和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ことば。

2010-03-20 | 詩歌
外山滋比古著「『マイナス』のプラス」(講談社)を、めくっていると、
あれこれと思うのでした。
これ、この人のエッセイを読んでいると、落語家の噺を思いうかべます。
同じ題目の落語を聴いているのに、楽しめる。
毎回同じテーマを取り上げていても、違った味わいを楽しめるのでした。

さてっと。
たとえば、「ことばづかい」という短文。
「・・・工場で実習しているアメリカ人が同僚の日本人技術者に向かって、『○○はないか』と日本語できく。きかれた方は、黙って姿を消す。どうしたんだろう、と思っていると、○○をもってあらわれた日本人は、『これ』と言って差し出す。アメリカ人は喜ばない。どうして、ものを言わないのか。・・・
アメリカ人はことばをことばで処理するコミュニケーションを考えているのに、日本人はことばを心理的に受けとめるからこうした行き違いが生じる。日本人は、『あるか』ときかれて、『ないよ』と答えるのはあまりにもそっけないから、気を利かせて、ことばには出さずに、反応するのが親切だと思っている。・・・・」(p102~104)


私事。ときに自分の家で、他の方と会話をしているとき、会話のなかで、つい思い浮かぶ本があると、私は黙って本棚へとむかっていることがあります。お目当ての本が、あれば、すぐに帰ってくるわけですが、それが見つからないと、黙って手ぶらで相手の前にかえってくる。何ともおかしなことをしているときがあります(笑)。
自分では、なんだかブログに書き込みをしている時のような、何気ないしぐさなのですが、こりゃ、どうみても可笑しいですね。

たとえば、この外山氏の本に「なしのつぶて」という題の8㌻ほどの文があります。
そうすると、私は、そういえば「梨のつぶて 丸谷才一文芸評論集」という題の本があったなあと、腰をあげたりします。そういえば、その丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」(朝日新聞社・あとで文庫もあり)を思いうかべるような記述が、この外山氏の本にもでてきました。というので、「挨拶はたいへんだ」を本棚に捜してみたりするのでした。

さてっと、外山氏の文「なしのつぶて」には、こんな箇所がありました。

「・・・世の中になしのつぶては降るようにある。どれもこれも怠け心、だらしなさ、ひとりよがりによるものであるとは限らない。いやな返事を書くにしのびなくて、心を鬼にして、返事をしない、――そういうなしのつぶても、ひょっとすると、あるかもしれない。いずれにしても、なしのつぶては、重い意味をもっていることには変わりがない。
『なしのつぶて=梨の礫』は辞書によるとこうである。
『音沙汰のないこと。音信のないこと。投げた礫(つぶて)はかえらないところから、「梨」を「無し」にかけて語呂を合わせていう。(後略)』(日本国語辞典) 」(p129)


さてっと、外山氏のこの本に歌人が登場するのでした。
ちょいと、そこを詳しく引用。


「ある元セールスマン(うん。外山氏の本を読んでいると、これが曲者で、案外に本人だったりする時があるのです)、退職して読書三昧の暮らしをしている。歴史ものを好み、伝記や自伝を愛読する。
その彼が言う。自伝はすぐれたものがすくなくないから読み出したところで品定めをして失敗をさけるようにしている、と。読み出して早々のところで自画自賛調が出てきたら、その本をすてる。最後まで付き合うのは時間の浪費になる。いろいろな人に接する仕事を通して、人を見る目を養ってきたのであろう。のっけから手柄話をするような人にろくな自伝は書けない、ときめている。
この人がかねて心を寄せていたAという歌人がいる。何十年来、その歌に注目してきた。先年、日本経済新聞の『私の履歴書』に登場したから喜んで読み始めた。1ヵ月連載の自叙伝風の読みもので、ほかの新聞にない呼びものである。この元セールスマンは、その第一回目の文章で、『私がこんにちあるのは、このおかげである』という文章に出会(でくわ)して愕然とし、これはいけない、と思って読み進むと、もっとはっきりした自賛のことばが出てくる。それで、見切りをつけて、あとは見なかった。
短歌でもしようと思えば自慢の歌ができないことはないが、すこし歌歴のある人ならそんな愚は犯さない。ところが散文になると、自制の気持がゆるんで、つい甘くなって、のろけを書いてしまったのであろう。やはり人間としての苦労が足りない。」(p142~144)

さて、ここを読んで、私は丸谷才一著「挨拶はたいへんだ」をとりに行ったのでした。『私がこんにちあるのは、このおかげである』という言葉が気になったわけです。丸谷さんの本にはあとに、井上ひさし氏との対談が掲載されていて、そこに、こんな箇所がありました。

丸谷】 ・・・詩人たちの会というのは長いよねえ。
井上】普段、短く書いているからでしょう(笑)。
丸谷】高見順賞のパーティなんて長い。それから、受賞者の挨拶というので、だれそれに感謝します。だれそれに感謝しますっていうのを、はじめから終りまでしゃべる人がいるでしょう。二十人も三十人もに対して感謝する。それで終りなのね。
井上】ハハハハハ。
丸谷】感謝される対象と感謝する人との共同体だけの問題ですよね。
・・・その場にいる人間の共同体は、どっかに置き去りにされてるわけです。
・・・・・
井上】いっそ徹底したらおもしろんですが。・・・・
だれか若い人で、この本を研究して、挨拶の芝居を書いたらいいな。くだらないやつとか、素晴らしいやつをいくつも並べてやったらきっとおもしろいはずです。


さてっと。
この井上・丸谷対談に
丸谷】あ、そうですか。なるほど、弔辞は伝記なんだ。
という箇所がありました。

そういえば、と本棚に鶴見俊輔著「らんだむ・りいだあ」(潮出版社)をとりに行きます。
そのはじまりが忘れ難いのでした。
ということで、最後は、その引用でしめくくります。


「京都の岩倉から大阪の箕面まで、ずいぶんある。早く出たつもりだったが、葬式ははじまっており、私よりさらにおくれて、年輩の女の人がついた。その人は待たれていたらしく、お寺の門の前に立っていた人にだきかかえられるようにして、本堂に入っていった。お寺の庭はいっぱいだったが、私にとっては知り人はいなかった。やがて拡声器から、詩を読む声が流れてきた。せきこんだような、つっかけをはいて先をいそいで歩いてゆくような速さで、

   いつかあの世であったら
   あなたも私も、女の詩人として
   せいいっぱいのことをしたのだと
   肩をたたきあってわらいたい

私のおぼえているままを記すと、そういうふうにつづいた。それは、私がそれまでにきいたことのない詩の読まれかたで、私の心をみたした。港野喜代子さんの葬儀だった。・・・」
コメント
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