和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

首相の国会出席日数。

2020-08-27 | 産経新聞
月刊Hanada10月号。
「蒟蒻問答」をひらく。久保紘之氏は語ります。

久保】 8月5日付の産経新聞で主要国の首相、大統領の
国会出席日数をまとめた国立国会図書館の調査報告書を
わかりやすく表にしていたけど、それによると
日本の首相が主要国の首相、大統領に比べ、いかに
国会審議で時間を浪費し、体力を消耗しているかが一目瞭然。

特に首相や閣僚が出席してテレビ中継される予算委員会は、
最終的にはアメリカ0日、英国1日、フランス2日に対して
日本は65日(ドイツは非公開)。
しかも安倍叩きのパフォーマンスで国民受けを狙う
野党のアピールの場で、肝心の法案審議などは放ったらかし。
不毛の場と化しています。

いまや国家間の外交交渉は首脳外交によって決着する場合が多く、
首相はそれだけ多忙になる。つまり長時間にわたって国会審議に
首相が拘束されれば、日本の国益を大きく損ねることにも
なりかねない。


うん。ここだけ引用して終りにするつもりでしたが、
もう少し対談相手の言葉も引用しておきます。

堤堯】 NHKの世論調査では『臨時国会を速やかに
開くべきだと思うか』に、『速やかに開くべき』が72%だ。
だけど国会を開いたところで、ロクでもない質問ばかり。
武漢ウイルスで国会の外は大変な騒ぎになっていた時に、
やれモリ・カケ・桜を見る会がどうのと、
擦り切れたレコードよろしく同じ質問の繰り返しだ。
あげく『ついでにコロナについても訊きますが』
(立憲民主党・福山哲郎)などと、
アホらしくて聞いていられなかった。

編集部】 しかも、何かといえば審議拒否。

(以上・p72)

はい。すぐに忘れてしまうので、
はい。ブログに書き写し、マスコミが指摘しないことを
指摘してくれることを感謝しながら、忘れないように。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思考と書く習慣。

2020-08-23 | 産経新聞
産経新聞に山崎正和氏の死亡記事。
産経新聞2020年8月22日(土曜日)の一面。
「山崎正和さんが19日、悪性中皮腫のため、兵庫県内の病院で死去した。
86歳。葬儀は近親者で行った。・・産経新聞『正論』が始まった
昭和48年からの執筆メンバー。・・・」

23面に坂本英彰氏による評伝があり、
一読目が覚めるような指摘がさりげなく書かれている。
これは、引用しておかなきゃね。

「・・・
令和元年秋、高齢者の孤独死が国内外で社会問題化する現象を
どう見るかという『孤独』をテーマにした本紙のインタビューに、
山崎さんは、内科医だった弟が退職後に孤独死していたことを明かした。

『自ら望んだ1人暮らしで孤独に死ぬことがいけないことか』。
山崎さん自身、取材の2週間ほど前に妻を亡くして1人になっていた
にもかかわらず、孤独を忌む風潮に反発した。

著書『柔らかい個人主義の誕生』や『社交する人間』で、
地縁や血縁から解放された現代人の心と行動を考察。
他人に束縛されない孤独は否定的なものではなく、むしろ、
『近代社会が獲得した成果』なのだとの考えを持っていた。」

はい。以前『社交する人間』は読んだことがあったのですが、
わたしには、あとあとちっとも、印象には残りませんでした。
こちらの新聞評伝のほうが鮮やかな印象をもちます。
評伝はつづきます。さらに、引用することに。

「素地は少年期を送った旧満州にある。コスモポリタン的な
感性を身につけ、引き揚げてからも長く桜が好きではなかったという。

高校生になる前に共産党に入ったが、
京大に入るころには暴力路線に幻滅していた。
大衆の付和雷同性と同じほど、
エリートのむき出しの権力志向を嫌った。

関西大助教授だったころに、当時の佐藤栄作首相の
秘書官から声がかかり、首相の私的諮問メンバーに加わった。
学生運動の時代だ。東大の入試中止という社会に大きなショックを
与える提案をしたグループにいたことを後に、痛快な思い出として
語っている。

東京に移らず関西にとどまった。権力の中枢に触れても
どっぷりつからない、新幹線で約3時間という距離間を
気に入っていたからだ。大阪では一教員として学生と向き合い、
東京では首相官邸に迎えられるという転換も楽しんだ。
・・・司馬遼太郎や梅棹忠夫ら多くの文化人と交流した。

平成30年の文化勲章の受章に際し、
『この道一筋』ではない自身の受章は、
社会や文化、伝統の転換を象徴しているとした。
『思考すること、書くことは習慣です』とも語った。」

はい。ほぼ評伝の全文を引用してしまいました。
山崎さんの『思考すること、書くこと‥』を、ここで
伝えようとする評伝となっておりました。
「あたりさわりのないこと」は、書かれていない評伝なので、
あとあとまで印象に残りそうです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

論旨明快に考え。

2020-06-07 | 産経新聞
産経新聞6月8日の正論欄は、安西祐一郎氏。
題は「オンラインで問われる英語力は」とあります。
はい。英語力がない私にも興味深い論旨で印象深い。
いちおう英語を抜きにして引用してみると、

「仕事にせよ学びにせよ、ネット上でのやり取りでは、
『論旨明快に考え、相手の立場を感じながら、
短い文章を論旨明快に書いたり話したりする』力が
これまでより必要になる。
自分の考えを端的に相手に伝える書法の世界標準は
結論を先に明確にすることだが、ネット上では特に
この書法が重要になる。・・・・」

はい。『論旨明快に考え』『論旨明快に書いたり話したり』
うん。これだけでも高いハードルだなあ。
と英語力はないくせに、この箇所が印象に残りました。

さてっと、今日の産経新聞6月7日。門田隆将の連載『新聞に喝!』は
題して「真実を『書かなくて済む』時代は終わった」。

ここで、門田さんは、昨年の「あいちトリエンナーレ」を題材にします。

「新聞は展示されていた少女像のみを取り上げ、
同展に非難が殺到したのは、一部の右翼や反韓勢力が
『少女像の展示に反発して起こったものだ』と
印象操作する報道をくり返してきた・・・」

まずは、この『印象操作』を、鵜呑みにし信じておられたか、
いいや、この『印象操作』が、間違っていると思われたのか。

門田さんは、この文のはじまりを
「大村秀章愛知県知事のリコール運動を
始めることが発表された。」

として、昨年の「あいちトリエンナーレ」の内容を
あらためて、紹介することからはじめております。

「・・中の『表現の不自由展・その後』で
昭和天皇の肖像がバーナーで焼かれ、脚で踏みつけられたり、
戦死した先人を揶揄(やゆ)し、冒涜(ぼうとく)するお墓の作品
などが問題となり、これに税金が投入されたことに対して」
リコール運動が起ったことを紹介しているのでした。

高須克弥氏が『我々の税金が使われるのは許さない』
と異議を申し立てた会見にも言及してゆきます。

「会見は2時間もつづき、地元記者との質疑もあった。
だが翌3日付の東京紙面では、産経のみ
『愛知知事解職へ運動 高須院長「支持できぬ」』
という記事が掲載されたものの、他紙は完全に無視した。」

門田さんの後半の展開はカットして短文のみ引用すると

「ニュース性は高い。それでも新聞は
『報道しない自由』を行使したのである。」

「長い間、情報を独占し、自分の主張に沿って都合よく
これを加工して大衆に下げ渡してきた新聞。」

こうして
『真実はネットから』という意識の定着する流れに反比例して、
真実を書かなくてもいい新聞の衰退の潮目を語って終ります。


う~ん。論旨明快な紹介は、むずかしいなあ。
もどって、「正論」安西氏の文は、続けて指摘しておられます。

「ただし、英語がそれほどできなくても
コミュニケーションが取れればいい、と
悠々と構える姿勢が大切である。」

こうもありました。

「英語の力とは文脈を察し、
最も適切と考えられる英語の表現を選び出し、
あるいは創り出して、他者と共有する力にほかならない。」

はい。どちらの論旨も、産経新聞です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『狐つき』の感染源。

2020-05-29 | 産経新聞
もうすぐ6月です。
今月の新聞コラムで印象に残ったのは
2020年5月23日の産経抄でした。
はじまりは

「韓国の慰安婦支援団体といえば、いつの間にか
国家的英雄視されるようになった元慰安婦の威光を背に、
半ば聖域のように扱われてきた。・・厄介で反日的な存在である。
・・その代表格・・前理事長の尹美香(ユンミヒャン)は
4月の総選挙で与党から当選している。

ところが・・・尹氏を、30年間活動をともにしてきた
元慰安婦の李容洙(イヨンス)が告発したことで事態は動く
『性奴隷というが、とても汚くて嫌で仕方ない。尹に話した。
だが【こう表現してこそ米国が怖がる】と(言っていた)』。
李氏は韓国紙、中央日報にこう話したほか、元慰安婦への
寄付金が流用されていると訴えた。・・・・・
また、元慰安婦が共同生活を送る民間施設『ナヌルの家』でも、
寄付金の使途をめぐる疑惑が施設職員により暴露され、
行政処分を受けることになった。
社会的地位を享受していた支援団体は一転、
元慰安婦を商売の道具にしたとの批判を浴びている。」

このあとでした。日本への言及を産経抄は忘れません。

「日本も無縁ではない。
数年前にナヌムの家に併設された歴史館を訪ねると、
朝日新聞の慰安婦関連記事が展示され、挺対協主催のデモに
参加した岡崎トミ子元国家公安委員長の写真も掲げられていた。
共産党系団体の寄せ書きもあった。

韓国の反日姿勢の背後には、常に日本人の協力者がいる。
慰安婦を『性奴隷』と呼び始めたのも日本人弁護士だった。
残念ながら、日本の敵は日本人だといわれるゆえんである。」


はい。少し端折ったのですが、大半を引用してしまいました。
うん。こんなこと朝日新聞には載らないではないでしょうか。

思い浮んで、本棚から柳田国男著「山の人生」を
とりだしてくる。ここに『狐憑き』をとりあげた箇所があった。
はい。全集別巻に索引があるので、簡単にさがせました(笑)。
はい。こちらは日本の民俗に関する本です。

1は、「山に埋もれたる人生ある事」から、はじまります。
その12には、「大和尚に化けて廻國せし狸の事」で、
ここに「狐つき」が語られておりました。ちなみに、
その13は、「神隠しに奇異なる約束ありし事」と、続いております。

もどって、12に登場する「狐憑き」の場面を引用。


「近頃でも新聞に毎々出て来る如く、
医者の少しく首を捻るような病人は、
家族や親類が直ぐに狐憑きにしてしまふ風が、
地方によってはまだ盛んであるが、何ぼ愚夫愚妻でも
理由も無しに、そんな重大なる断定をする筈が無い。
大抵の場合には今までも似たような先例があるから、
もしか例のでは無いかと、以心伝心に内々一同が警戒していると、
・・・・・
横着なそぶりとなり、この方でも『こんちきしやう』などと
いうまでに激昂する頃は、本人もまた堂々と何山の稲荷だと、
名を名乗るほどに進んで来るので、

要するに双方の相持ちで、もしこれを精神病の一つとするならば、
患者は決して病人一人では無いのだ。・・・多勢で寄ってたかって、
化けたと信ぜずには居られぬように逆に・・・誘導したものかも知れぬ。」
(「定本柳田國男集」第4巻・昭和43年・p90)


この「多勢で寄ってたかって」のなかに、
朝日新聞がいて、挺対協デモに参加した岡崎トミ子。
共産党系団体。そして
「慰安婦を『性奴隷』と呼び始めたのも日本人弁護士だった」。

ここに登場する日本人が、多勢で寄ってたかっている構図。
韓国よりも、それを誘導する弁護士がいる日本。


はい。誰にでも『狐憑き』はあるのかもしれないなあ。
とも、思ってみます。でも狐がつくのか、狸がつくのか。
せめてそれを選べるのならいいのだけれど、
たとえば、新聞の一面コラムでも、
産経新聞『産経抄』が憑くのか。
朝日新聞『天声人語』がつくのか。
読売新聞『編集手帳』がつくのか。
毎日新聞『余録』がつくのか。
うん。「天声人語」憑きという限定があるのなら、
昔懐かしい深代惇郎の「天声人語」が、憑いてくれればなあ。
そんな指名ができるなら、ずいぶんと思考が楽しくなります。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『知』の間口の広さ。

2020-05-20 | 産経新聞
新聞の死亡記事に思います。
以前は新聞夕刊の文化欄で死亡者が文化に貢献された方だと、
その追悼文が、載っておりました。
最近は夕刊を取らなくなり。それ以来だと思うのですが、
新聞で追悼文を読まなくなりました。残念でした。

うん。こんなことが思い浮かんだのは、
産経新聞5月19日の産経抄のコラムを読んで、
その追悼文が印象に残ったからです。
コラムは、中国文学者、井波律子さんの訃報を
伝える追悼文となっておりました。

さあ、こう書いて、つぎに産経抄を引用してみます。

「 ・・・・・
中国の長い歴史は、英雄から大悪人まで多彩な人物を
生み出してきた。井波さんは、彼らが残したエピソードを
わかりやすく紹介してくれる・・・

たとえば、現在の四川省の住民の皆殺しを図った、
明末の反乱軍のリーダー、張献忠(ちょうけんちゅう)である。
『あいつを〈収拾(ショーシ)〉してくれ』という言い方で部下に
殺害を命じた。
この人物から連想したのが、オウム真理教の元教祖、
麻原彰晃元死刑囚である。地下鉄サリン事件の報告を
受けると、『ポアしてよかったね』と喜んだ。

京都大学文学部ではじめフランス語を学び、やがて
中国文学に転じた。第一人者だった吉川幸次郎さんの
門をたたき、厳しい修養を積み重ねた。
『三国志演義』の個人全訳という、6年がかりの大仕事もある。
キーボードをたたき続けているうちに、指先の皮膚が角質化
して全部はがれてしまったという。」

はい、コラムで追悼文を読める贅沢。
あとは、最後まで引用していきます。

「小学生のころ暮らした京都の西陣では、
毎日映画館に通い、近くの貸本屋の小説や漫画を読みあさった。
昨年出版した『書物の愉しみ』(岩波書店)では、
中国の古典はもちろんミステリーからロックンローラーの伝記まで
扱っている。著作が多くの人に愛された理由は、『知』の間口の広さだろう。

メディア史家の佐藤卓己さんが日本経済新聞への寄稿で、
井波さんを『心の師』と呼んでいた。二人が所属していた
国際日本文化研究センターから佐藤さんの京都大学への
異動が決まったとき、意外な言葉を受け取った。『がっかりしたわ』。
大学の看板などなくても自分の名前で書ける人だと思っていた
というのだ。井波さんこそ、その通りの人だった。」


佐藤卓己さんの日経新聞への寄稿文も読んでみたいけれど、
一面コラムで魅力の追悼文が読めた。ということで十分満腹。
ちなみに、井波律子著『書物の愉しみ』は
アマゾンで現在品切れ中となっておりました(笑)。
うん。
井波律子さんの本をせめて一冊でも読もう。
と思いました。はい。読みましたなら、感想を
当ブログで紹介したいと思います。
うん。手応えのある産経抄を読めてよかった(笑)。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

理不尽の輝き。

2020-05-17 | 産経新聞
産経新聞5月17日。はい今日の2面に、
曽野綾子さんの連載「小さな親切大きなお世話」。

はい。なんていいましょうか(笑)
こういうのは、普通の記事の延長で読んではいけないので、
曽野お婆さんの世間話。おばあちゃんの知恵袋
を読ませてもらっているという発想が大切ですね。
長谷川町子さんのマンガ「意地悪ばあさん」みたいにして
私は読んでおります。そうすると、ちょうどよく、
しっくりと智恵が身につくような気がします。
発想のスパンが違っていて、こういうことを
身近では誰も語ってくれない。

ということで、最後の行を引用することに

「私の子供時代の暮らしを思い出してみると、
そうした人の暮らしの経緯を知るのは、
親たちの話を聞いている時だった。
当時は客間もリビングダイニングもない。
私の家では、家族も親しい客も、冬ならば
皆居間の炬燵に集まっていた。そこでは
私は宿題をする振りをしながら、
知人の小母さんの知り合いの男がお妾さんの『始末』を
する話などを実に熱心に聞いていた。
だからそこは、子供を大人にする最高の教室だった。

今、大人たちは、あまり話をしない。
従って子供がそれとなく大人の世界を
立ち聞きする場所も機会もなくなった。・・・・
私には子供が薄っぺらな大人になる理由だと思える。」

はい。あとは最後まで引用してしまいます。


「『理不尽』という言葉がある。
『道理に適わないことを、強引に行う』ことだという。

人生では理を尽くした方がいい場合が多いが、
時には理不尽に立ち向かう勇気も要る。理不尽でないと、
その不都合な『時』を突破できないこともあるのだが、

理不尽の輝きを口にする人など、
昨今ではめったにいなくなった。」

はい。曽野綾子さんは1931年9月生まれ。
「理不尽の輝きを口にする」年齢なのでした。
その曽野さんの、意地悪ばあさん談義。

果たして「薄っぺらな大人」の私には、
死ぬまでその輝きを口にできるのかどうか、
そんなことを考えさせてくれる文章なのでした。

はい。読売新聞の読売歌壇もいいのですが、
産経新聞の、こういう文章を読めるのもいい。

え~と。黒沢明の映画『まあだだよ』を
とりあげようとしたんです。その前置きが長くなりました。
このつづきは、次回のブログで。

ちなみに、黒澤明は1910年(明治43年)生まれ。
遺作映画『まあだだよ』は1993年。
亡くなったのは1998年。88歳でした。
思えば、曽野綾子さんは、黒澤明の年齢を超えていらっしゃる。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SNS時代とメディア

2020-05-09 | 産経新聞
産経新聞5月9日。そこに
共通する3つの話題がありました。

1つ目は、産経抄。
そのはじまりを引用。

「政府や安倍さん(晋三首相)批判のためのデマや
偏向報道はやめませんかーー。
危機管理血液内科医の中村幸嗣さんは8日、
自身のブログで呼び掛けた。

それによると心臓外科医の渋谷泰介さんが7日に、
テレビ朝日番組に関してフェイスブックに記した投稿が
医療界で話題になっている。

渋谷さんは同局の取材を受けた際、
新型コロナウイルス対策に関して
『PCR検査をいたずらに増やそうとするのは得策ではない』
と繰り返し答えた。にもかかわらずインタビュー映像は7日、
PCR検査を大至急増やすべきだとのメッセージの一部として
放送されたのだった。

PCR検査拡充の是非はさておき、
自分の意見が逆さまにすり替えられてはたまらない。
一方で何より伝えたかった
医療現場へのサポート要請については、全てカットされていた。
『メディアの強い論調は視聴者に強く響き不安を煽ります。
(中略)正しく伝えるって難しいですね・・』。
投稿はこう締めくくられていた。
『SNSの時代、デマはすぐに検証されてしまいます』。
中村さんは戒めている・・・・」


うん。途中をカットして、最後を引用。

「・・・・・・・8日のNHK番組は・・・・
出所不明の情報が拡散される恐ろしさを訴えていた。
もっともな話だが、出所が明らかでも
メディアが情報をゆがめては元も子もない。

皮肉にもコロナ禍は、在宅時間が増えた日本人の
ネット利用を促進している。
メディアの意識が一番遅れているのかもしれない。」


2つ目は、「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」から

「『週刊朝日』の連載コラム『田原総一朗のギロン堂』で
・・・『国民は、というより世界中の人たちが恐怖の中で、
どうすれば身を守れるのか、と全身全霊で闘っている。
そうした人々にとって、もちろん私も含めてだが、
今現在の安倍首相叩きの氾濫は、いささか
無神経に思えるのではないだろうか』
田原さん、遅過ぎます!・・・」


3つ目。総合欄に「籠池被告 野党と距離」
はじまりは

「安倍晋三政権が批判された学校法人『森友学園』の
小学校建設などをめぐる補助金詐取事件で、詐欺罪などに
問われた前理事長の籠池泰典被告と妻の諄子被告が、
最近まで歩調を合わせてきた野党や反政権の人たちと
距離を置くようなメッセージを動画やSNS(会員制交流サイト)で
発信し、注目を集めている。・・・・・

諄子氏は
『ふと思い出せば何かおかしい。
「安倍犯罪だ」とか安倍がどうのとか(主張する人たちに)
乗っかっていた』と訴えた。・・・・・・『真っ先に駆け付けたのは
(立憲民主党衆院議員の)辻元清美さんだった』と名指しした。」


3つ共、安倍晋三首相の名が登場。
何だか、象徴的です。

はい。SNS時代の産経新聞。
はい。私は読んでいます。
応援してます。産経新聞。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祖父(じいじ)の本でも読めば。

2020-04-28 | 産経新聞
文化人放送局の「加藤&阿比留のなんだかなぁ」では、
いつも最初に、阿比留さんが産経新聞の購読お願いを
しています。もう少し楽しそうに営業すればなあ
と毎回思ってニコニコしながら見ている私がいます。

うん。今日4月28日の産経新聞は読み甲斐があります。
なんせ、読書に関する話題で、私の興味をひきました。

一面の産経抄コラムでは、
橋本治著「大不況には本を読む」を引用して

「不況になると、人が以前より
本を読むようになる理由を2つ挙げる。
1つは不景気になると暇になる。確かに読書は、
時間あたりの単価が安くつく娯楽といえる。
もう1つは、不況が収束したらどうすればいいのか、
多くの人が考えるようになるからだ。」

こうして、コラムの最後も引用しておきます。

「今回のコロナ禍にも、そのままあてはまる。
ウイルスの感染はいつかは収束する。
その後の日本と世界はどうなっているだろう。

人の働き方から国の統治のあり方まで、
大きく変わらざるを得なくなる。そのなかで、
どのように生きていくべきなのか。
道しるべを求めて、やはり
『コロナ禍にも本を読む』しかない。」

それに呼応するような文が、載るのが産経新聞。
今日のオピニオン『正論』欄は、平川祐弘氏の文。
題して『コロナ禍の災い転じて読書の福』でした。

はい。引用しなきゃね(笑)。
テキサスにいた孫娘さんが、飛行機が飛ばなくなる前に
帰国していたことから書きはじめております。

「コロナ報道で気が滅入ると、チャンネルを変える。
だがスポーツ番組は前に見たものと同じだ。
テレビは消す。では何をするか。

隔離下は読書にかぎる。少年のころ対米英戦の空襲下、
光が漏れぬよう電灯を遮蔽し、英語教科書を朗読した。すると父が
『昔、ロンドンの下宿で隣の少年の声を聞いた時のようだ』と言った。
戦時下でも英語は一生懸命勉強した。」

具体的な読書計画も入れておられます。

「今度のコロナ禍も、これを機に
日本人の読書習慣を復活させ、持久戦を生き抜きたい。
オンライン授業が無理なら『坊っちゃん』『風と共に去りぬ』
『レ・ミゼラブル』等を読ませる。感想を送らせ、先生は自宅で採点する。

近代史の自習には『福翁自伝』や『坂の上の雲』を読ませる。
コロナ禍の災い転じて読書の福としたい。」

「ただ図書館は閉鎖だ。・・・・・
漱石全集や鴎外全集を読み通すなら、
文学部卒業以上の実力がつく。」


「狭い室内で子供が騒ぐと面倒だ。読書を課すがいい。
スマホのゲームに溺れないかと心配する家内は
『祖父(じいじ)の本でも読めば』と言う。
だが帰国子女は米国の高校の宿題に追われ、馬耳東風、
私の著作集など見向きもしない。」

このあとが、やっと平川祐弘氏の読書指南の本題となります。
二冊。まずは昨年中公文庫再刊の今村均著「幽集回顧録」をあげ
ております。うん。ここではカットして二冊目だけを引用します。

「日本は・・・みな英語の発信が不得手である。
例外は上皇后陛下である。美智子さまは海外で知られない
日本近代詩を英訳し、そのご朗読DVD付き詩集、
『降りつむ』(毎日新聞出版)を出された。
題は永瀬清子の詩で、

 かなしみの国に雪が降りつむ
 失いつくしたものの上に雪が降りつむ
 その山河の上に
 そのうすきシャツの上に
 そのみなし子のみだれた頭髪の上に

これは今村が描くものとは別の国破れた光景で、
戦災孤児は降る雪にふるえている。
陛下の朗読を日英両語で拝聴し、
深い強いお声は詩人の声と驚きつつ感得した。
日本語と英語を通して、悲しみを糧(かて)として
生きた昭和20年代の日本人の感情が立体的に蘇(よみがえ)る。

このご本も意外な光を敗戦後の日本に当てる。
孫にはその気持ちがまだわからない。
だが当時を生きた者にはわかる。そして私は思う。

ウイルスと苦戦する令和の日本もまた
『地に強い草の葉の冬を越すごとく』このさき生きるであろう。

『その下からやがてよき春の立ちあがれと雪が降りつむ』。

Snow falls-Ah,  with what merciless mercy.
On this country of sorrow.

『 非情のやさしさをもって雪が降りつむ
  かなしみの国に雪が降りつむ  』

翻訳は外国語から母国語にするものと私は確信していた。
しかしこの英訳の世界には訳者の解釈に独特な力があり、
原詩が意外な光を浴びて英詩として輝き、
新しい命を帯びている。尊いことである。」


はい。今朝さっそく朗読DVD付き詩集『降りつむ』を
古本で注文しました(笑)。本は読まなくとも朗読なら、
今すぐにでも聴きたい。と思いました。
そして、今村均の文庫。これも古本で注文。

漱石全集や鴎外全集は読めないけれど、そして
「風と共に去りぬ」「レ・ミゼラブル」は読まない私ですが、
朗読のDVDと、陸軍大将・今村均の戦後を読んでみたい。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とはいえ。

2020-04-20 | 産経新聞
産経新聞の産経抄(4月18日)。
一読忘れられず、引用しておきます。


「中国・武漢市当局は17日、新型コロナウイルス感染
による死者と感染者数を訂正・・・・・

とはいえ、中国当局の出す数字は、誰もが眉唾もの
だと分かっている。今回の訂正も、果たして実態を
表しているかは判然としない。

南京事件の犠牲者は35万人などと、
荒唐無稽なことを平然と主張する国の
データを真に受けられる道理がない。」

はい。このあとに国連の専門機関、
世界保健機構(WHO)のトップを務める
テドロス事務局長を取り上げておりました。
ここでは、コラムの最後の箇所を引用しておきます。

「テドロス氏はこれまで中国のコロナ対策を称賛し、
武漢市から各国が自国民を退避させた措置に
『過剰反応だ』と懸念を示した。

WHOが緊急事態宣言を出した後の2月3日にも『(中国への)
渡航や貿易を不必要に妨げる措置は必要ない』と訴えている。
中国経済への配慮としか思えない。

『日本人より国連の方が信用できる』。
十数年前、ある大物政治家が力説するのを聞いた。
自国を信じず、国際機関を信仰するような戦後の病は、
やはり克服する必要がある。」

はい。産経新聞といえば、昨日の日曜日は
連載「新聞に喝!」があり、4月19日は酒井信彦氏でした。
めずらしく、新聞じゃなくてテレビを取り上げておりました。

「・・テレビには、コロナウイルス問題に関して
実に大量の情報が流されている。ワイドショーには
いわゆるタレントも出演して勝手な感想をしゃべっているが、
医学の専門家でも異なった見解があるのだから、
タレントの存在は全く無用というより有害であろう。」

そして顕著になった、テレビのニュース報道の劣化を
書いておられます。

「用意された原稿を読み上げて事実関係を伝える
ニュースを『ストレートニュース』というが、以前は
すべてこのスタイルだったと記憶する。それが
いつしか過剰な演出が施されるようになった。」

こうして2点指摘したあとに

「・・そもそも深刻な問題であればあるほど、
冷静に淡々と報道しなければならない。

過剰な演出が加わると、それはドラマチックになって、
かえってリアリティーが失われてしまい、
本来持つべき警戒心も損なわれてしまう。」

そして締めくくりは
「現在、テレビメディアには、演出を排した、
一層冷静な報道姿勢が求められる。」とありました。

はい。「冷静な報道姿勢」を、視聴者は選べる。

それはそうと、昨年の台風で水濡れした本に
徳岡孝夫著「『戦争屋』の見た平和日本」(文芸春秋・1991年)
がありました。フニャフニャなので、あきらめて
古本で注文。もったいない本舗から届きました。
本21円+送料257=278円。帯付きで、ページ読み後なし。
うん。そのあとがきから、引用。

「・・私は一貫して『書く』部門にいた。・・・・
私は終始、新聞記者でいたかった。社内でしか通用しない
肩書を愛する新聞社員にはなりたくなかった。」

「日本のジャーナリズムの世界には料理人や
盛りつけ係や配膳人は掃いて捨てるほどいるが、
荒海に出て魚を獲る漁師は実に少ない。

・・・・大衆の嗜好に合うよう整形手術を施した
うえで提供する。それはテレビも同じで、
私はニュースキャスターなど有害無益なものだと思っている。
現場で取材した記者が書いた原稿をアナウンサーが読み、
視聴者(新聞の場合は読者)が判断を下せばよい。
それが出来ないほど大衆はバカではない。」

「・・・他社の記者が北京を追放されたのに
自分ひとりだけ残留させてもらったようなとき、
その記者はひたすら真理を犠牲にして『社の利益』に奉仕する。
文化革命のときが好例である。新聞の紙面に出ている
記事がみなホントだと思って読んでいる読者は、いいツラの皮だ。」

文化大革命の際に、残留させてもらったのは、いったい、
日本のどこの新聞社だったのか?うん。それは忘れても、
「国際機関を信仰するような戦後の病は」
「克服する必要がある」。

とはいえ。29年前の徳岡孝夫氏のセリフを、
さいごに、あらためて、引用させてください。

「視聴者(新聞の場合は読者)が判断を下せばよい。
それが出来ないほど大衆はバカではない。」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北京大河ドラマ(武漢篇)。

2020-04-06 | 産経新聞
新華網が1月22日に掲載した見出しは
『Wuhan virus(武漢ウイルス)』と記されていた。

「記事は、湖北省武漢市で開催予定だった
女子サッカーの五輪予選会場が『武漢ウイルス』
流行のため南京に移されるとの報道だった』

『その後も共産党の機関紙、人民日報系の環境時報が、
複数回にわたってこの俗称を使っていた・・・・

それが、いまになって、中国当局が
『武漢ウイルス』と聞いて怒りのポーズをとるのは、
北京が政策を大転換したからに他ならない。
自己都合の豹変(ひょうへん)は兵家の常である。』

『不都合な真実を隠そうとするのは、全体主義の本性なのだ。
いらだちの矛先はまずメディアに向かった。米3紙の記者追放』


以上は、産経新聞4月3日「湯浅博の世界読解」からです。
湯浅氏による中国の大河ドラマは、ここからの豹変を記載します。

3月にはいってから新華社が4日に
『世界は中国に感謝すべきだ』として、珍妙な論説を流し始めた。
・・・・・・さらに論説は・・・報復として医薬品の対米輸出を禁止し、
【米国をコロナウイルスの荒海に投げ込む】と恫喝した。
さすがに、共産党は脅しの語彙が豊富である。

確かに、米国の医薬品はどっぷりと中国に依存しており、
・・・・中国は抗生物資、鎮痛剤など世界の医薬品有効成分の
40%を生産しており、米国は抗生物資の80%を中国から輸入している。

論説は結論として、中国が世界に
ウイルスと闘うための貴重な時間を与えたのだから、
【米国は中国に謝罪し、世界は中国に感謝する必要がある】
と倒錯した論理を用いる。・・・
詫びるどころか恩に着せる。』

北京の大河ドラマ。その物語はここから展開します。

「物語の最初のページは3月10日、習主席の武漢視察から始まる。
視察が近づく頃から、感染者の発表数が減っていく。・・・

いわば、
第1段階のウイルス【隠蔽の敗者】から
第2段階の【制圧の勝者】への転換工作である。

実はこれより前、ウイルス対応で国内批判を浴びていた
習主席は、中国を【中傷する者たち】を攻撃するよう
当局者に指示していたことが、やがて明らかになる。
その中には、当然、米国も入る。

トランプ米大統領が【中国ウイルス】と言い、
ポンぺオ国務長官が【武漢ウイルス】と呼ぶと、

共産党政治局員の楊潔篪(ようけつち)氏が
【中国に汚名を着せようとしている】と怒り、

外務省の耿爽(こうそう)報道官が
【強烈な怒り】を繰り返す。

趙立堅(ちょうりつけん)報道官が根拠のない
米軍によるウイルス漏洩の陰謀論を吹かしたのも、
この流れの中にある。

これにより、国内の習批判派に対しては
【中国の敵を助ける裏切り者】と退ける構図ができた。

自由主義のような失政の透明化は苦手でも、
全体主義には初動の失敗を偽装する
新しい物語をつくるのはお手のモノだ。」

はい。本文を読んでいただきたいのですが、
産経新聞を購読されている方は、これが読める。
産経新聞を購読されない方は、これが読めない。
せめて読めない方々に、紹介がてら引用しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自国を卑下せず、強がりもいわず。

2020-04-05 | 産経新聞
産経新聞を購読してますが、
こういう御時世は、もう一紙。
読売新聞を購読することに。
はい。4月だけ2紙購読です。

うん。新聞も慣れないと読みづらい(笑)。
でも、4月4日読売に連載「五郎ワールド」を読めた。
うん。読めてよかった。
ここでは、芳賀徹氏の死去をとりあげておりました。
平川祐弘氏の小冊子に載った追悼文からの引用がある。
その追悼文の引用を、あらためて再録すると、

「俳人蕪村、蘭学者玄白、画家由一などに温かい光をあて、
きめ細かく論じました。自国を卑下せず、強がりもいわず、
仏米からも韓国中国からも古今の日本からも
良いものをとりいれ己れの宝としました。

手紙に限らず、丁寧に推敲された芳賀の文章は
言語芸術として香り高い。絶品です。しかし
徹という人間はさらに高雅でした。私どもは
君の如き優れた人を友とし得たことを
生涯の幸福に数えます。」

こう橋本五郎さんは追悼文から引用されております。
さてっと、この日の連載は、どう締めくくっておられたか。

「私(橋本五郎)が芳賀さんに最も心惹かれるのは、
師竹山道雄に対する憧れと畏敬と感謝の気持ちです。」

こうして今度は、芳賀徹氏が悼む師への言葉を引用して
おられました。

「竹山先生は『高貴な行動的知識人の一人であった。・・
〈連帯〉を好まぬ、孤高を辞さぬ精神的行動派だった。』

『時流を恐れるな、時流から隠遁するな、
 時流を見つめよ、しかし時流に惑わされるな、
 時流をこえて人間と世界を思え、
 そのために歴史を学べ、古典に触れよ』。」

こう引用されたあと、橋本さんは最後に

「それはそのまま芳賀さんや平川さんが師から与えられた
精神的遺産として実践し続けているように思われるのです。」

2紙をとれば、嬉しいことあり。
4月3日産経新聞の正論欄には平川祐弘氏の文。
うん。その文の最後を引用しておきます。


「イタリア文学の名著は『神曲』を別格として
『デカメロン』と『いいなづけ』だが、強制された
隔離は古典の読書で過すにかぎる。
・・・・・・・
疫病は個人の運命ばかりか国の運命も左右する。
・・・・・・・
北京は、非難が習近平政権でなく米国に向くよう
反米感情を煽る世論操作に出たらしい。これには
さすがに呆れた人も中国内にいて
『不要瞼(プヤオリエン)』(恥知らず)とネットに出た。
武漢の骨つぼの数は発表された死者の数より何倍も多い。
コロナ禍との戦いは、民主的自由国家と強権的専制国家と
の戦いの一環に化しつつあるようだ。」

産経新聞4月4日の「田村秀男の経済正解」は
こうはじまっておりました。

「地球は新型コロナウイルス・ショックに覆われ、
すべてが逆さまに見える『鏡の国のアリス』の世界と化した。

パンデミック(世界的大流行)の中心は
発生源の中国ではなく、欧米となった。
全体主義国家の中国はウイルスをまき散らした元凶ではなく、
ウイルス感染対策に悲鳴を上げる各国に医療支援する
救世主のように振る舞う。

そこで設問。中国はコロナショックに乗じて
さらに膨張を遂げるのか。
拙論の答えは『ありうる』である。
 ・・・・・・・・
グローバリゼーションの下、カネは体制を問わず、
より高い利益が見込まれる国・地域に瞬時に流れる。
グローバル金融危機は対応に手間取る民主主義よりも
全体主義に有利に働く。」

はい。こうしてはじまる文でした。
うん。新聞は毎日読まないのですが、
読むのなら今ですよね。
一方に読んでますますわからなくなる新聞があり、
そういう新聞に、惑わされないよう注意を怠らず。
うん。こういう混乱時にはテレビが害になる場合も
あるのだと御自身で発想の転換をしてみる(笑)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事件現場は、国際舞台。

2020-04-01 | 産経新聞
一面コラム産経抄(4月1日)のさいごは、

「案の定テドロス氏は、中国をかばい続け、
対策は常に後手に回った。そんなWHOの勧告に
従ってきた国々と、独自の道を歩んだ台湾との間で、
見事に明暗が分かれたというわけだ。」

この産経抄では、
三井美奈さんの雑誌記事を紹介しておりました。
さっそく8頁の、三井さんのその文を読んでみる。
とりあえず、私が気になった箇所のみ引用。

「2017年、ニューヨークの国連本部で開かれた
先住民の人権セミナーで、世界ウイグル会議の
ドルクン・エイサ総裁が突然、会場から追い出された。
指示したのは、呉紅波・国連事務次長だ。呉氏は
いきさつを後に、中国のCCTVのインタビューで
得意げに話した。・・・・・CCTVで、国際公務員としての
『心構え』を語っている。

『国際公務員は国の指図を受けてはいけないことになっているが、
それぞれ国籍がある。中国人の外交官たる者は国益がかかっているとき、
それを断じて守らねばならない』。
・・・国連憲章は国際公務員の『中立性の義務』を定めている。
『こんなものはお構いなし』と公言するのだから、あきれる・・・。」

インターポール(国際刑事警察機構=ICPO)の総裁は
当時中国出身の孟宏偉氏で、連携して、エイサ氏を
「インターポールに指名手配されている人物だ」。

その呉氏の、その後までも、書いてくれております。

「習政権が、国際公務員をどう考えているか。
インターポールの孟総裁の運命に垣間見ることができる。
彼は2018年、帰国後に突然逮捕され、今年1月に収賄罪で
懲役13年6月の禁固刑判決を受けた。
 ・・・・・・・・・
欧州外交筋は、突然の失脚について
『エイサ総裁の国際指名手配の解除を止められず、
習氏の逆鱗に触れたことも一因ではないか』とみている。

エイサ氏は1990年代、中国の要請でインターポールの
国際手配リストに載った。人権団体は、『政治目的の不当手配』
と抗議し、18年2月までに国際手配が解除された。
この時、中国の外務省は『彼はテロリストだ』として、
強い不満を表明した。
国際機関のトップをいきなり捕らえ、
理由も明示せずに辞めさせる。
その手法に、中国の国際公務員には、
身の毛がよだつ思いだっただろう。・・・・」
(~p131.「正論」5月号より)

「かつて日本は中国以上に、国連トップに
多くの人材を送り出し、評価を得てきた。
国連難民高等弁務官の緒方貞子氏は『現場主義』で、
人道援助のあり方を変えた。国連事務次長だった
明石康氏は、カンボジアや旧ユーゴ問題に取り組み、
国際原子力機構(IAEA)事務局長の天野之弥氏は
『核の番人』として、在任中に死亡した。ユネスコでは
松浦晃一郎・事務局長が無形文化遺産条約を実現し、
アジア、アフリカの文化に光を当てた。
彼らの共通点は、国際公務員の中立性を
強く守ろうとする点だ。
『国連中心主義』という理想を体現しようと動く。

・・・ただし、現実の国連は国益がぶつかり合う場でもある。
中国は人事を露骨に使うことで、国連の弱点を示したといえる。」
(p133)

三井美奈氏の文は、テドロス氏への指摘からはじまり、
日本人の国際機関トップについての指摘でおわります。
その最後の箇所も引用。

「日本の政治家で・・・国連外交の荒波に飛び込もうという
政治家はいない。国連ジュネーブ本部では、副大臣や政務次官
がスピーチするが、緊張しながら官僚の作文を棒読みしている
のがありありで、高校の英語の授業のよう。
語学の得手不得手ではない。『場慣れ』していない。

そうこうするうちに国際機関は、中国がすることに
ことごとくお墨付きを与えていく。
『WHOはけしからん』と嘆くだけではすまない。
深刻な事態が国際舞台で起きている。」(p133)

はい。今日のコラム産経抄からの指摘で、
雑誌「正論」5月号の8頁を読んでみました。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事実を報じないウイルス。

2020-03-29 | 産経新聞
産経新聞の日曜日は、連載コラム「新聞に喝!」。
数名が持ち回りでの署名コラム。3月29日は門田隆将。

うん。せっかくですから、引用することに

「新聞は『事実』は報じなくてもいいのである。」

はい。『良薬は口に苦(にが)し』。
ふたつの例を示しておりました。
両方引用したいのはやまやまですが、
ここでは、2つ目を引用してみます。

「自殺した近畿財務局職員の妻が当時の
財務省佐川宣寿(のぶひさ)局長と国を提訴し、
夫の手記を週刊文春に発表したことに・・・」

ここでの朝日・毎日新聞の印象操作に触れながら、
事実を、産経新聞紙上に記すのでした。

「佐川氏が自ら犯した答弁ミスを糊塗しようとしたことや、
当の改ざん前の財務省文書には鴻池祥肇(よしただ)氏、
平沼糾夫氏、鳩山邦夫氏といった政治家から財務省への
働きかけ有様(ありさま)がしっかり記述されており、
財務省では『鴻池案件』と呼ばれていたことなど、
肝心なことには一切触れず、あたかも
『安倍首相の関与』があるかのように印象操作するのである。
ここでも新聞は事実とは『関係がない』のだ。
自分たちの使命は『印象操作である』と考えている
としか思えない。・・・・」


武漢新型ウイルスの自民党内部の対応に関しての、
『事実』は報じられないのだろうけれど、
それでも、東日本大震災の際の民主党とは違い、
いまは、安倍晋三首相が差配しておられる。
うん。そう思えば、混乱のさ中であっても、
曙光がさすような安心感が湧いてくる。

はい。そう思うのは私だけでしょうか。

朝日・毎日新聞もそうなのですが、
それにしても、事実を率先解明しようとしないばかりか、
数値報道さえも、まずは疑ってかからなければならない、
慎重を強いられる、武漢コロナウイルスの中国報道です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和3年度の歴史教科書。

2020-03-26 | 産経新聞
昨日の産経新聞(3月25日)の一面は
「教科書に『従軍慰安婦』復活」という見出し。
つぎに、こうありました。

「文部科学省は24日、令和3年度から中学校で使われる
教科書の検定結果を公表した。合格した社会科の歴史教科書では、
平成16年度検定以降は使われなくなっていた『従軍慰安婦』の呼称が
復活。先の大戦で日本軍が『沖縄を「捨て石」にする作戦だった』などの
記述もあり、一部の自虐色が強まる傾向がみられた。」

以降には「つくる会など4点不合格」として書かれておりました。

さてっと、今日の産経新聞(3月26日)一面コラム産経抄。
そのはじまりから引用。

「何度も書いてきたことだが、
『従軍慰安婦』は戦後の造語である。
慰安婦が従軍記者のように、直接軍の管理下に
あったかのような誤解を与えてきた。
このいかがわしい呼称が、中学校の歴史教科書で
使われるようになったのは、平成9年からだ。
  ・・・・・・
教科書の記述の偏りに危機感を強めていた言論人は、
『新しい歴史教科書をつくる会』を発足させた。
自民党の若手議員も立ち上がった。
『歴史教育のあるべき姿は、自身が生まれた郷土と国家に、
その文化と歴史に、共感と健全な自負を持てるということだ』。
その一人だった安倍晋三首相の発言である。

平成16年度の検定以降は使われなくなっていた
『従軍慰安婦』が、令和3年度の教科書で復活する。・・
一方で、『つくる会』が執筆する教科書は不合格となった。
一体、何が起こっているのか。・・・・・・」

はい。新聞をよくは読まないのですが、
今日の産経新聞は、ついつい拾い読み。
まずは、一面の見出し。
「都、週末の外出自粛要請」

「感染拡大を続ける新型コロナウイルスをめぐり、
東京都は25日、新たに41人の感染が確認されたと
明らかにした。感染者の急増を受け・・・・
平日はできるだけ自宅で仕事を行い、
夜間も外出を控えるように求めた。・・・」

「阿比留瑠比の極言御免」は、
加戸守行前愛媛県知事の訃報に触れて、

「加戸氏といえば県知事としての体験を通し、
学校法人加計学園の獣医学部新設計画を
めぐって認可手続きの正当性を訴え、
次のような論陣を張ったことが印象深い。

『日本獣医師会に一切メスを入れないというのは、
不思議な国会だ。徹底的な「悪」は、既得権益を死守
するために獣医学部の新設をつぶしてきた獣医師会
なのだが』

このあとに阿比留さんはつづけます。

「・・・記事によると加戸氏は昭和57年、
マスコミが一斉に文部省が教科書検定で
日本の『侵略』を『進出』に書き換えさせたと
大誤報した『教科書誤報事件』(産経新聞は訂正)の
際の官房総務課長だった。

加戸氏はマスコミ各社に
『こんな誤報を流してあなた方は恥ずかしくないんですか!』
と迫ったが、記者たちは産経新聞を除いて
口を拭って間違いを正そうとはしなかったという。
その結果・・・・・・・」

うん。今日の産経新聞は月刊Hanadaの全面広告。
その広告の左側見出しは「詭弁、逆ギレ玉川徹は何様だ」
その脇にこうありました。
「当て推量で、口から出まかせ、事実に基づかない
政府批判を繰り返すテレビ朝日社員の大罪!」。

うん。月刊誌が間違いのルーツを探っております。
新聞は隅から隅まで読まない私ですが、オピニオン欄の
西岡力氏の正論欄の文章も読めてよかったです。

あなたは、どんな記事を読みますか。
今日の産経新聞は読みどころ満載。
こういう、コラム・連載・オピニオンを
読めることのしあわせ感があります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミラノ。17世紀の混乱。

2020-03-24 | 産経新聞
3月24日産経新聞一面。
右見出しは、「五輪延期 首相が容認」。
そのわきに、「IOC『4週間内に結論』」。

さてっと、一面コラム「産経抄」は
21日悪性リンパ腫で93歳で亡くなった
宮城まり子さんをとりあげておりました。
うん。コラムのはじまりだけ引用(笑)。

「男女間の性の深淵を描き続けた作家、
吉行淳之介さんの全集(新潮社)の最終巻に、
人生のパートナーだった女優の宮城まり子さん
に送った13通の手紙が収録されている。」

うん。これだけじゃ、コラムの魅力を伝えられないなあ。
宮城さんが肢体不自由児療養施設『ねむの木学園』を
設立する際、吉行さんに相談すると

「『3つの約束が守れるなら』とOKが出た。
『愚痴はこぼさない、お金がないと言わない、途中でやめない』
静岡県掛川市にある学園が今年創立52年を迎える。・・・」

はい。産経新聞今日の一面紹介は、ここまで。

気になっていたのが、産経新聞3月19日の文化欄でした。
そこに「コロナ渦中 古典に学ぶ」とありました。

ミラノのボルタ高校の校長は2月下旬、公式サイトで
イタリア文学『いいなづけ』を紹介しているというのでした。
作家アレックサンドロ・マンゾーニ(1785~1873年)が
書いたこの小説には、17世紀のペストの流行に伴い
社会が不安に襲われる様子も描かれ、現代に通じる
描写や教訓が多いと話題に・・・・

ボルダ高校の校長のサイトでの言葉が引用されてます。

「外国人を危険だと思い込むこと、
感染源の(執拗な)捜索、専門家の軽視、
根拠のない噂話、必需品の買いあさり・・・。
(同作に記された)17世紀の混乱は、
まるで今日の新聞のページから飛び出したようだ」。

はい。この本は平川祐弘氏が訳されておりました。
以前、平川祐弘氏の本を、勢いで翻訳本も買っておりました。
それでもって、本棚を探すとある。
厚さ5センチの一冊本が安かった。
古本は、当時函入1000円+送料300円。
2013年に買ったまま本棚に眠っておりました。
とにかく、手元にあった。ある以上は、
紹介しなさいと言われているみたいです(笑)。

題名「いいなづけ」。副題に「17世紀ミラーノの物語」。
目次のあとに、当時の北イタリアの地図と1頁の説明。
その説明の後半を引用してみると

「1629年9月、ドイツ軍はスイスのグリゾン地方から
ヴァルテイㇽリーナを通過、コーリコからミラーノ侯爵領に侵入
・・・・
1629年10月、このドイツ軍南下の直後、ペストがその道筋に
沿って発生し、翌1630年の初めにかけて事態は緩慢に悪化、
5月になって爆発的にひろがる。・・・

なお・・・マンゾーニの国葬にちなんでヴェルディが作曲した
鎮魂曲が有名な『レクイエム』である。」

はい。これは小説なので、私は読みませんが、
幸いなことに、目次には全38章ごとに簡単な説明が
付してあるので、ペストの箇所は簡単に探せました。
目次の31章にはこうあります。
「ペスト。その原因、当初の論争。
ペストをひろめるといわれた『塗屋』。」
以下の数章にわたって、ペストが中心となります。
わたしが案内するのは、この第31章だけ(笑)。
はい。31章のはじまりを引用。

「ドイツ軍の侵入とともにミラーノ領に侵入するのではないか
と衛生局が警戒していたペストは、実際、はいって来た。
 ・・・・・・・
なおここでミラーノ領とはいうもののもっぱらミラーノ市のみを
指している。というのも当時の記録はもっぱら市中のことだけを
記しているからである。理由は善かれ悪しかれさまざまあるが、
こうした事はどこの国でも、いつの時代でも起こりがちなことである。

さてここでの話の狙いは、有体(ありてい)にいえば、ただ単に
われらの作中人物が落ちこんだ事態を描くことにあるのではない。
登場人物の運命についても書くけれども、それとともに限られた
本書の紙面内と筆者の能力内で、有名な割にはその実体が
まだよく知られていないミラーノの郷土の歴史の一齣を
世に知らせたいと思うのである。」

「さて同時代の数多(あまた)の記録を検討してみると、
どれか一つの記録だけでそれで当時の様子が
首尾一貫して明確にわかるというものではない。
しかしどの記録にしても当時の歴史を再構成する上で
なにがしかの貢献をしないものはない。
 ・・・・・・・・・
ところで後代の人士でそうした一連の記録類を吟味照合し、
あのペストの歴史について、事件を追って整然たる通史を
書こうと試みた人はいなかったようである。」

こうして、筆者が以下に、通史を書いてゆくのでした。

はい。これから具体例に分け行ってゆくのですが、
ここまで(笑)。まことに興味深いのですけれど、
「続き希望」が多ければ、そのときあらためて、
当時のミラノのペストを書きこみしたいと思います。
あとは、このブログを読んで下さる方へと一任(笑)。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする