tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

真田丸(33)動乱

2016年08月26日 | 日々是雑感
前回(8/21)のNHK大河ドラマ「真田丸」は、「第33回 動乱」だった。NHKのHP「あらすじ」によると、

秀吉の遺言をことごとく無視し、自らの影響力を強めていく家康。三成は家康を討つため伏見城下の徳川屋敷を急襲することを決意するが、暗殺計画は本多正信に漏れてしまう。正信は諸大名に危機を訴え屋敷の守備に駆けつけるよう呼びかけ、徳川につくかどうかを試す。一気に形勢不利となった三成を救うため、信繁は、昌幸のもとを訪ね、思いもよらぬ提案を行う。

今回はお待ちかね、平群町出身の武将・島左近が槍を振り回しながら登場。島氏は平群町(奈良県生駒郡)周辺の在地領主で、椿井城・西宮城を本拠にしていたといわれる。左近は俗に「治部少(石田三成)に過ぎたるものが2つあり。島の左近と佐和山の城」といわれるほどの逸材だった。

NHKのHPにも《玉置孝匡さん演じる島左近が登場。三成には過ぎたるものと謡われた知勇兼備の重臣が、主君を支え、家康に挑む》とある。同町の平群史蹟を守る会は『「平群谷の驍将 嶋左近【改訂版】」』1,000円を刊行していて、これは島左近を知るのにうってつけの一書である。



さて、「動乱」である。秀吉による天下統一で平和な時代が来たはずが、またまた「動乱」の世に戻る、という話である。秀吉の死後、家康は勝手な振る舞いを始め三成は我慢がならない。三成は秀吉の死の間際「家康を殺せ」と命じられていた。三成は「家康を生かしてはおけぬ」と、徳川屋敷を襲撃し、家康を討つことを決意し作戦を練る。しかし、この企ては徳川側に漏れてしまった。

しかも三成が家康暗殺で動いても、豊臣家の重臣たちは家康側につく。とりわけ三成の親友で、ともいうべき大谷吉継(真田信繁の正室の父)さえも徳川方について、家康の守りにまわる。大谷は重病(ハンセン病とも)を押して徳川屋敷に乗り込んだのである。結局、三成は徳川屋敷襲撃をあきらめる。これが「関ヶ原の戦い」の前哨戦ともいうべき「徳川屋敷襲撃」の一部始終である。



三成の人望のなさが見て取れるような筋書きだが、実際の三成は優秀な人であったのだろう。関ヶ原後の徳川プロパガンダにより、悪者にされているように思えてならない。藤丸タダアキさんも「豊臣政権の安定のために統制する側の人間として役割を全うしたのではないでしょうか。そんな三成が報われないのはその時代の事情ですね。今の時代に三成が生まれていれば、官僚から政治家となり、そして総理大臣でもできたかもしれないなと思います」と締めくくっている。

この回で信繁は、三成から「家康に対抗するため上杉を味方につけよ」との命を受け上杉景勝のもとを訪れる。しかし徳川を敵に回しては上杉が危うい。結局、上杉景勝は信繁の頼みには応じなかった。ところが次回「(34)挙兵」(8/28)では、家康は景勝を討つために挙兵、いよいよ関ヶ原の戦いが始まる、という皮肉なことになる。

さて最後は、いつものように藤丸タダアキさんに締めていただく。ブログ「地域活性局」から。



今回の大河ドラマでは徳川家康と本多正信の掛け合いがポイントです。実際は家康は話し相手程度に正信を使っていたでしょう。正信は真田信繁最後の大坂の陣でまた暗躍します。

真田丸33話動乱では、島左近、板部岡紅雪斎が登場しました。大坂の陣で活躍した武将が信繁であれば、関ケ原で活躍したのは島左近ですね。島左近は三成の股肱の臣で猛将です。三成と豊臣家官僚の戦争のキャリアを支えました。板部岡紅雪斎は北条家滅亡後、秀吉のお伽衆となっていました。そして家康の方に内応していました。

三成は利家を説得して豊臣家全体として家康を討とうとしました。しかし、家康方の方がすでに人数が多くなっていました。諸将の集まる居間の掛け軸は「八幡大菩薩」でした。徳川家は源氏を標榜しています。その源氏の戦いの神様は「八幡さま」ですね。



福島正則が三成を説得に来ました。三谷幸喜さんの演出では豊臣の子飼いは一応は仲の良い演出ですね。しかし、このころ既に子飼いのほとんどが家康についていました。細川忠興は三成の説得を跳ね除けます。細川はこの時迷ったでしょう。細川は実は前田家との紐帯を厚くしていました。細川忠興の長男忠隆の妻は前田利家の娘です。また、加藤清正にも罵倒されたことがあったようですね。

しかし、細川家は計算高さで時代を乗り切った家です。前田利家の死後、細川家は家康に従いました。大谷吉継は三成とも親しかったのですが、実は家康とも親しい関係でした。三成方で終始最後まで強力な味方は宇喜多秀家だけでした。

小早川金吾秀秋も出てきます。しかし、この金吾秀秋は三成に恨みがあります。三成は秀吉の命令で秀秋の所領の没収を主導します。なので、最後(関ケ原)まで曖昧なままでした。



真田丸33話動乱。動乱とは動き乱れることです。真田信繁のキャリアのハイは最後の大坂の陣です。33話にして動乱です。この後、どのようにまとめていくのでしょうか。

三成は結局、襲撃を諦めます。秀吉の死から少しずつ政権がぶれ始めました。三成は必死に動き回ります。しかし、三成は19万石、家康は250万石です。一度、戦国の世が太閤秀吉のもとに平和になりました。それが戦乱に戻ろうとしています。

諸将は強力なリーダーのもとで生き残りたいんですね。そして、三成は秀吉の意向に沿った政権運営の犠牲を引き受けていました。荒くれの大名たちを統制するための嫌われ役。それが三成だったのですね。

私は三成は日常における性格的な問題はなかったのではないかと思っています。むしろ、豊臣政権の安定のために統制する側の人間として役割を全うしたのではないでしょうか。そんな三成が報われないのはその時代の事情ですね。今の時代に三成が生まれていれば、官僚から政治家となり、そして総理大臣でもできたかもしれないなと思います。真田丸33話動乱の感想を書きました。
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長谷寺と初瀬郷(ヤマトロジー講座)/クラブツーリズム奈良で8月27日(土)開催!(2016 Topic)

2016年08月25日 | お知らせ
8月27日(土)、クラブツーリズム奈良旅行センター(近鉄奈良駅ビル5階)で、NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」理事の雑賀耕三郎(さいが・こうざぶろう)さんによる講演「長谷寺と初瀬郷を訪ねる」が開催される。時間は13:00~14:30。
※写真は8月11日に撮影。トップは黒塚古墳、下は纒向遺跡

奈良のことならなんでも極めよう、という「まほろばソムリエのヤマトロジー講座」のひとコマだ。主催はクラブツーリズムで、原則として毎月第4土曜日の13時から開かれる。お申し込みは、ネットの場合はこちらから、電話申し込みは 0742-90-1000(月~土 9:15~17:30)。今後の予定は、こちらをご参照いただきたい。

雑賀さんのブログ「奈良・桜井の歴史と社会」に、今回の講演の準備状況が出ている。題して「長谷寺と蜻蛉日記」(4/6付)。一部を抜粋すると、



8月に「初瀬・長谷寺」をテーマに講演することにした。まだ先だし、やり慣れたところだが、パワーアップしたいと思った。長谷寺は、源氏物語や蜻蛉(かげろう)日記に取り上げられていることを紹介してきたが、この蜻蛉日記の取り上げられ方が、きちんと話せてこなかった。

「日本古典文学全集」(蜻蛉日記)を桜井市の図書館で借りてきて、長谷寺のくだりを読み直してみた。初瀬詣、椿市(つばいち)がポイントであることはよく分った。「椿市までは無事に来た」とか、「椿市に着いて、例のように、あれこれ支度を整えて出立するころには、日もすっかり暮れてしまった」、「椿市に帰って、精進落としなどと人々は言っているようだが」などと記されており、椿市が長谷詣での起点になっていたことが、きちん紹介されている。あの有名な二本(ふたもと)の杉のことが紹介されていることにも注目した。「はつせ川古川のへに二本ある杉 年をへてまたもあひ見ん二本ある杉」(古今和歌集 1009)

坏(つき)や鍋を据えた乞食などに気を取られて、すがすがしい気分になれなかったと記している。また、御堂に籠っている間(庶民の間に座っている…あの礼堂であろうか)、眠ることもできず、それほどみじめそうでない盲人が人に聞かれていることを知るか知らずか大声でお祈りしている、それを聞くにつれ、涙がこばれたなどと記しており、お堂の情景が手に取るように見えるのである。

二回目の長谷詣では、「物音を立てずに通らなければならない森の前」のことが記されている。これは初瀬山口神社の前と思われると注に記されている。「祭神 手力雄命(たじからのおのみこと)が人の声を奪ったという伝承に従う」という意味らしい。初瀬柳原に初瀬坐山口神社を遥拝する「伏し拝み」の場があり、毎晩、いまも献灯が行われているところである。1000年前から、あれは特別な場だったんだ…と感銘。そんなことから決められた場だったんだ。


雑賀さんは、早くも4月に『蜻蛉日記』を勉強しておられたのだ。雑賀さんは岐阜県のご出身で、桜井市阿部に移り住まれて10年ほど。しかし桜井を愛する気持ちは誰にも負けず、地元で数々の歴史講座などをこなしておられる。講演だけでなくガイドでも大活躍され、本年6月からはソムリエの会の理事として辣腕をふるわれている。

雑賀さん、楽しい講座をお願いします。皆さん、ぜひ雑賀さんの講座にお申し込みください!



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観光力創造塾(第6回)、9月26日(月)開催/残席わずか!(2016 Topic)

2016年08月24日 | お知らせ
南都銀行が主催する観光振興に関するシンポジウム「観光力創造塾」は、県内に宿泊観光客を誘致することを目的としている。半年に1回の開催で、早くも6回目を迎える。
※トップ写真は山田拓さん。「ぎふまち はっけん隊」のyoutubeから拝借

今回は、生駒市のご出身で、飛騨古川で農村集落を巡る自転車ツアー 「飛騨里山サイクリング」などで外国人観光客を引きつける山田拓さん(やまだ・たく 株式会社美ら地球 代表取締役)、県の観光情報発信アンバサダー(大使)・ブライアン・バイアーさん、観光活性化ファンドの仕掛け人・新井貴さん(株式会社リサ・パートナーズ 取締役)の3人を迎え、奈良商工会議所で開催する。私もブライアンさんの聞き手として「トークセッション」に加わる。

お申し込み方法は、こちらの3枚目の参加申込書(PDF)にご記入いただき、南都銀行本支店の窓口にご提出いただくか、FAXで公務・地域活力創造部にお送りいただくことになっている(FAX番号 0742-25-2077)。概要を同行のニュースリリースから拾うと、

写真はブライアン・バイアーさん。「インバルガイドMie」のホームページから拝借

第6回「観光力創造塾」を9月26日(月)に開催します!
~インバウンド、第2ステージへ!~

南都銀行(頭取 橋本 隆史)は、国内・海外からの宿泊観光客を奈良県内に誘致するための仕組みづくりを目的に、年に2回「観光力創造塾」を開催しています。6回目となる今回は、「インバウンド、第2ステージへ!」と題し、リピーターの増加等により急速に変化しつつある外国人観光客市場を取り上げます。

講師には、地域資源を活用した体験型プログラムで外国人観光客から高い支持を受けるとともに、マーケティングのノウハウもお持ちの株式会社 美ら地球(ちゅらぼし)代表取締役 山田拓(やまだ・たく)氏、外国人目線で奈良県の観光情報を海外に発信している奈良県観光情報発信アンバサダーのブライアン・バイアー氏をお迎えします。また、株式会社 リサ・パートナーズ取締役執行役員 新井あらい 貴たかし氏からは、奈良県観光活性化ファンドの実例紹介等を交え観光活性化への切り口をご提案させていただきます。

なお、セミナー終了後、講師の山田 拓氏と、新井 貴氏をはじめとした奈良県観光活性化ファンド担当者による「個別相談会」を実施します。概要は以下のとおりです。

【第6回観光力創造塾の概要】
・日  時 平成28年9月26日(月) 13:30~17:00(受付開始13:00)
・会  場 奈良商工会議所 5階 大ホール(近鉄奈良駅1番出口より徒歩1分)
・対象者 ホテル・旅館、レストラン・料理店、土産物店、自治体の観光関連部署、観光協会・地域おこしグループ等の観光関連団体、社寺関係者の方など
・参加料 無 料
・定 員 150名(先着順 ただし定員に達し次第、締め切ります。)
・締 切 平成28年9月16日(金)
・内 容
 第Ⅰ部 [講 演]
 「来て泊まってまた来てもらえる、インバウンドへの転換」
 株式会社 美ら地球 代表取締役 山田 拓 氏
 第Ⅱ部 [トークセッション]
 「外国人は奈良のここが好き!」
 奈良県観光情報発信アンバサダー ブライアン・バイアー 氏
 第Ⅲ部 「奈良県観光活性化ファンドをはじめとした取組み実例等に見る観光活性化の切り口」
 株式会社 リサ・パートナーズ 取締役 執行役員 新井 貴 氏
 終了後 [個別相談会(事前予約制)]
・主 催 当 行
・協 力 一般財団法人 南都経済研究所

※申込方法 当行本支店に備付のチラシ裏面の参加申込書に必要事項をご記入のうえ、窓口にご提出いただくか公務・地域活力創造部宛FAXでお送りください。定員超過によりご参加いただけない場合は、当行から連絡いたします。
【本件に関するお問合せ先】公務・地域活力創造部 田守(たもり)・鉄田(てつだ) ℡0742-27-1611


世間では、円高で外国人観光客が減ったとか、中国人観光客などの「爆買い」が見られなくなったと騒いでいるが、奈良ではあまりそのようには感じられない。もともと買い物目的で奈良に来る観光客は少なかった。奈良では「第2ステージ」のインバウンドとして、奈良の文化をじっくりと味わってもらい、再び来てもらえる仕掛けを作りたいと考えている。インバウンドのノウハウをお持ちの山田さんには、そこのところを深くお聞かせいただこうと思っている。

ブライアンさんは精力的に県下各地を駆け回り、美しい風景や珍しい文物を英語で発信されている。彼には、外国人目線で見た奈良の魅力を語っていただこうと思っている。新井さんには、観光活性化ファンドを利用した観光振興への取り組み方をご指南いただく。

定員は150人で先着順。すでに続々とお申し込みをいただいており、残席わずか。ぜひお申し込みを!





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南都銀行と安堵町/包括連携協定を締結!

2016年08月23日 | 奈良にこだわる
昨日(8/22)、南都銀行は安堵町と「地方創生にかかる包括連携協力に関する協定」を締結した。早速、今朝(8/23)の奈良新聞に記事が載った。見出しは「総合戦略実現へ協力 安堵町と南銀が協力締結」だ。記事全文を紹介すると、

安堵町は22日、南都銀行(奈良市、橋本隆史頭取)との間で「地方創生にかかる包括連携協力に関する協定」を締結した。協定期間は平成32年3月末まで。平成27年度に同町が策定した「安堵町まち・ひと・しごと創生総合戦略」の実現に向け、同行が、地域産業振興・雇用創出事業、創業支援や地域経済活性化事業、移住・定住促進事業などで協力する。

この日、安堵町東安堵の同町役場で行われた締結式には、西本安博町長と同行の河井重順常務取締役らが出席。西本町長は「力を借り、多面的に協力することで町をよりパワーアップしたい」とあいさつ。河井常務は「活力創造銀行として、町と一緒に全力で取り組みたい」と応え、協定書を交わした。



※写真はすべて、安堵町役場で8/22に撮影

南都銀行のニュースリリースに連携事業の中身が書かれている。

●連携事業
(1)地域産業の振興と安定した雇用の創出に資する事業
(2)創業支援および地域経済の活性化に資する事業
(3)地域づくり、地域の活性化および移住・定住促進に資する事業
(4)その他、地方創生の推進に資する事業

当行は、金融機関としての知見とネットワークをもって、これらの事業に積極的に連携・協力してまいります。具体的には工業用地への企業誘致促進に対する支援や、安堵町の観光資源のPR、移住・定住支援制度との連携等に取組んでまいります。




安堵町といえば日本近代陶芸の巨匠・富本憲吉の出身地。現在、奈良県立美術館では9月25日まで企画展「富本憲吉 憧れのうぶすな」が開催中だ。なお「うぶすな(産土)」とは、生まれた土地のことで富本は安堵を「うぶすな」と呼んでいた。2017年1月には体験型宿泊施設「うぶすなの郷 TOMIMOTO」がオープンする。この事業も連携事業の1つだ。同施設のHPによると、

2012年5月、惜しまれながら閉館した富本憲吉記念館。富本の生家であり、また富本の陶芸の原点であった家は体験型宿泊施設「うぶすなの郷 TOMIMOTO」として生まれ変わる。

大和の歴史と人間国宝・富本憲吉を感じる宿。地元の食材をたっぷり使ったレストラン。新しい息吹を生み出す陶芸工房&ギャラリー…安堵や斑鳩の歴史や文化を楽しみながら、緑豊かな空間で自分と向き合う。そんなぜいたくな時を過ごしていただけます。




本年(2016年)4月3日(日)、私は同町の岡崎川畔のお花見会(第5回夜桜まつりと夢あかり)を見に行った。そこで「安堵観光ボランティアの会」に所属する女性(ご主人の退職に伴い、老後の住まいとして安堵町に引っ越してこられたばかりの方)と少しお話しした。「安堵町は単なるベッドタウンではなく、地域住民が生き生きとしており、ボランティア活動も活発。私も楽しく奉仕させていただいています」と元気に語っておられた。私は「安堵町にはムラ(共同体)が残っている」と実感した。

何度か「安堵町観光ボランティアガイドの会」のご案内で、町内を巡り、当ブログでも紹介した。中家住宅、歴史民族資料館、極楽寺(広島大仏)、飽波神社など、町内に観光資源は数多い。復活された飽波神社の「なもで踊り」も拝見した。特産の牛肉をたっぷり使った名物「あんどの芋煮鍋」はとても美味しくて、「あったかもんグランプリ」では2度も入賞している(優秀賞および審査員特別賞)。

「安堵町まち・ひと・しごと創生総合戦略」でめざす町の将来像は「ひと・まちが輝き 生涯快適に暮らせるまち」。この目標に向かい、銀行と町が手を携えて町を盛り上げていきたい。安堵町の皆さん、頑張って行きましょう!
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卑弥呼論から大和論へ/桜井市で9月24日(土)開催!(2016 Topic)

2016年08月22日 | 奈良にこだわる
奈良女子大学に勤務するMさん(もと同僚)から、こんな講座を紹介していただいた。奈良女子大と桜井市の共催事業である。参加無料・要申し込み。同大学のHPによると、

<桜井市共催 桜井市制施行60周年記念講演会>
邪馬台国はどこにあったのか?卑弥呼とは如何なる王だったのか?それらの問いに、考古学資料によるのではなく、『魏志倭人伝』の新たな読み方を提示することによって答え、それを通じて、なぜこの日本という国は大和に生まれたのか、なぜ今なお日本人は自らの国を大和と認識するのかを解く。キーワードは「黒潮の道」だ。

「卑弥呼論から大和論へ」
・開講日時 9月24日(土) 14時00分から16時00分
・講  師 小路田 泰直(奈良女子大学 副学長)
・会  場 桜井市まほろばセンター 2階多目的ホール(桜井駅前「エルト桜井内」)
・定  員  100名
・資料準備の都合上、事前のお申し込みにご協力ください。
 お席に余裕がある場合、当日参加も受付いたします。
・受講料は不要です。
 電話・FAX・E-mail いずれかで「講座名、氏名、連絡先」を明記の上、お申込みください。
 ・TEL 0742-20-3734(土日祝日を除く10時から17時まで)
 ・FAX 0742-20-3958
 ・E-mail kouza@jimu.nara-wu.ac.jp


私は以前、小路田副学長の「邪馬台国論争とは何か~日本史学の深淵~」という講演を聞きに行ったことがある。南都銀行の創立80周年記念セミナー(2014年4月19日)だった。募集は200人だったが応募が殺到し、場所を同大学の講堂(定員600人)に移して開かれたが、超満員だった。

また今年の8月7日(日)には平群町で「ヤマト王権誕生の地 纒向」(講師:桜井市纏向学研究センター主任研究員 橋本輝彦氏)という「夏季公開講演会」が開かれた。申し込み不要だったが定員300人のところ400人以上が詰めかけ、イスをたくさん追加していた。今は戦後何回めかの「邪馬台国ブーム」の様相を呈している。

小路田副学長は考古資料ではなく『魏志倭人伝』から、邪馬台国を読み解く。邪馬台国に関するご著書も、たくさんお書きだ。定員はわずか100名だし、場所がお膝元の桜井市なので、満席になる可能性が十分にある。ぜひ、お早めにお申し込みください!



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