『諸君!』の最終号は2009年6月号でした。
ちなみに、
小林秀雄 ( 1902~1983 )
白洲次郎 ( 1902~1985 )
田中美知太郎 ( 1902~1985 )
清水幾太郎 ( 1907~1988 )
福田恆存 ( 1912~1994 )
林健太郎 ( 1913~2004 )
山本夏彦 ( 1915~2002 )
山本七平 ( 1921~1991 )
三島由紀夫 ( 1925~1970 )
江藤淳 ( 1932~1999 )
高坂正堯 ( 1934~1996 )
以上は、『諸君!』最終号では、もういらっしゃらない方々でした。
そこで、最終号では思想家列伝『輝ける論壇の巨星たち』と題して、
その人となりの紹介文を、一人一人別の方々が書いております。
さて、「『諸君!』と私」ですが、
曽野綾子さんの次からのお名前を列挙しておきます。
深田祐介・屋山太郎・金美齢・佐瀬昌盛・山崎正和・平沼赳夫
渡辺利夫・立花隆・黒田勝弘・長谷川三千子・山内昌行・鹿島茂
関川夏央・阿川尚之・東谷暁・井上章一・荒木和博とあり
このあとに、石破茂の名前がありました。
石破茂・坪内祐三・福岡伸一・佐藤優・福田和也・櫻田淳と
続いておりました。
うん。ここは、石破茂(当時・農林水産大臣)の文のはじまりを
引用しておくことに。
「 『諸君!』が創刊された昭和44年、私は鳥取の中学1年生であった。
当時鳥取県知事であった父が、夕食時、母に向かって
『 「諸君!」にフクタコウゾンがこう書いているが、
あれはなかなか面白いぞ 』
と言っていたのが記憶の残っている。
雑誌と言えば『少年サンデー』か『少年マガジン』しか知らなかった
私には、『諸君!』が保守論壇誌の名前であることも、
フクタコウゾンが高名な戯曲家であることも、知る由もなかった。
やがて中学3年になった頃、父は何を思ったのか
『 まあ、これを読んでみろ 』と言って
私に一冊の『諸君!』を手渡した。・・・ 」(p187)
ここには、以下の引用はカット。ここには、
父が、漫画好きの息子に『 まあ、これを読んでみろ 』といって
『諸君』を手渡したしていたことがわかるのでした。
ちなみに、『諸君』と『諸君!』との違いを正確に指摘していたのは
長谷川三千子さんでした。そちらも引用。
「 40年前、はじめて『諸君』
( そのときはまだ『!』は付いてゐなかつた )
を読んだときの衝撃は忘れられない。
それまで、雑誌などといふものは、
ただ何となく時間をつぶすためにあるもので、
雑誌を読んで膝をうつて『 そうだ! その通り! 』
と叫びたくなることなどありえないと思つてゐた。
ところが、実際、そういふことがおこつたのである。
東大紛争の片がついてまだ半年しか経つてゐなかつた頃である。
世の中の新聞も雑誌も、全共闘は『 純粋 』で『 根源的 』だ
といふ思ひ込みに首までどつぷりとつかつてゐた時代である。
さういふ記事を読むたびに、連中と延べ何十時間も討論して
彼らの思考停止ぶりをイヤといふほど知つてゐる私は、
『 ウソをつけ! 』と心中ののしりつつ、
腹にすゑかねる思ひをしてゐた。それを見事に覆してくれたのが、
『 諸君 』第4号に載つてゐた
『 東大覆面教官団のアングラ論文集 』であつた。・・・
ハツキリと、しかもエスプリの効いた文章で語つてくれてゐる――
大袈裟でなしに、紛争以来ずつと心の内にわだかまつてゐた
孤独な憤激をいやされる思ひであつた。・・・・ 」(p178)
この長谷川三千子さんの文の最後も引用させてください。
「 すぐに手軽に共感を得られるやうなネットの
『 オピニオン 』言論が盛んになればなるほど、
他方で、本当によく練り上げた、力のある文章を
世に問ふ場の必要性といふものは、かへつて増すのではあるまいか。
少くとも私は、これからも変らず、
さういふ文書を目指しつづけたいと思つてゐる。 」(p179)
たしか、私はこの文を読んでいたのに、長谷川三千子氏の
本を読んでいない。フクタコウゾンと呼ばれようと、
福田恆存(ふくだつねあり)と呼ばれようと、こちらも読んでいない。
これから、パラパラでも読めますように。
ということで、今回の『諸君!』最終号再読はここまで。