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空にいるような軽い気分で・・・

派流

2014年08月07日 20時48分24秒 | 散歩は夢中


流派と右から読んでしまった。なぜ支流と言わないのかと思いつつ、とりあえず撮っておいて帰宅してから調べてみた。上流では谷あいからの小川がだんだんと集まり大きな川となる。つまり多くの支流から一本の本流になる。

ところが、下流になると、扇状地などでは川が別れてしまうことがある。本流から別れた川を派流と言うそうだ。この宇治川派流は、物資運搬舟の航行目的で作られた人工的分流のようだ。そうだ・・分流という言葉があるのになぜ派流とも言うのか!? 分流は分かれた一本の流れを示し、派流はいくらでも枝分かれしたそれぞれを示しているようなイメージが湧いたけれど、合っているのかどうか。

前に琵琶湖から瀬田川が流れ出し、宇治川になり、淀川になり、大川となって海にでると書いたことがあるけれど、大川は淀川の派流のようだ。淀川は淀川で海にそそぐ河口がある。この派流は結局宇治川に戻るからバイパスということなのか・・。いずれにせよ、みな淀川水系だから一級河川というわけだ。

STAP細胞についての研究者たちは、流派或いは派流を比喩として考えると解りやすいのだろうか・・と思ったけれど、足で情報を得る立場にはなく、マスコミとインターネットの記事でしか判断することができないので、僭越なことは止めておこう。淀むことなく流れができて、早く結果を見せて欲しいと願う今日この頃。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-08-08 12:44:33
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。長明も方丈の庵から宇治川を歩きながら
住居の移り変わりを楽しんだのでしょうか?
小保方さん、「なんくるないさ」チバりよう!
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sukeboさんへ (とんび)
2014-08-08 19:25:00
>宇治川を歩きながら
昔の宇治川および宇治川と山科川合流地域はとんでもなく広い湿地を形成していたようですよ。
巨椋池干拓事業というのがあって、初めて今の川らしい川になったようです(不正確ですが・・・)。
秀吉も太閤堤という大治水事業を成し遂げたようです。
鎌倉前期の頃の宇治山科辺りは散策できるような場所ではなかったかも。
ひたすら方丈の庵に蟄居して思索と著述に耽ったのかも。
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