半世紀もの付き合いだった古い知人が亡くなったことを、その息子さんからのご挨拶状を受け取って知った。
享年九十歳とあり、急逝する前日までウォーキングに文芸創作にと元気だったのに小脳出血により力尽きた旨、母譲りの文章力で表現されていた。
回復不可能な脳へのダメージだったから、脳死のまま見かけだけの体温を保つような人工呼吸器を潔く外すことを家族全体の意思として決めたのだろうというようなことが想像できた。
人が亡くなる原因は必ず複合的なもので、その中で主要な病名あるいは障害が死因とされる。
先ごろ96歳で亡くなったエリザベス女王は、数日前まで元気な姿をマスメディアに示していたのに、いきなり『医師の管理下に置かれた』という曖昧な表現で不調が伝えられ、急死のような発表がなされた。
そうして、いつまで経っても死因が公表されず、それが問題になることもなく国葬となった。
高齢であれば、それまでになんらかの病を得て、部分的に弱っている箇所も多々あったのだろうけれど、決定的な何が起きたのだろう。
おそらく、脳か心臓に詰まりなり破れなりが起きたのではないかと想像するけれど、それらが何も表現されないので思い遣ることができにくい。
何故なのか、女王の死因はいつまで経っても分からないので、悼むこともできない。
画像は五叉路の詰まった空間に誰かが植えたか、宿根朝顔と朝鮮朝顔が咲いていたので、信号待ちの間に車中から撮ったもの。
女王の死因は老衰と先日新聞の片隅にありましたよ。
私も何かの記事で、そのようにあったのをみましたけれど、老衰という曖昧なくくりでは納得できないんです。
歳が歳だから、匙加減に手違いがあっても、喉をつまらせても、老衰で片付けてしまっていることも無きにしもあらずではないかと・・。
亡くなってしまったものを、いまさらという感じが好きじゃないんです。
それはさておき、お元気でした?
どんな、銃でどんな弾か?
知りたいのに、
教えてくれません。
・・・そのうち、なかったことになるのか?
国葬で幕引きか?
記事は本日もう書き上げましたので、明朝出します。
お待ち下さい。
悼む気持ちというのは、どのようにして死を迎えたか、迎えざるを得なかったか、その瞬間はどのようであったかを思い描き思い遣ることでもあると思っています。