安野光雅対談「ロジックの詩人たち」(平凡社・1982年)
を古本で手にする。うん。手にしてよかった。
15人の対談相手に、一人一人の人物を語りあっております。
といっても、私が読んだのは、2つの対談。
伏見康治氏との対談の題は『寺田寅彦』
吉田直哉氏との対談の題は『柳田国男』
はい。これだけで私は満腹。
腹ごなしにこの対談を紹介。
うん。まずは吉田直哉氏との対談からいきましょう。
その最後の箇所でした。
安野】 私はね、柳田国男の世界は、ジグソーパズルだと思う
ことがあるんです。柳田国男はジグソーパズルの破片を見て、
これは森の部分、これは空の部分と
非常に直感的に看破する天分をもっている。
・・・・・・
その破片が森なのかどうか、実際にはめてみないと
わからないところがありますね。
自分ではある程度の集合を作っておいて、あとは
宿題だよって柳田国男から問題をだされた感じがする。
吉田】 柳田国男という人は『偉大なる問いかけ』をばらまいた人
だったと思います。そして、こっちが答を出すと、さらに
上回った問いかけがまた置かれている。
『あれ、いけねえ』、と思うような問いかけがまた置いてある。
こんな偉大でいやな人はいないと思いますね。まさに
『良い問いは答よりも重要だ』という言葉どおりです。
安野】 柳田国男を評して『偉大なる未完成』といった人がいるけれども、
やる気がある人間から見れば、『偉大なる問いかけ』なんですね。
( p76~77 )
う~ん。「やる気がある人間」じゃないと見えてこないことがある。
と、私なりに自己診断するばかり。
うん。つぎに伏見康治氏との対談なのですが、
引用したいことがありすぎるときは、削って、
まあ、意味不明瞭でもすこしだけ引用します。
伏見】私が大学で寺田(寅彦)教授の講義を聞いたころ、
東京大学新聞に、菅井準一という科学評論家が
寺田物理学を批判した文章がのったんです。それは、
『寺田物理学は小屋掛け学問である』というしんらつな批判だった。
つまり、ちゃんとした建築ではない、要するに小屋掛けにすぎないと。
着想はおもしろいけれど、着想だけに終わっていて、
少しも深く掘り下げていないということなんです。
安野】 私は寅彦ほどの着想なら着想だけでもいいと思いますね。
・・・・・・・・
伏見】 そうでしょ。寺田物理学というのは日本の生んだ
一つの大きな『動き』だと思うんです。
科学についての彼の考え方は、精密な数値的な決定より先に、
自然界の現象が現象として『在る』ということを確立する
ことであるということなんです。だから
『在る』ということを確立するために必要な、
質的な『思いつき』をとても大切にしたわけです。
( p43 )
はい。これは対談の破片なのですが、
横着にもこれだけでよしと終ります。
対談『ロジックの詩人たち』はよい、
なんてまだ2人の対談しか読んでない。