の食事中もテレビカメラが回っていて、最御崎寺到着の映像を撮るや否や東京に空輸され、夕方のニュースで放送されたとのことだった》。


室戸岬御厨人窟(みくろど 10/17)。19歳の弘法大師は、ここで求聞持の法を成就

《その後も菅直人が四国遍路歩きを継続していて、53番札所の円明寺(愛媛県松山市)まで、5度に分けて歩いていることを知っている人はほとんどいないだろう。つまり、菅直人は(初回を除いて?)黙って四国遍路を歩いているわけだ》。

初回の遍路を終えた直後の菅氏の公式HPには《お遍路の旅 空海が若い時修行をしたとされる四国の88箇所の寺を巡るお遍路の中で、徳島と高知の室戸までの1番から24番のお寺を、歩きで巡るお遍路の旅を終えて今日帰京。さすがの足はくたびれたが気持ちはすっきり。四国の皆さんをはじめ多くの皆さんから多くの親切と激励を受けた。心から感謝の気持ちで一杯。ありがとうございました》とある。
http://www.n-kan.jp/2004/07/post-725.php


第1番霊山寺(りょうぜんじ)前で(10/20)

私の知らないうちに菅氏は遍路を続けていて、すでに第53番圓明寺までお参りしていたとは、大したものだ。1番から53番までということは、ちょうど私と同じになる。バスで回った私と違い、菅氏は歩いて踏破されたのである。前置きが長くなったが、日付順に、私たちがお参りしたお寺と、記憶に残るシーンをピックアップする。


第28番大日寺

10/16(土)
29 国分寺(こくぶんじ)真言宗智山派 千手観世音菩薩(高知県南国市)
28 大日寺(だいにちじ)真言宗智山派 大日如来(高知県香南市)

この日はスタート日だったので、お参りしたのは2か寺だけだった。国分寺は、名前の通り「土佐の国の国分寺」である。四国八十八ヶ所霊場会の公式HPによると《聖武天皇(在位724~49)が『金光明最勝王経』を書写して納め、全国68ヶ所に国分寺を建立したのは天平13年のころ。土佐では行基菩薩が開山し、天下の泰平と五穀の豊穣、万民の豊楽をねがう祈願所として開創された》。

《土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868~945頃)が浮かんでくる。とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名であるし、貫之が国司として4年間滞在した国府は、国分寺から北東1kmほどの近くで「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心であった》。
http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/29kokubunji/index.html



四国巡礼は「信仰、健康、観光」の「3コウ」だという。この日は、大歩危峡(おおぼけきょう 徳島県三好市)で遊覧船に乗った。「ぼけ」とは「断崖」を意味する古語だそうだ。東洋文化研究家のアレックス・カーが住んでいた祖谷渓(いやだに)も、すぐ近くだ。大歩危峡(吉野川)の両岸の岩(変成岩類)は、徳島県の天然記念物に指定されている。2億数千万年を経て侵食された岩は、見ものである。



10/17(日)
27 神峯寺(こうのみねじ)真言宗豊山派 十一面観世音菩薩(高知県安芸郡安田町)
26 金剛頂寺(こんごうちょうじ、西寺)真言宗豊山派 薬師如来(高知県室戸市)
25 津照寺(しんしょうじ 、津寺)真言宗豊山派 延命地蔵菩薩(高知県室戸市)
24 最御崎寺(ほつみさきじ、東寺)真言宗豊山派 虚空蔵菩薩(高知県室戸市)
別格4 鯖大師本坊(さばだいしほんぼう、八坂寺)高野山真言宗 弘法大師(徳島県海部市海陽町)



津照寺は、室津港(室戸市)のすぐ近くにあり、本堂までは百八段の急な石段を登る。伽藍は、とても派手な色だった。参拝後の昼食は、室戸岬新港「海の駅とろむ」内の「海鮮リストランぢばうま八」でいただいた。新鮮なトロかつおの刺身が、口の中でとろける。



最御崎寺は、菅氏が初回(04年7月)の歩き遍路を終えた寺だ。このお寺と第23番薬王寺(徳島県海部郡美波町)までは、実に単調な道が延々82kmも続く。鉄道も、途中までしか通っていない。この距離を歩き通したとは、大したものだ。菅さんは、エラい!

鯖大師本坊(八坂寺)には、こんな伝説がある。弘法大師空海が《ある朝通り掛かった馬子に積み荷の塩鯖を乞われましたが、口汚くののしられ、ことわられました。馬子が馬引坂まできた時、馬が急に苦しみだし、先ほどの坊様がお大師様と気づいた馬子は鯖を持っておわびし、馬の病気をなおしてくれるように頼みました。お大師様がお加持水を与えると馬はたちまち元気になり、お大師様は八坂八浜の法生島で塩鯖をお加持すると生きかえって泳いでいきました》。
http://www.bekkaku.com/map/04.html



《そこで仏の心を起こした馬子は、この地に庵をたて古今来世まで人々の救いの霊場といたしました。鯖を三年絶ってご祈念すると願いごとがかない、病気がなおり、幸福になれるといつしか人々に、鯖大師と呼ばれているのです。鯖大師でこの由来により鯖を三年食べないことにより子宝成就、病気平癒はじめ、あなたのお願いごとがかなえられます》。

夜(ホテルリビエラししくい泊)は、鯖ならぬカマスの姿造りにカマスの塩焼きと、美味しいお魚を堪能した。



10/18(月)
23 薬王寺(やくおうじ)高野山真言宗 薬師如来(徳島県海部郡美波町)
22 平等寺(びょうどうじ)高野山真言宗 薬師如来(徳島県阿南市)
21 太龍寺(たいりゅうじ)高野山真言宗 虚空蔵菩薩(徳島県阿南市)
20 鶴林寺(かくりんじ)高野山真言宗 地蔵菩薩(徳島県勝浦郡勝浦町)
19 立江寺(たつえじ)高野山真言宗 延命地蔵菩薩(徳島県小松島市)
18 恩山寺(おんざんじ)高野山真言宗 薬師如来(徳島県小松島市)
17 井戸寺(いどじ)真言宗善通寺派 七仏薬師如来(徳島市)

太龍寺は《「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高61メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う》(四国八十八ヶ所霊場会のHP)。このお寺へは、なんと!専用のロープウェイに乗ってお参りするのだ。全長2,775メートルで西日本最長。スイス製のゴンドラは、101人乗りだというからすごい。約10分の空の旅を楽しんだ後、お寺の石段の下に到着する。
http://www.88shikokuhenro.jp/tokushima/21tairyuji/index.html



《四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。徒歩では、中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。1,200年のむかし、大師の修行時代をしのばせる迫力、風格をそなえた古刹である》(同)。



夜(徳島グランドホテル偕楽園泊)には、地鶏のすき焼きなどをいただいた。徳島県に入ると海の幸のウエイトが下がるが、その埋め合わせか、仲居さんが阿波踊りを披露してくれた。これは楽しい。

10/19(月)
16 観音寺(かんのんじ)高野山真言宗 千手観世音菩薩(徳島市)
15 国分寺(こくぶんじ)曹洞宗 薬師如来(徳島市)
14 常楽寺(じょうらくじ)高野山真言宗 弥勒菩薩(徳島市)
13 大日寺(だいにちじ)真言宗大覚寺派 十一面観世音菩薩(徳島市)
12 焼山寺(しょうさんじ)高野山真言宗 虚空蔵菩薩(徳島県名西郡神山町)
11 藤井寺(ふじいでら)臨済宗妙心寺派 薬師如来(徳島県吉野川市)
10 切幡寺(きりはたじ)高野山真言宗 千手観世音菩薩 (徳島県阿波市)
9 法輪寺(ほうりんじ)高野山真言宗 涅槃釈迦如来(徳島県阿波市)
8 熊谷寺(くまだにじ)高野山真言宗 千手観世音菩薩 (徳島県阿波市)
7 十楽寺(じゅうらくじ)高野山真言宗 阿弥陀如来(徳島県阿波市)
6 安楽寺(あんらくじ)高野山真言宗 薬師如来(徳島県板野郡板野町)

この日は11か寺にお参りした。徳島県はお寺が近接しているので、効率よく参拝できるのだ。ただし焼山寺への参道は狭いので、途中でバスを降り、マイクロバスに乗り換える。マイクロに乗り換えてしばらくすると、杖杉庵(じょうしんあん)が見えてくる。四国遍路の元祖といわれる衛門三郎(えもんさぶろう)終焉の地に建てられたお堂で、今も弘法大師と衛門三郎の銅像が建っている。



衛門三郎伝説は四国巡礼には必修知識なので、Wikipedia「衛門三郎」を引用しつつ紹介しておく。《伊予国を治めていた河野家の一族で、浮穴郡荏原郷(現在の愛媛県松山市恵原町・文殊院)の豪農で衛門三郎という者が居た。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。8日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし(つかんで地面にたたきつけたとするものもあり)、鉢は8つに割れてしまった。僧も姿を消した。実はこの僧は弘法大師であった》。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9B%E9%96%80%E4%B8%89%E9%83%8E

《三郎には8人の子がいたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなり、8年目には皆亡くなってしまった。悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る》。

《二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わりたいと託して息を引き取った》。

《大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことという。翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている》。この石手寺(いしてじ)は第51番札所になっていて、私は昨年お参りした。



バスの乗り換え場の近くにある田中食堂で、昼食をとった。なんと、地粉で打ったうどんが食べ放題(お代わり自由)だという。3杯食べた人もいたが、私は2杯でグッとこらえた。野趣に富む、とても美味しいうどんであった。



夜は、御所温泉観光ホテルで、名物「焼石鍋」(味噌味)をいただいた。この鍋は琴参拝バスからのお接待(差し入れ)だそうで、たっぷり入った山海の珍味がまったりと煮え、有り難くいただいた。

10/20(火)
5 地蔵寺(じぞうじ)真言宗御室派 勝軍地蔵菩薩(徳島県板野郡板野町)
4 大日寺(だいにちじ)東寺真言宗 大日如来 (徳島県板野郡板野町)
3 金泉寺(こんせんじ)高野山真言宗 釈迦如来(徳島県板野郡板野町)
2 極楽寺(ごくらくじ)高野山真言宗 阿弥陀如来(徳島県鳴門市)
1 霊山寺(りょうぜんじ)高野山真言宗 ご本尊=釈迦如来(徳島県鳴門市)



第1番札所の霊山寺では、妖しい雰囲気のマネキンが迎えてくれる。ここは四国八十八ヶ所のスタート地点なので、巡礼グッズがすべて揃うのだ。昼食は鳴門・うづ乃家の弁当を車中でいただいたが、これがめっぽう旨い。泊まりは高野山の宿坊・蓮花院だった。こちらの精進料理(夕食)は、バラエティ豊かでとても美味しかった。ご住職の奥様が精進料理の大家だと、あとで知って納得した。
http://www.shukubo.jp/05_syukubo/a20.html

講のメンバーに、蓮花院住職で大僧正、伝燈大阿闍梨でもいらっしゃる東山泰清(ひがしやま・たいせい)師の知人がいたおかげで、師自らお経を上げて下さり、堂内もご案内いただいた。このお寺は徳川家総菩提所なので、徳川家の位牌など、ゆかりの品々がたくさん収められている。

師は、日本経済新聞の名物コラム「交遊抄」(10/9付)に、ユーモラスな文章を寄せられている。《ゴルフは「まる」づくしだ。世に球技は多いが、まるい球をまるい穴に入れるスポーツは意外に少ない。おまけにグリーンもまるい。だからというわけではないが、ゴルフは人間関係をまるく取り持つようだ。日本女子プロゴルフ協会会長の樋口久子さんも、そんなゴルフ観の持ち主》。

《あるとき、話題がパットの心構えに及んだ。カップにボールをどう沈めるか。コースの見極めに、グリップ、構え、力加減――。誰であれ神経を研ぎ澄ます瞬間だ。「東山さん、宗教家だったら、パットのときも平静でいられるんでしょうね」思わぬ質問に虚を突かれた。とっさに「チャコ、あんたこそプロなんだし、平静でおられるはずでしょう」とまぜ返してその場はおさめた》。

《10代で手を染め、半世紀余り、クラブを振ってきた。「まるいスポーツ」なのにパットの時ばかりは肩に力が入るあまり、四角くなっている。「まだまだ」、と内省する背中に樋口さんの笑顔が重なる》。大僧正でもパットの時は平静ではいられない、と知って安心した。況(いわ)んや凡人をや。

10/21(水)
金剛峯寺(こんごうぶじ)奥の院(和歌山県伊都郡高野町高野山)
http://www.koyasan.or.jp/


奥の院参道で

高野山は、私の出身地の隣町にあるので、子どもの頃から何度も訪れている。夏の涼しい時季も良いし、冬の雪景色も楽しめる。今回は紅葉の始まりを見ることができた。奥の院参道は何度も歩いているし、友人を案内したこともあるが、プロのガイドさんにご案内いただいたのは今回が初めてだった。ガイドさんの説明は簡潔明瞭で、歯切れがいい。予備知識がなくてもスッと分かる。これは、奈良のお寺をガイドする際の参考にさせていだこう。

M先生はじめ講の皆さま、貴重な機会を与えていただき、また温かく受け入れて下さり、有り難うございました。おかげさまで、たくさんの願をかけさせていただきました。添乗員の野田さんはじめ琴参バスの皆さま、大変お世話になりました。来年からは順打ち(1番から回る)に戻るそうですので、少なくとも、あと3年はお世話になることと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

※トップ写真は、第23番薬王寺(10/18撮影)
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