透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

U1は何しに対馬へ? 青春の想い出

2022-09-09 | A あれこれ





 1981年、この年の日本建築学会の大会の会場は九州産業大だった。東京発16:45(この時刻はメモがあった)、博多着09:11(ネットで調べた)の寝台特急「はやぶさ」熊本行き。


福岡08:45発 対馬行き(1981.09.28) 

建築学会大会の後、対馬へ向かった。この時は台風が接近中で、この直後の便から欠航した。離陸から着陸までシートベルトをしたままだった。飛行機(YS11)はかなり揺れた。

U1は何しに対馬へ?




撮影日1981.09.28

石屋根を見るために。 





青春の想い出 山行記

2022-09-09 | A あれこれ

 大学3年の時、北アルプス最奥地・雲ノ平登山をしたこと、伊藤新道を下って湯俣川に架かっていた簡易な吊り橋を渡り、ずいぶん怖い思いをしたことを書いた。この機会に1、2年の夏合宿の山行のことも書いておきたい。



1年の時は知床半島を羅臼から知床岬まで縦走した。地図で測る羅臼から知床岬までの直線距離はおよそ40km。実際の歩行距離はこの1.5倍くらいか。クマに遭遇しないようにトランジスタラジオをかけっぱなしにしながら藪漕ぎした。


国後島の爺爺(ちゃちゃ)岳の噴煙が見えたことを覚えている。上の写真では分かりにくいが、後方中央に噴煙が雲のように写っている。改めてウイキペディアでこの火山のことを調べると、この年の大噴火のことが載っていた。オジロワシを見たことや知床灯台の白と黒の縞模様も記憶にある。



2年の夏合宿では屋久島の宮之浦岳(九州最高峰 標高1936m)から永田岳の縦走登山をした。当時の屋久島は今のように観光地化しておらず、島には登山目的で入る人ばかりだったのでは。ウィルソン株の大きな空洞内で撮った写真がアルバムにある。途中、避難小屋に泊まったことも記憶にある。シュラフに入ると長三角になるので頭、脚、頭、脚というように交互にぎっしり並んで寝た。


この時は東京から西鹿児島まで1日以上かかる急行列車で行った。帰りもこの列車を利用した。東京駅の改札口で急行券を渡し忘れた(?)ようで、アルバムに写真と一緒に残っていた。この当時、急行料金は200kmまで200円、201km以上はこの券の通り300円。安かった。

この列車について検索して、東京駅午前10発、西鹿児島翌日午後2時20分着、所要時間28時間20分!の急行「高千穂」だと分かった。日本最長距離を最長時間をかけて走っていた列車だ。

同好会顧問の教授が九州で行われた学会の折にわざわざ屋久島まで来てくださったことに感激した。屋久島から鹿児島まで帰るフェリーで撮った集合写真をずいぶん久しぶりに見た。鹿児島屋久島間、フェリーの所要時間は4時間くらいだったかと思う。

林芙美子は屋久島は月に35日雨が降ると書いている。どこに書いているのか調べた。「浮雲」だった。**「屋久島は月のうち、三十五日は雨というぐらいでございますからね・・・・・」**

だが、この合宿では雨に遭わなかった。知床でも遭わなかったと思う。僕は今でも晴れ男。