寒いと、暑い時の草取りのことが思い浮かぶ。
はい。へそ曲がりです。
庄野潤三著「ザボンの花」がなかなか読めない。
こういう際は、印象的な箇所を引用するに限る。
第七章は、奥さんの千枝さんの箇所。
そこに、草取りについてが書かれておりました。
そこを、引用しておきます。
「・・庭の草がまた大分のびて来た。ついこの間
抜いたばかりのように思うのに、もうこんなに生えている。
千枝は、庭の草とりというのは、好きではない。
むかしからそうだ。これは根気のいる仕事だ。
一回草とりをやるのに、大決心を要する。
いざやり出すと、千枝はそれに熱中して、
夕方おそくまでかかって全部片づけてしまう。
そして、草とりを終ったあとは、とても気持がよく、
いかにもよく働いたという感じがする。
しかし、やり出すまでがなかなかのことなのだ。
根までうまく抜けてくれるのなら、草とりも面白いけれど、
細い草の根が案外堅くて、ちょっとやそっと力を入れても
抜けず、葉だけ取れてしまう。
それはまるで、人生のことが
なかなかうまい具合に運ばないのと、よく似ている。
そして、焦ったり、腹を立てると、ますますうまくゆかなくなるのだ。
・・・
・・・千枝は空想するのだ。・・・
そんなことを思うものだから、草とりを始めるまでが大変なのだ。
千枝は、そろそろ草を抜かないといけないと思い出してから、
一週間くらいぐずぐずしている。 」
こうして草取りをはじめようと、庭にでてから、
第七章『こわい顔』の本題がはじまるのでした。
その前の第六章は父親(主人公)の様子でした。