諏訪湖博物館・赤彦記念館 060825
■ 先週末、諏訪方面へ出かける機会があった。帰路、「諏訪湖博物館・赤彦記念館」に立ち寄った。1993年にオープンしたこの建築は伊東豊雄さんの設計。
伊東さんの原風景は「霞んで境界の曖昧な諏訪湖」ではないかと指摘した。諏訪湖畔に建つこの建築を設計する際、伊東さんは当然諏訪湖を意識したはずだ。
『透層する建築』青土社は伊東さんが建築雑誌や新聞に寄せた建築評論をまとめたものだが、この建築についての小論「湖に捧ぐ」も収録されている。
伊東さんはこう書き出している。**戦争の始まった年にソウルで生まれた私は、二歳で父の郷里である長野県の諏訪に引き揚げた。以後、中学三年の途中で東京へ出るまで、少年時代の十数年間を諏訪湖のほとりで暮らした。(中略)諏訪湖を見ない日はなかった。(中略)人びとは皆、湖を眺めて季節を知り、時刻を知り、風の強さや風向きを知った。** 人びとの日々の暮らしが諏訪湖と密接に関わっていたことが分かる。
**以前この辺りは自然のままの石積みで変化に富んだ水際が続き、下校途中のわれわれにとって格好の遊び場であった。** やはり伊東さんにとっては諏訪湖が原風景であることは間違いなさそうだ。
アルミパネルで覆われたこの建築は舟や魚に喩えられることが多いが、伊東さんはそのような具体的な形態を意識したわけではなく、流れつづける曖昧で柔らかな「流動体としての水」を表現したかったのだという。 いずれにせよ「諏訪湖、水のイメージ」を建築化したものと理解してよさそうだ。
この小論を伊東さんは次のように結んでいる。少し長いが引用する。**冬の訪れを告げる朝もやが湖面に立ち込めるころ、早朝の湖面すれすれに水平の虹を見た記憶がある。地の人びとはこの虹のことを「水平虹」と呼んでいた。年に一度か二度、それも朝の一瞬にしか見れないこの自然現象は神々しくさえ思われたが、この建築の設計で敷地を訪れ、湖を眺めるたびに、いつもふと思い出されるのは湖面に長く尾をひくこの虹のことであった。あれほどに淡い現象的形態に建築を到達させたいという思いは、容易に消え去ることはないだろう。** (アンダーライン:筆者)
伊東さんの目指す建築観がここに集約されている。
この本のタイトルの「透層」の意味について伊東さんは**インクが紙に滲むように境界が曖昧な状態をいう。ものの輪郭がぼやけた状態、即ち事物が明確に自立して相互に対峙し合うのではなく、相互に溶融して境界がはっきりしない状態である。** とあとがきに記している。伊東さんにとって「せんだいメディアテーク」は透層する建築の到達点、のはずだった・・・。