和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読めていなかったのだろう。

2022-05-09 | 本棚並べ
外山滋比古さんは、たしか寺田寅彦を読んでいたはず。そう思い、
記述を引用しようと外山滋比古著「少年記」(展望社)をひらく。

すぐに見つかりました。
うん。ゆっくりと引用してゆきます。

「小学校六年間、学校の教科書以外、本と言うものを手にしたことがない。」
                         ( p179 )

「中学校へ入ったら、図書室というのがあった。
 ずらっと並んでいる本を見て荘厳な気持ちになった。
 借りてきた本をすこしづつ読んだが、
 まるで頭に残っていない。読めていなかったのだろう。

 二年生になって間もなく、日曜日の朝、校庭の隅の花の鉢に
 水をやるのが寄宿舎生の仕事だったから、その当番で、
 花に水をやっていると、宿直の物理の先生が来られて、
 
 これはキミが読んでいる本か、と言ってぼくがもってきて
 棚に置いてあった『漱石全集』の一冊をさされた。
 『そうです』と言うと、
 『キミにはまだ早い』と言われた。

 その通りで、まるで、わからなかったのである。
 この先生のことばはその後、ずっと忘れたことがない。

 三年生になって、国語の時間に、教科書にのっていた
 寺田寅彦(吉村冬彦)の『科学者とあたま』という文章を読んだ。
 つよい衝撃をうける。まったく知らなかった世界へ入ったような気がした。
 これまで、ものを読んで、こういう気持ちになったことがない。
 ・・・・まことにたくみな比喩を使って、この問題を解きあかして見せる。
 ・・・・・・・・

 学校の図書館にも、寅彦の本はなかったから、
 ほかのものも読んでみたいという気持ちは、三年後、
 東京の学生になって、寮の図書室にあった、当時出たばかりの
 『寺田寅彦全集文学篇』にめぐり会うまではみたすことができなかった。

 全集を隅から隅まで、味読した。
 わが知的世界は寅彦によってまず、いと口ができた。・・・  」
                      ( ~p183 )

はい。外山滋比古の『隅から隅まで、味読した』というなかには
寺田寅彦の俳諧関連の文章もあったのだろうなあ、きっと。
そして、先生になってから尾形仂氏と俳諧の話をすることになるとは。


それにしても、漱石全集をひらく中学二年生に
『キミにはまだ早い』と言ってくれた先生がいたとは。
うん。わたしには言ってくれる先生はいなかった
( 私の場合は、高校生で三部作を結局分からず読んだ )。

でも、不思議なめぐりあわせがあったとして、
今の高校生ぐらいに『キミにはまだ早い』と、
言うチャンスならあるかもしれない。なんて、
あるかないかわからない場面に思いを馳せる。

ちなみに、こうしてあらかじめ思い描いて
おくことを、俳諧では孕み句と言うらしい。
コメント (4)
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