○コードペンダント 松本市旧司祭館にて
部屋にはそれぞれデザインの異なるコードペンダントが下がっていました。
照明器具って部屋の雰囲気を決める重要なポイントだと思うのです。
天井直付けの照明で部屋を均一に明るくするだけでは、ちょっとさびしい。
○コードペンダント 松本市旧司祭館にて
部屋にはそれぞれデザインの異なるコードペンダントが下がっていました。
照明器具って部屋の雰囲気を決める重要なポイントだと思うのです。
天井直付けの照明で部屋を均一に明るくするだけでは、ちょっとさびしい。
松本市旧司祭館 全景とサンルーム? 060805
■ 松本市旧司祭館、隣の開智学校に比べると注目度はかなり低いかも知れませんね。館内に入ってみたのは今回が初めてでした。
現在は玄関が南側になっています。そしてサンルーム(?)は北側。向きが建設当初とは違う?
建設された場所は案内看板によると、松本市丸の内九番三十二号。どこなのか、住宅地図で調べてみました。市役所の北側、カトリック松本教会が建っているところ。敷地の南側に道路があるので、玄関はやはり南側にあったと考えるのが妥当、だと思います。つまり洋館の向きは変わっていない。市の教育委員会にでも問い合わせるとはっきりすると思いますが、きょうはあいにく休み。
サンルームの内側に鎧(よろい)戸がついていますから(右の写真)、南面していたと考えてもおかしくありませんが(鎧戸は本来、直射日光を遮るためのもの)、この洋館には4面とも鎧戸がついています。ですから、鎧戸はこの洋館の向きを知る手がかりにはなりません。
この部屋の用途はサンルームだったのか?
冬期間の冷気を防ぐ緩衝空間だった?
単なる半屋外的な部屋として計画された?
答が解りません。建築探偵失格ですね。
高過庵 0608
■ 伊東豊雄さんは、小中学生時代を下諏訪で過ごした。毎日諏訪湖を眺めていたという(『透層する建築』青土社による)。霞んで輪郭のぼやけた諏訪湖。伊東さんの境界が曖昧で存在感の希薄な建築は原風景の諏訪湖のイメージを具現化したものなのかも知れない。
藤森照信さんは茅野に生まれ、茅野で育った方。諏訪湖より近くの野山の方が身近だったのかもしれない。樹上の茶室を目の当たりにしてそう思った。少しも違和感なく風景に馴染んでいた。
樹上の茶室は既に4作あるという。先日紹介した新建築の表紙の「茶室 徹」はその4作目の作品だが、1作目の作品がこの「高過庵」だ。この茶室も以前雑誌で紹介された。伊東さんと藤森さんがこの茶室から顔を覗かせている写真が印象的だった。
是非一度訪ねて見たい、そう思っていたが、どこにあるのか分からなかった。確か藤森さんの実家の畑に造ったはずだが・・・。
先日、偶然「神長官守矢史料館」の近くにあるということが分かり、出掛けてみた。久しぶりに何枚も写真を撮った。写真の枚数と「感動」とは明らか比例する。
これは、毎日野山を駆け回って遊んだであろう藤森さんの原風景の建築的な表現に相違ない。「少年期に過ごした環境は、建築家の作風に少なからぬ影響を与える」のではないか。
伊東さんと藤森さん。ふたりの作風の違い、それはふたりの原風景の違いなのかもしれない。