和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

安野さんはせっかちである。

2022-05-12 | 本棚並べ
古本で、別冊太陽「安野光雅の世界1974~2001」を買う。
うん。エッセイなど安野さんの文は、私には読めません。
それに比べ、安野光雅さんの対談は印象に残っています。

河合隼雄・安野光雅対談「生きることはすごいこと」(講談社・1998年)
がたしかあったなあと、本棚をさがす。

この対談のはじまりに河合隼雄さんの
「硬直した『常識』を少しほぐしたい」という4ページの文がり、
さっそく、そこから引用することに。

「対談は、している者は楽しいし、読むほうもそこからいろいろ
 自分自身の考えを発展させていかれるわけであるが、やはり、

 どうしても問題を突きつめて論理的に追及していくという形にはならない。
 このために欧米では、ほとんど書物として出版されることはない形式である 
 (インタビューというのはある)。したがって、

 日本人の対談好みということが、ものごとをあいまいなままで
 すませる日本人の特徴を反映するものとして、批判の的(まと)
 になったりすることもある。

 この対談のゲラを読みなおしていて、
 安野さんのいろいろな提言を受けながら、やはり
 追究の糸が途中でゆるんでいるようなところがあるのを見つける。

 これを考えて書きはじめると、
 一冊の本になってしまうと思ったりする。・・・  」(p3~4)

もどって、別冊太陽「安野光雅の世界・・」をひらくと、
はじまりの6~7㌻に池内紀の「せっかち考 安野光雅的世界」。
そのはじまりを引用したくなる。

「安野さんはせっかちである。ひところ何人かと
 いっしょに編集の仕事をしたことがあるが、
 いつもまっ先に安野さんが来て、テーブルの
 隅に所在なげにすわっていた。

 『やあやあ、どうも』
  顔をあわせたとたん、安野さんが言った。
 『だからさ、あすこはよしましょうよ』

 こちらはキョトンとしていた。いったい、
 何がどうで、どこをよそうというのであるか?

 しばらくして事が判明した。
 前のときのもどり道に立ち寄ったレストランは
 扱いが悪いから、今回はよそうというのだ。

 いの一番にやってきて、じっと待っているあいだに、
 安野さんの頭の中ではすでに仕事そのものが終了して、
 はやくも帰りの寄り道にさしかかっていたらしい。

 実際、安野さんは食べる段でもせっかちである。
 すわったとたんにおはしを取って、すでに食べる体勢に入っている。
 注文の料理は魔法のようにはあらわれない。・・・・」(p6)

安野さんの絵は『せっかち』というキーワードで
見直せば、あらためてひらける世界がありそうで、
そうした感じに、私に思えてくるから不思議です。

そうして別冊太陽をパラパラめくっていると、
安野さんが装丁した本のカバーも並んでいる。
そこには、安野光雅対談『ロジックの詩人たち』が
ありました。対談相手は表紙カバーに表記されてる。

大岡信・伏見康治・吉田直哉・森毅・谷川健一・
樺山紘一・板倉聖宣・鶴見和子・水上勉・なだいなだ・
日高敏隆・長谷川堯・澤地久枝・前田愛・井上ひさし。

対談相手は以上の15名。そうして、
伏見康治対談の題は「寺田寅彦」。
うん。さっそく古本注文しました。
次回その古本話になると思います。
コメント
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