いつも行く丘の上の公園に干物カゴが木に下げられている。
遊具もあるのに、子供たちが遊んでいることはめったにない公園なので、子供のいたずらとは考えにくい。
新しい住宅地が隣接しているとはいえ、近所の人が公の場所に干し物作りを利用することだってありえない。
では、なぜかと想像してみると、風で飛ばされてしまった干し物カゴを、持ち主に気づいてもらえるようにと誰かが下げた、としか思いつかない。
買っても数百円程度、もしかしたら百均商品かも知れない代物なので、ずっと放置されたままだ。
公園管理委託業者も木に下げてあったら、個人の所有物とみなして放置するかもしれないし、ぼろぼろに劣化するまでこのままかも知れない。
その間に、石は意志を持ち、「われ思う故にわれあり」…ブラボー!
雪がなくても、寒い!
おやすみなさい。
思いつきの1行に、自分で感動してしまったんですね。
ある人の詩に、『ずっと昔からそこにいる石は、どうして自分はここにいるのか考えている・・』というようなことが書いてありました。
どこに思い入れを注入するかで、表現もさまざまですね。
この干し物かごの来歴は、おそらくとんびさんのご推察のとおりなのでしょう...
原料の全てが、放置しても自然に帰ることができる天然素材ならいいですね。
半世紀も前の学生時代、金沢を旅した折に
犀川の河原で金沢の老舗和菓子屋さんのご当主に声をかけられました。
ご当地の歴史などのお話の後、お店で作る商品の包装の全ては天然素材のみ使用...
間違って風に飛ばされてしまっても、時が自然に還してくれるものしか使わない...
そうおっしゃっていました。
レジ袋問題などは、無かった頃のこと。
海洋を汚染している物は、全てが故意に廃棄されたものではないのでしょうと推測しています。
レジ袋にしても発泡スチロールにしても、とにかく軽いですから
簡単に風に飛ばされてしまいます。
大空に舞うのは、凧が一番似合いますね...
できれば、竹と和紙で作られた昔ながらのものが...
本当にそうですよね。
何かにつけ、そのように思います、本物がいい。
川は散歩中に必ず、何か生き物をさがして覗き込みますが、プラスチック類のゴミにがっかりします。
それでも寒い時期の川は澄んでいて、セキレイやカモもいて楽しめます。
田舎の生家には、和紙がたくさん残されています。
竹藪も少しあるのだから、何かに利用して作ったら良いのになぁ・・・とは空想します。
そんな心のゆとりもいつか持てたらと思います。
ありがとうございます。
おみまもりください。てへ。