透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

梗概写真

2006-08-26 | A ブックレビュー

○ ブックレビュー(060826)

梗概の役目を果たす写真。今回の20冊、前回よりも文学が増えた。
この写真をみるとどんなことをブログに書いたか思い出す。

ブログは情報発信のツールであるが、情報保存ツールでもある。たんす預金より銀行預金のほうが安全だと思う。同様に情報保存も自分のパソコンにするより「あちら側」にした方がウィルス感染からの保護などの面からも安全だろう(たぶん)。確か、『ウェブ進化論』梅田望夫/ちくま新書には「こちら側」と「あちら側」という概念によって、そのことが論じられていたように思う。




自説補稿

2006-08-26 | A あれこれ

○自説補稿 その1

原広司は「集落の教えと様相論」と題する講演で、飯田市美術博物館に「現」風景を直接的にとり入れたことを次のように説明している。
**私は、この美術館を設計しましたときに、そこからはアルプスの山が見えているのですが、もうひとつの山を建物でつくるというのをテーマにしました。** 

飯田で育った原さんにとって南アルプスは「原」風景でもあるわけだ。原さんの自作に関するこの説明は、私の「建築、原風景再構築説」を裏付ける証拠として貴重だろうと思う。原さんの飯田美博が雑誌で紹介されたのは1989年のことだった。「建築文化」だったか、原さんがこれと同様の説明文を寄せていたように記憶している。残念ながら当時の雑誌は見つからなかったが、ネットを検索してこの講演記録を見つけた。ネット恐るべし!

そうか、原さんは沖縄の「城西小学校」では地元の集落の形態をストレートにとり入れたし、「ヤマトインターナショナル」でも集落の建築的表現を試みていたのだった。そもそも原さんの「様相」って、要するに階層的に建築の上位にある集落を、建築というひとつ下位の階層で表現したときの「表層の様」。具体的にはそういう意味だ(注)もちろんこれは私の個人的な解釈、異論もあると思う。

原風景か現風景かはともかく、建築家はモチーフをそこにに求めることが多い、そう「原風景の再構築」。

そう結論付けるにはまだ証拠が不足しているのかもしれない。でもイイジャナイカ。これは論文でも何でもない、単なるブログなんだから、珍説、奇説を勝手に書こう。

○自説補稿 その2

08/06のブログ「これでおしまい」で私は藤森さんの建築の懐かしさについて、氏のデザインが地元の民家に由来するからではないかと書いた。

昨晩『ザ・藤森照信』をパラパラ読み返してこんな記述を見つけた。**私のヴォキャブラリーは、古いタイプの民家につながるものが多い。さまざまな地域の異なった言語に由来する断片的言語を寄せ集めてしゃべるのに近い。**

私の探偵ぶりも、たまにはイイ線行くじゃないか。


 


さよなら

2006-08-26 | A あれこれ


↑ブルーの海王星は宝石みたい


①まどう。まどわす。惑乱・惑溺・疑惑・迷惑・誘惑・蠱惑
②(仏教で)正道のさまたげとなるもの。
                       (新明解国語辞典/三省堂)

このところ新聞で何回か目にした「惑星」。何故、惑星っていうんだろう・・・。冥王星みたいな天体があるから? まさか。

太陽系惑星から冥王星を除外することが決まったそうだ。発見された時は地球くらいの大きさだと考えられていたらしいが、観測技術が進んで、現在では月よりも小さいことが解っているとのことだ。
例の「ニュートンの付録」をみると確かに月より小さい。
今回の決定で太陽系の惑星は8個になった。

長年仲間だと言ってきたのに、ごめんあんたきょうから仲間じゃないって、なんだか冥王星がかわいそうだな。「さよなら冥王星」

水金地火木土天海、おとっと、最後に冥をつけないと、なんだかこけそうになるな~。


青春の夏

2006-08-26 | A あれこれ


 
○ 夏のフォトアルバム 7  青のタペストリー(060823)

そろそろ今年の夏も終わり。
 
夏の甲子園、決勝戦は誰もが指摘するように高校野球の歴史に残る名勝負だった。 駒大苫小牧の田中、早稲田実業の斎藤 両エースの投手戦は見応えがあった。 気持ちを前に出す田中、クールな斎藤。二人は対照的だった。冷静沈着な斎藤、彼の涼やかな表情には「美」さえ感じた。

決勝戦は延長15回で決着が付かなかった。翌日の再試合、ピッチャー斎藤対バッター田中 この試合の最後は二人の対決だった。斎藤の投げた外角ストレートを田中が空振りの三振、試合終了。

彼らの青春の夏は終った、多くの人たちの記憶に留めて。