tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

古代ロマン卑弥呼の大和:邪馬台国畿内説(by JR「おとなび」) 

2016年01月06日 | 奈良にこだわる
こんなツアーが実施される。JRの「50歳からをたのしむ大人の旅クラブおとなび ぶらり旅」という会員制の旅行で、ツアーの運営は日本旅行である。JRのサイトには、
※画像はJRのサイトから拝借

おとなび ~邪馬台国 畿内説~ 古代ロマン 卑弥呼の大和
出発日:2016年2月10日(水)・17日(水)・25日(木)
奈良まほろばソムリエの雑賀耕三郎さんのメインガイドで、箸墓古墳や黒塚古墳へご案内いたします。


とある。サブガイドは道崎美幸さんだ。初回の2/10(水)には、私もサポーターとして参加する。メインガイドを務めてくださる雑賀耕三郎さんは、ご自身のブログに、こんな風に紹介しておられる。冒頭の部分を抜粋すると、

2月10日、17日、25日の3回だが、日本旅行の「邪馬台国畿内説」のツアーを受けている。バスは新大阪発で唐古・鍵遺跡や纒向遺跡、箸墓古墳などを案内する。日本旅行が「邪馬台国九州説」ツアーを募集したら、「畿内説はないのか」との声で、急きょ決まったツアーである。

「邪馬台国 畿内説ツアー」であるから、邪馬台国に関わる史跡を見せれば…と言うことだが、邪馬台国論も避けるわけにはいかない。そこで、畿内説、九州説など、あれこれの本をいっぱい読んでいる。今日は、『卑弥呼と台与~倭国の女王たち』である。山川出版の「日本史リブレット 人」、仁藤敦史著だ。



『卑弥呼と台与(とよ)』については、Amazonの「商品説明」に、このように紹介されている。

女王卑弥呼の都とされる邪馬台国はどこにあったのか。「魏志倭人伝」の記述や最新の考古学的成果を基礎として、近年有力となった畿内説の立場に立ちながら、東アジア史の観点から卑弥呼の王権と公孫氏や魏王朝との外交関係を検討する。鬼道を駆使する卑弥呼は、普遍性を有する鏡の祭祀により、倭国乱により疲弊した大人層の支持を得て「共立」される。そこでは、鉄資源や先進文物の流通をコントロールすることにより倭国王としての求心性が維持されていた。

 卑弥呼と台与―倭国の女王たち (日本史リブレット 人)
 仁藤敦史
 山川出版社

昨年(2015年)3月、中国で、邪馬台国の女王・卑弥呼に与えられたとされる「三角縁神獣鏡」が発見され、話題を呼んだ(朝日新聞)。12月には大阪府の研究者が調査して発表を行っている。奈良新聞「日本と同じ工人製作か 中国出土の三角縁神獣鏡」(12/25付)によると、

中国・洛陽市で見つかった、「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」について、大阪府教育委員会文化財保護課の西川寿勝副主査が日本人研究者として初めて調査した結果、日本出土の同鏡と同じ工人が製作した可能性が高いことが分かった。24日、京都市内で開かれた研究会で報告した。同鏡は、邪馬台国の女王・卑弥呼に与えられた「銅鏡百枚」とする説もあるが、これまで中国では未発見だった。

国産説もある同鏡の製作地や邪馬台国の所在地の論争に一石を投じそうだ。今回、調査された鏡については、河南省在住の収集家で研究者の王趁意さんが昨年、地元の研究誌「中原文物」で論文を発表。ただ、発掘調査で発見された鏡ではなく、出土地など詳細が分からないため、真偽も含めて議論になっていた。


ジワジワと畿内説(大和説)が有利になってきているように見えるのは、奈良県民だからそう思うのだろうか。ともあれ楽しみなツアーである。雑賀さん、道崎さん、頑張ってくださいね!

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奈良検定2級「伝統工芸」の人物まとめ

2016年01月05日 | 奈良検定
第10回奈良まほろばソムリエ検定(奈良検定)は、いよいよ(2016年)1月10日(日)。当ブログにも「奈良検定」のキーワードでたどりつく方が多い。最近は「森川杜園」や「吉田立斎」のキーワードが目につく。「ははぁ、これは伝統工芸の人物名で苦しんでいるな」と見当がつく。そこで今回は「伝統工芸」の分野で2級問題に頻出する人名にスポットを当ててみる。「」部分に注目を(今回の試験で出るかどうかは分からないが…)。
※トップ画像はJAPANSQUAREのサイトから拝借

1.筆:唐から帰った空海が「坂名井清川」(さかない・きよかわ)に教えた
2.墨:高句麗の僧「曇徴」(どんちょう)が日本に伝え、空海が改良
  江戸時代には「松井元泰」(まつい・げんたい=古梅園の6代目当主)が登場
3.一刀彫:幕末に「森川杜園」(もりかわ・とえん)が活躍
4.奈良団扇:今は「池田含香堂」(いけだがんこうどう)だけが製造
5.赤膚焼:江戸後期に「奥田木白」(もくはく)が活躍
6.奈良晒:江戸時代始め「清須美源四郎」(きよすみ・げんしろう)が晒法を改良
7.奈良漆器:明治時代「吉田立斎」(よしだ・りっさい)を長とする「温古社」が産業化
  漆芸作家として活躍する「北村昭斎」(きたむら・しょうさい)は人間国宝

画像は古梅園のホームページから拝借

※3.の森川杜園と5.の奥田木白を混同する人が多く、そこを突く問題がよく出る。いっ「と」うぼりは「と」えん、「赤」膚焼は奥田木「白」(つまり紅白)と覚えよう。
※6.の豪商・清須美源四郎の庭園が依水園(いすいえん)だ。また奈良晒は「南都随一の産業(物産)」、綿(大和木綿)は「和州第一之売物」と呼ばれた。「さ」らしは「さ」んぎょう・ぶっ「さ」んと覚えよう。



写真は奈良まほろば館(東京・日本橋三越前)のホームページから拝借
 
いかがだろう。「伝統工芸・特産品」は、私の「ズバリ!奈良検定2級の要点整理」(PDF)のP28のわずか1ページ分から10問程度出題される。とても効率の良い勉強ができるので、ご心配な向きは、今からおさらいしておいてほしい。では、ご健闘をお祈りします!
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身代わり申(奈良町資料館)が人気!

2016年01月04日 | 奈良にこだわる
今年(2016年)は申(さる)年。いただいた年賀状には、ユーモラスなお猿さんが様々に描かれていて、見るだけで心が和む。奈良で申といえば、ならまち庚申堂の「身代わり申」だ。奈良町資料館で買い求めることができる。日本経済新聞のWebサイト(2015.12.30付)に《災い一身に、「身代わり申」人気 奈良》という記事が出ていた。紹介すると、
※トップ写真は奈良町資料館。同館のFacebookから拝借

奈良市の旧市街地「ならまち」では、昔ながらの民家や店舗の軒先につるされた赤い猿の縫いぐるみが目につく。「身代わり申(さる)」と呼ばれる厄よけで、2016年のさる年にちなんで人気が高まり、観光客も買い求めている。


身代わり申。奈良町資料館のホームページから拝借

真っ赤な体を丸め、頭と腹帯は白く、耳やしっぽはない。手足を縛られた姿から「くくり申」という名前もある。江戸時代前半に庶民の間で広まった「庚申(こうしん)信仰」で猿が神の使いとされ、災いが家の中に入らないようにとぶら下げるようになった。家族の人数分を用意し、背中に願い事を書き入れることが多い。

奈良町資料館(奈良市西新屋町)が、1日当たり50個を布と綿から手縫いする。全長約2~15センチの6種類。館長の南哲朗さん(53)は「一つ一つ心を込めて作っている。『おかげで無事に過ごせた』という話を1年後にたくさん聞きたい」と話す。

奈良町の庚申信仰の起こり・ならまち庚申堂。地域活性局のHPから拝借

初めて知ったが「身代わり申」は、手縫いだったのだ!なお身代わり申は通販でも買える。詳しくは奈良町資料館のHPをご覧いただきたい。申年にちなんで、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館では、猿をテーマにした特別陳列展が行われている。毎日新聞奈良版(1/1付)によると、

今年の干支(えと)にちなんで「猿」をテーマにした特別陳列展が、県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市畝傍町)で開かれている。猿を模したとみられる埴輪(はにわ)、明日香村にある謎の石造物「猿石」の精巧な複製などを展示。北井利幸主任学芸員は「全国的にも珍しい猿にまつわる考古資料をぜひ見てほしい」とアピールした。

会場では、縄文時代晩期の橿原遺跡から出土した猿の骨をはじめ、幅広い年代の資料が並ぶ。「猿の埴輪」は、天理市にある長さ約85メートルの前方後円墳・小墓古墳(6世紀前半)で、鳥や馬などの動物埴輪と共に破片が出土した。特徴的な尻だこが表現され、小猿を乗せていたとみられる痕跡が背中に残る。このほか、奈良市の長屋王邸跡で見つかった、墨で猿をユーモラスに描いた土器の複製なども展示している。

9日午前10時半から、見どころの解説がある。同日午後1時から橿考研講堂で無料の講演会を開催。北井主任学芸員が「考古資料における猿」、今西康宏・大阪府高槻市立今城塚古代歴史館学芸員が「今城塚古墳に猿の埴輪があったか」をテーマに語る。会期は17日まで。1~4日、12日は休館。午前9時~午後5時。大人400円、大学高校生300円、小中学生200円。問い合わせは博物館(0744・24・1185)。【矢追健介】


猿にまつわる考古資料とは、珍しい。橿考研付属博物館に奈良町資料館、皆さん、ぜひいちど足をお運びください!
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宝蔵院流槍術・稽古始と狸汁会(第14回)は、1月9日(土)開催!(2016Topic)

2016年01月03日 | お知らせ
次の土曜日(1/9)、奈良市中央第二武道場とその前で、恒例の「宝蔵院流槍術(そうじゅつ)稽古始(けいこはじめ)と狸汁会(たぬきじるえ)」が開催される。参加は無料、申し込みも不要だ。宝蔵院流槍術のHPによると、
※写真はすべて、宝蔵院流槍術のFacebookから拝借した

宝蔵院流槍術「稽古始」     
日時 平成28(2016)年1月9日(土)9:00~11:00
会場 奈良市中央第二武道場 630-8108奈良市法蓮佐保山4丁目6-3 TEL.0742-27-6163
   車は陸上競技場前駐車場にお駐め下さい。
観覧 自由・無料




宝蔵院流槍術では一年の始動として、例年正月第2土曜日を「稽古始」としています。厳寒の中、第二十一世宗家 一箭順三師範による年始挨拶の後、伝習者約50名が450年以上に亙り引き継がれてきた槍合せの型35本の全てを一般の観覧者に披露いたします。特に伝習者総員による一斉稽古は圧巻です。伝習者は20歳代から70歳代まで幅広い年代層からなり、近年では日本のみならず、ドイツ、カナダ、スイスなど海外各国からも入門者を迎え国際色豊かになりました。


第14回 宝蔵院流槍術「狸汁会」
宝蔵院では、流祖・胤栄(いんえい)師より歴代、稽古始において伝習者へ「狸汁」を供することが伝統として伝えられていました。宝蔵院流槍術は、幕末の名奈良奉行・川路聖謨(かわじ としあきら)の日記「寧府紀事(ねいふきじ)」の記述に基づき、伝統の「狸汁」を復活させ、今年も第14回目となる「狸汁会」を開催させて頂きます。狸汁とは、歯ごたえが似ているところから蒟蒻(こんにゃく)を狸肉に見立てた冬野菜たっぷりの精進料理です。450年伝統の歴史の味「狸汁」を是非ご賞味下さい。




日時 平成28(2016)年1月9日(土)11:00~
参加 無料(先着200名)
会場 奈良市中央第二武道場前(雨天の場合:道場内会議室)
    630-8108奈良市法蓮佐保山4丁目6-3 TEL.0742-27-6163
    車は陸上競技場前駐車場にお駐め下さい。


この珍しい「狸汁」については、『たべもの起源事典 日本編』 (ちくま学芸文庫)でも紹介されているそうだ。宝蔵院流槍術のHPによると、

 たべもの起源事典 日本編 (ちくま学芸文庫)
 岡田哲 編
 筑摩書房

たぬきじる(狸汁)
精進料理の一種。むじな汁ともいう。ダイコン・ゴボウと一緒に煮込み、味噌仕立てにした汁。もともとは、狸肉を用いた。鎌倉中期の『古今著聞集』1254年(建長6)によると、左衛門尉(じょう)・斉藤助康は、丹波国へ下向する途中で、古狸を生け捕ると、村人たちは、焼き肉にして食べたとある。狸汁の話しもある。また、「狸をさまざま調じて、おのおのよく食(くい)てけり」とある。

今日では、狸肉は、コンニャクに代わる。コンニャクを手でむしり、油で炒めておく。獣肉を忌避する寺院で、タヌキの代りに、コンニャクを用いたのが始まりとされる。江川前期の『料理物語』1643(寛永20)に、「狸汁、野はしり(タヌキ)は皮をはぐ、みたぬき(アナグマ)はやきはぎよし、味噌汁にて仕立候、妻は大こんごぼう其外色々、すい口にんにく・だし・酒・塩」「身をつくり候て、松の葉・にんにく・柚を入、古酒にていりあげ、その後水にてあらひ上(あげ)、さかしほかけ候て汁に入よし」とある。

タヌキよりムジナの方が美味しいとする説もある。室町期の『大草家料理書』に、「むじな汁の事」とある。江戸中期の『大和本草』1708年成(宝永5)に、「狢(むじな)、味よくして野猪の如し、肉やわらか也。穴居す」とある。『屠龍工随筆』1778年(安永7)に、「狸を汁にして煮て喰ふにはその肉を先鍋に油を引いていりて後牛剪蘿葡(らぶ)なと入て煮たるがよしと人のいへりし、されば蓖蒻(こんにゃく)をあぶらにていためてごぼう大根とまじへてにるを名付て狸汁と云なり」とある。コンニャクを油で揚げると、歯ざわり・色合いが、タヌキの肉に似てくる。

伝統ある古武道の練習風景が見学できて、あとは珍しい狸汁をいただける。申し込み不要で参加も無料というスグレモノだ。今年も、ぜひご参加ください!
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『88歳大女将、連日満室への道~集客10倍、バリアフリー観光はここまで来た~』

2016年01月02日 | ブック・レビュー
株式会社タブレットから出ている『88歳大女将、連日満室への道~集客10倍、バリアフリー観光はここまで来た~』(津田令子・編集部著 中村元協力)1,620円(税込み)という本を読んだ。昨年(2015年)11月20日(金)、中村元(なかむら・はじめ)さん(NPO法人日本バリアフリー観光推進機構理事長、NPO法人伊勢志摩バリアフリーツアーセンター理事長)の講演を聞き、この本に興味を持ったのである。Amazonの「内容紹介」には、

廃業寸前旅館がバリアフリー対応で、奇跡の3倍増客を成し遂げたヒミツを証す、ユニバーサルツーリズムに乗り遅れないための、元気が出る実録物語。
・廃業寸前の古い旅館がわずかな資金と時間で再生した物語は、大女将の決断から始まった。
・眠っていた巨大マーケットを掘り起こしたのは、集客請負人で有名な水族館プロデューサー。
・巨大な高齢者マーケットを手にする武器は、目から鱗の「パーソナルバリアフリー基準」。
・東京パラリンピック観戦をきっかけに、世界のバリアフリーマーケットがやってくる。
・バリアフリー観光で、人にやさしいまちづくり推進を実現した伊勢市。
・三重県知事の「日本一のバリアフリー観光県推進宣言」で新たな誘客競争の時代に。
観光地の集客再生、高齢者顧客開拓、商店街活性化、人にやさしいまちづくり、ユニバーサルデザイン推進…など。商業とまちの行き詰まった問題を、ひとまとめに解決するヒントがここにあります。


 88歳大女将、連日満室への道
 津田令子ほか
 タブレット/三元社

毎日新聞三重版(2015.5.1付)も、こんな書評を書いている。見出しは「再生の軌跡 伊勢市補助金でバリアフリー化 大女将、出版の単行本を市に寄贈」。

伊勢市の補助金を受けバリアフリー化することで、廃業寸前から再生した老舗の「日の出旅館」(同市吹上)の軌跡を紹介した単行本「88歳大女将(おかみ)、連日満室への道」が出版された。4年前に改修を決断した生涯現役の同館大女将、岡田志づさん(91)と孫の女将、麻沙さん(37)は補助に感謝し、市に本60冊を寄贈した。

同館は1929年に伊勢神宮外宮近くのJR伊勢市駅前に創業。戦災で焼けたが、戦後に再興し、伊勢参りの宿泊客でにぎわった。しかしその後、交通網の発達などで人の流れが変化。外宮周辺は次第に衰退し、同館も客足が遠のいていった。

志づさんが廃業を考えるようになったころ、市のバリアフリー観光向上事業を知った。事業は、バリアフリー化を希望する市内宿泊施設を対象に市が2011、12年度に実施した補助制度。13年の神宮式年遷宮を前に、体の不自由な旅行者にも市内に訪れてもらえるようにするのが目的で、改修費の半額(上限400万円)を補助する内容だった。

市の説明会に参加した志づさんはすぐに工事を決断。NPO法人・伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの助言を受けながら、車椅子でも利用できる部屋を新設したほか、玄関のスロープ設置、廊下の段差解消、トイレの改修などを施した。

志づさんは「若い人やお年寄り、外国の人まで大勢来てもらえるようになった。思い切ってやって良かった」と話した。同館の取り組みをバリアフリー観光の成功例として、旅行ジャーナリストの津田令子さんらが取材し、本にまとめた。発行はタブレット(東京)。237ページ、1620円。全国の書店で販売している。【新井敦】


本書の目次を紹介すると、

第1章 伊勢で一番ちっちゃい女将は日の出旅館の大女将やで
(92歳、ちっちゃい大女将 廃業寸前だった日の出旅館 ほか)
第2章 伊勢志摩バリアフリーツアーセンター
(バリアフリー観光に目を付けた理由巨大なバリアフリー観光マーケット ほか)
第3章 パーソナルバリアフリー基準
(バリアフリーツアーセンターの仕組みとは? パーソナルバリアフリー基準 ほか)
第4章 社会は人がつくる
(社会づくりは道楽 伊勢志摩バリアフリーツアーセンターを支えるスタッフたち ほか)

中村元さんの「パーソナルバリアフリー基準」という考え方が出色である。少し長くなるが、NPO法人伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの公式HPから抜粋する。

「行けるところ」ではなく、「行きたいところ」へ!
「バリアフリー」って、なんでしょうか?障害の種類は無数にあります。同じ車いす利用者でも、その人の身体の状態によってバリアとされる場所や種類は違います。さらに、個人行動なのか誰かと一緒なのか、同行者が若いか高齢者か、などによっても、バリアとされるものには差があります。視覚障害者でも、全盲と弱視、盲導犬を連れている人など、千差万別でしょう。

例えば、事故で下半身不随になった若い車いす利用者なら、10センチ程度の段差なら自力で上がってしまうことも珍しくありません。が、高齢のため車いすを利用している方は、できるだけフラットな通路を求めるでしょう。また、高齢の車いす利用者を元気な若者が介助しているなら、多少の段差も距離もものともしないでしょうが、老々介護の場合は、段差がないことはもちろん、移動距離も短いほうが楽なはずです。

それらどんな人にでも対応するモノづくりがユニバーサルデザインという理論ですが、世の中にすでにあるモノのほとんどはバリアだらけ。段差のまったくないわずかな施設だけを、バリアフリーだ、ユニバーサルデザインだ、と言って紹介していては、前述の若い車いす利用者や、介助者のいる車いす利用者にとっては、「行けるはずの場所」の情報を教えてもらえないことになります。また、世の中のバリアがすべてなくなるまで、私たちは待っていることはできません。

とりわけ観光においては、バリアは当然のようにあり、むしろバリアこそ観光の醍醐味、と言えることも少なくありません。山や海を代表する自然系のレジャーはバリアを越える楽しみそのものですし、神社仏閣には石段や砂利道など、俗世とのバリアがどこかに必ずあります。知らない街を散策することや方言もバリアの楽しみです。外国語ができないからと、海外に行かない人はいないでしょう。つまり、旅のバリアフリーで大切なのは、どこがユニバーサルデザインになっているかではなく、旅行者本人が何を楽しみたいか、なのです。

そこで私たちは「パーソナルバリアフリー基準」という相談システムを開発しました。パーソナルバリアフリー基準」とは、行けるところに行くのではなく、旅行者が行きたいところ、楽しみたいことを実現するために、旅行者一人ひとりの状況に合わせて情報提供や旅行アドバイスを行う相談システムです。

「パーソナルバリアフリー基準」では、障害者の数だけバリアの数はある、という考えにもとづき、「段差あり、なし」などといった画一的な基準ではなく、その施設の「バリア」をすべて詳しく調べあげ、ありのまま紹介するのが特長です。また、施設調査には障害を持つ当事者たちにも参加してもらい、当事者が実際に体験した信頼できる情報を集めています。例えば、

長~いスロープの先にある、絶景の展望台。
入口に階段が数段あるけど、魅力的な博物館。
フラットだけど眺めはよくない客室と、水回りに段差があるけどオーシャンビューの客室。
客室内にあるバリアフリーなユニットバスと、入口に段差がある貸切展望露天風呂。
ユニバーサル対応の1泊3万円の宿と、館内の車いすトイレ利用が前提のビジネスホテル。

私たちが提供する情報をもとに、旅の魅力と、自身にとっての使い良さを天びんにかけて、どれを選ぶのか。また、バリアを越えて行くのか、行かないのかは、お客さま自身が判断してください。お一人お一人のお身体の状態や、介助できる同行者の有無、行きたい気持ちの強さなどによって、さまざまな結果になるはずです。


つまり、何でもかんでも「ユニバーサルデザイン」にしないとバリアフリーではない、ということではなく、その場所の「バリア」を調べて情報提供し、その「バリアを越えてでも行きたいか否か」ということを旅行者自身に判断してもらう、ということが「パーソナルバリアフリー基準」づくりの根本にあるのだ。

「バリアフリーは障がい者の話だから、関係ない」と思っておられる方がいるかも知れないが、人間は誰しも「高齢者」という障がい者になるのだから、決して他人事ではない。

中村さんのアドバイスに基づいて改装し、奇跡の増客を達成した「日の出旅館」の物語。ぜひお読みいただきたい。
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