海北友松の『寒山拾得図屏風』をながめていたら、
寒山拾得をあらためて知りたくなり、古本を注文。
以前に久須本文雄著「寒山拾得(下)」講談社・昭和60年が
古本で安かったので買ってありました。そこに載る数篇の
詩を読んだことがあったので、あらためて久須本文雄氏の
本を注文してみることにしました。
今は上下を合わせた座右版「寒山拾得」(講談社・1995年)が
古本で買えるので注文し、それが届きました。
いったい、寒山拾得とはどんな人なのか?
最初に、解題とあり、寒山拾得の説明があり有難い。
ということで、そこから気になる箇所をピックアップ。
・・・天台山の近くの寒巌に隠棲していて、時々そこから
天台の国清禅寺に赴く。寺には拾得という食堂係がいたが、
寒山が来ると残飯などを入れた竹筒を彼に与えていた。・・・
この座右版には、最初に東京国立博物館蔵の『寒山拾得図』の
白黒写真が載せてありました。
はい。髪がボサボサで粗末な服装で、
右上方を見て二人して笑っています。
拾得かな、一人箒をかかえています。
寒山詩集については、序があり、そこから引用しておきます。
「 国清寺の僧・・に寒山・拾得らの言行を調べさせたところ、
竹・木・石・壁などに書きつけた詩や、
村里の人家の壁にも書き散らしたものおよそ三百余首、
および拾得が土地堂の上に書いた偈などがあったので、
これらを取り集めて一巻となした。 」(p24)
とりあえず、最初の方の詩をパラリとひらき、
一ヶ所引用しておきます。現代語訳で
五 吾が心秋月に似たり
自分の心は、秋の夜空に輝く明月が、澄みきったみどりの
深い淵の底までも、清くすき通って光り輝いているのに似ている。
この清明な心に比べることのできるものは他に何もない。
それで、どう説明したらよいのかその言葉もない。
吾心似秋月 碧潭清皎潔
無物堪比倫 教我如何説 ( p52 )
はい。物理学者の寒月君のことが思い浮かびました。