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今でいうなら、とんでもないパワハラや人権侵害が平気で見過ごされていた頃の、教師や大人や年上の叱る、怒るという行為は、自分がされてきたことのコピーだっただろうし、自分本位の感情爆発だったことが多い。アフターフォローがなされるかどうかで、しこりとなって残るかどうかが決まることも多かっただろう。
昔は無茶苦茶なスパルタ式がまかり通っていた。それができにくくなって残念がっている裏返しが『最近のコは誉めないと伸びない』だ。冗談じゃない。指導的立場は客観的評価能力と、それを正確に伝える表現力が大切なのに、『誉めたら伸びる』などと錆びた部品にCRCを吹き付けたらネジが回ったと同じ次元の物言いは失礼な話だ。
つい先日、女子フィギュアの選手を何人も育てたことで有名な山田満知子コーチの長時間インタビュードキュメントをちらちらと観た。選手とコーチの繋がりを取り上げる番組などで彼女のことを知るたびに好感度が上がる。個性と個性が相対峙して、お互いの成長がなされてきたことを正直に伝えている。
それで、感情にまかせて、このように書く私は、どう文章をしめくくろうか苦慮している。着地をイメージせずにやり始めるとこうなることがある。収まりが見いだせないままどこまで書いたらいいのか。私は私の能力を伸ばしてくれるコーチに出会っていないとでも書けばいいか、などと思いつつ。 (もしかしたら)つづく。