月刊「Hanada」11月号が今日届く。
目次をめくると、そこに流言蜚語の言葉がある。
そこを引用
「 韓国では、言論統制のあった時代には
噂話や各種ニセ情報がしょっちゅう流された。
これは『 流言蜚語(りゅうげんひご)通信 』、
さらに短縮して『 流蜚通信(ユビトンシン) 』と呼ばれた。
もちろん、なかには本当の情報も隠されていた。 」
( p208 重村智計「朝鮮半島通信」 )
せっかくひらいたので、重村氏の文の最後の方も少し引用。
「 韓国には、自民党総裁選が、日本の政治と民主主義において
どのような意味があるのかを、きちんと説明できる専門家や
ジャーナリストがいないのが現実だ。韓国の世論は
『 反日 』を叫べば満足し、学者や新聞記者たちは
そんな世論に阿(おもね)っている。日本の現実とリアルを、
韓国民に説明する勇気がない。・・ 」(p211)
あらてめて、清水幾太郎著「流言蜚語」の本文の最後を引用。
「 ――だがこれだけは言っておかねばならぬ。
言語への軽蔑の支配するところは、却って
流言蜚語の発生と成長とに有利な風土を持つ
といふことである。 」
それから、おもむろに雑誌の最後にある平川祐弘氏の連載をひらくと
第29回の題は「『源氏物語』の歌とウェイリ―の英訳(上)」とある。
うん。ここには、そのはじまりを引用しておくことに。
「私は老年の愉しみに『源氏物語』を荻窪の「よみうりカルチャー」で
通読してきた。まず原文を音読する。
物語をしっかり掴んでいる人が音読すると
もうそれだけで内容がおのずと伝わる。
ついでウェイリ―の英訳を読み上げると、
するとその箇所の全体像がはっきりしてくる・・・ 」(p314)
はい。ここから平川氏のお話がはじまるのでした。
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