透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

ガウディの伝言

2006-08-10 | A 読書日記


スペインのバルセロナで92年にオリンピックが開催されてからサグラダ・ファミリアと、この大聖堂の設計者である建築家ガウディの名が世界的に知られるところとなった。

『ガウディの伝言』光文社新書の著者、外尾悦郎氏は既に30年近くこのサグラダ・ファミリアで仕事を続けている彫刻家だ。ガウディが生涯を閉じたのは1926年のことだから、1953年生まれの外尾氏はもちろんガウディに直接会っているわけではないのだが、仕事を通じてガウディのメッセージを常に聞き取ってきた方だ。そういう方がガウディと彼の作品を論じた本だから、具体的で説得力があって大変興味深かった。

こんな記述がある。
**自然を言語で捉え、理論や公式を打ち立てていこうとするのが科学者の精神であるとするなら、自然を直感的に捉え、自分の手を信じて、とりあえずものをつくってみようとするのが職人の精神です。**

ものは、知性と感性との統合によって認識されると以前書いたがその捉え方と符合する。この記述を読んで「そうだよね!」と我が意を得たりという感じで読み進んだ。

それにしてもこの大聖堂、建設が始まって既に123年経過したという。一体いつになったら完成するのだろう・・・。
この本には、2020年代の完成を目指していると書いてあるが、本当に完成するんだろうか。

つくり続けていくという人間の営み自体に本当の価値があるのではないか、と著者は指摘している。なるほどそうかもしれない、私はこの指摘に素直に頷けた。

直接体験したことは、やはり深い。読了してそう思った。

透けるタペストリー

2006-08-10 | A あれこれ



 タイトルを「透明タペストリー」としてブログを始めたから、タペストリーを意識するようになったのかもしれない。ときどきタペストリーという文字を目にするようになった。先日新聞にこんな記事を見つけた(写真)。

飯山地方の伝統工芸、内山和紙を使った作品を公募したところ全国から応募があって、「扉の先に広がる風景」を表現した作品が大賞に選ばれたという。
飯山市内の展示会場でこの作品は窓際に飾られて、外からの光を柔らかく透かせている、と新聞記事は伝えている。

タペストリーは装飾用の壁掛けだが、どうやら糸で編んだものという条件が付加されるようだから、この作品はタペストリー風ということなんだろう。

7日(月)のテレビ欄で、「韓国ポジャギ・夏のタペストリー」という番組を見つけた。なんとなく気になって録画しておいた。ポジャギという布を使ったコースターやテーブルクロス、タペストリーが作り方と共に紹介された。透ける薄絹の小さな布をつなぎ合せて作るタペストリーは、いかにも涼しげで夏のインテリアにピッタリだと思った。薄く色のついた布で作ったタペストリーを「布のステンドグラス」と紹介していた。布の重ね代の部分だけ光の透過が少なく、ちょうどステンドグラスのフレームのように見えた。なるほど確かにステンドグラスだな、と思った。透過してくる柔らかな光が美しかった。

タペストリーというとコンクリート打ち放しの壁に掛けられた、毛糸を編んだざっくりとした作品や、民家風の住まいの白壁に掛けられた麻布の藍色のタペストリーなどを思い浮かべる。

透明人間のように見えないタペストリーなんて装飾品として意味を持たない。意味のないことを書くのだからこのブログのタイトルに相応しいと考えていた。
今回、この2件で透けるタペストリーの魅力を知った。ブログのタイトルについてちょっと考えが変わった。 でもブログに書くことは、変えようがないだろうな。