荒れ果てて無人になっていた期間が約4半世紀の私の生家。
土木工事を職としていた友人が、私の頼みに応じて発掘してくれた。
発掘といえば歴史を明らかにするための学術調査ということになろうけれど、何の社会的値打ちもない個人的なものも発掘と呼びたい。
ルーツを探りながら在りし日の想いを感じ取るのも悪くない。
他人にやってもらってどうするというものだけれど、ほぼ定期的に来てはいるが限られた滞在期間の優先順位と体力と技を配分した結果なのだ。
石灯籠は友人も接合部の凸凹が合わないと言っていて、私の記憶とも少し違う。
まだ他の1基分が埋もれていて、適正な組み合わせを待っている。
お地蔵さんは、どこにどう在ったものが、ここにあるのか。
開眼戻しはしてあるのだろうと思うけれど。
飛び石はほとんどが埋まっていた。
雑草が生えては枯れて覆いかぶさり地層となって行くのだから、4半世紀は飛び石を隠すだけの時の推移。