和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

山野博史の視線。

2006-11-27 | Weblog
山野博史著「人恋しくて本好きに」(五月書房)は、
私の個人的興味が強いので、普通にはお薦めはしません
(何のことはない、私にしてから理解が及ばない箇所が多いのでした)。
それとは別に面白い目次なので、せめて目次だけでも引用。

○ どんなにしんどくても読みたい本はある
○ 司馬さん、もう書誌を作ってもいいですか
○ こんな休日が最高
○ いざ見参、谷沢書誌学の宝庫
○ 古本屋を知るまで
○ いしいひさいちさん

さて、谷沢永一と山野博史の関係で興味深いのは、

「紙つぶて」誕生秘話   p201~205

なのです。これは
谷沢永一著「私はこうして本を書いてきた 執筆論」(東洋経済新報社)に
「我が友山野博史は・・・」p108 という箇所とも呼応しております。

それでは、山野博史さんの人となりは、どうなのか?
ということで谷沢永一対談集「人たらし」(バンガード社)の
山野博史さんとの対談「司馬遼太郎の大いなる遺産」(p76~ )
から他ならぬ山野氏のプロフィール。

谷沢さんがこう紹介します。
「山野さんは京都大学法学部で、猪木正道、大学院で高坂正堯両教授のお弟子でした。
 京大の前は天王寺高校ですから、浪速っ子ですね。専攻は日本政治史、
特に近代日本政治思想史ですが、修士論文は柳田国男がテーマ・・・・」
「山野さんは柳田国男とか三宅雪嶺とかを政治思想史の研究対象にしておられたのですが、
そのうち政治思想とは関係なさそうな司馬さんの熱狂的なファンにおなりになる。・・・」

うん。柳田国男から司馬遼太郎へと、何げなく補助線をひくようにつながっていました。

ところで、この対談は魅力なんですよ。ほかにも引用したい箇所があります。
山野さんの言葉
「仕事の中で書評はほとんどしていませんが、仮に書評家だったら、司馬さんは厳しかったでしょうね。本を読みこなすことにかけては、ある種の名人でした。・・・へたくそな熟読家でもない。だけどパッと真価を見抜く。『こんなのも読んではったのか』とうなることが度々ありました。『あれはつまらんかったなあ』と言われるので、『なぜ読む値打ちがあったのですか』と尋ねると、すくい取ってくるところは的中している。見事なものでした。」

こうして山野さんはつづけるのでした。

「『司馬遼太郎の読んだ本は何か』というリストを想像するのです。作品の中に引用されているのはリストアップ出来ます。会ってお話した時に聞いた本はみなメモしておいてあります。『司馬さんが関心を持った本』という意味で、私には興味があるのです。読書でも、世俗的権威をいっさい介在させない人でしたね。どんな出版社から出ていようが、だれが書いていようが問題でない。その本が面白いかどうかでした。」

誰か名編集者がですね。山野博史編「司馬遼太郎が何げなく薦める読書リスト」なんて企画を新書でしていただけないでしょうか? と思わず無いものねだりをしたくなります。
また、こんな箇所も感銘深いのでした。

「私の学生時代は大学紛争の頃でしてね。・・・・『なんでいまごろ司馬遼太郎なんて言うとるんや』という感じで、まだ三島由紀夫と言っているほうが恰好がよかった。三島の自衛隊での割腹事件の翌日、毎日新聞に、司馬さんは『薄よごれた模倣をおそれる』という意味のことを書きましたが、司馬さんの位置が分かりにくいという声がまわりには多かったですね。声を上げて、『私はここにいるぞ』と一遍も言ったことがない人ですから。・・谷沢先生にお近づきを得た時、司馬遼太郎を愛読されていることを知って、自分の筋目は間違っていないんだと自信を得、それが今に繋がっています。・・・」


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