和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ドナルド・キーンと司馬さん。

2006-11-29 | Weblog
本を読んでいて、時々、この本は、あとで読み直そうとか、あとで丁寧に読んでみようとか、そう思うことがあります。けれど、結局はそう思うだけで、たいてい、私は再読しないわけです。そして、そういう本にかぎって、すっかり忘れてしまっているのに、何か大事だという印象だけが残っているのでした。

たとえば、司馬遼太郎&ドナルド・キーン著「日本人と日本文化」(中公新書)は、私にとってそういうたぐいの本なのです。こんどあらためて読んでみたいと思ったのですが、ここでひとつ、読む前に、興味を持ったその筋道を書いておきたいと思ったのです。困ったことに、天邪鬼(あまのじゃく)な私は、読もうと思っただけで、そのままに読まないことが、たびたびなのでした。そして、しばらくすると、なぜ再読したかったのか、ということを忘れていたりするのでした。
これじゃ下手な笑い話の材料にもなりません。

とにかくも、再読を思いたった経緯(いきさつ)を記録しておこうと思ったのです。

谷沢永一・渡部昇一著「人生後半に読むべき本」(PHP研究所)
そのp216に谷沢さんが語っておりました。
「蔵書の楽しみということについても考えてみましょうか。
ただ、これはなんといっても、その方の性格によります。私は本を蓄えるほうでした。
しかし開高健は、読んだらすぐに捨てていく性質(たち)でした。彼にとって本は食い物だったからです。食べてしまったら、もういらない。それは、その人の性格や置かれている境遇など、いろいろ条件に左右される。
司馬遼太郎は、とびっきり思い切りのいい人でした。自分の後を追跡されたくないので、全部処分してしまって、足跡をくらましてしまう(笑)。戦国物が済んだら、その資料はポイというわけです。そして司馬さんは、自分に関係ないものは一切もう交渉しない。」

ここからつづく箇所が、今回重要なのです。こうあります。

「極端なことをいえば、能、狂言、歌舞伎、文楽などは見たことないのではと想像したくなるくらい、関係ないものは関係ないというスタンスを取る。・・・」

ここで谷沢さんの指摘は、「能、狂言、歌舞伎、文楽などは見たことないのではと想像したくなる・・」と司馬遼太郎の人となりを語っているのでした。
ほかならない、その司馬さんがドナルド・キーン氏と対談しているのです。
お二人は「日本人と日本文化」という対談の後にも
「世界のなかの日本」という対談本を出しておりまして、
その対談の最後に「懐しさ」と題して司馬さんが書いているなかに
キーンさんの言葉として引用しているのが
「私は日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、連歌、俳句、新体詩でもなく、謡曲だと思っている。謡曲は、日本語の機能を存分に発揮した詩である。・・・」という箇所でした。
司馬さんによると、これはドナルド・キーン著「日本文学のなかへ」(文藝春秋)にある言葉だとあります。さっそく古本屋に注文して取り寄せてみました。するとこれがとても素晴らし本なのです。何よりも文章がよい。内容はといえば、キーンさんの、かけがえのない体験なので、取替えの効かない貴重なもの。それを徳岡孝夫氏が文章にしております。そのいきさつは「あとがき」に詳しい。残念、ここでは寄り道していると脇道へそれるのでここまで。
もとにもどって、
キーンさんに謡曲を講義した角田先生に触れた箇所(p51)
「教えられる側から言っても、角田先生のような広い教養の持主に習ったのは、非常によかった。たとえば『松風』を、謡曲専門の学者に学ぶよりは、はるかに面白かった。いまの若い学者は、きっとそのような方法を、時代おくれときめつけるだろうが、勉強のしかたがいまの人とは全然違ったのである。
ただテキストの文章が印刷してあるだけの友朋堂文庫を開いて、私たちは苦労したが、角田先生にとってはそれが他愛もなく読めた。先生は、注釈のついた古典文学の本に、むしろ全然関心がなかった。・・・何時間かけて調べても、どうしてもわからない表現がある。やむをえず先生に教えを乞うと、『きみ、こうだよ』と、笑いながら説明してくれた。・・・・」
「コトバの部分はともかく、地の文はおよそ人間が考えうる最高の複雑な文章になっている。縁語、懸詞(かけことば)は言うまでもなく、引用句でありながら本歌とはかなり意味が違っていたり、穿鑿(せんさく)していけばきりのない文学が『松風』である。だが、角田先生にかかると、それがすらすらだった。」(p53)

「そのときに習った『松風』には、思い出がある。第一次世界大戦が終ってから、角田先生はヨーロッパ旅行をしたことがあった。各地の大学を回ったが、折りからハンブルグ大学では有名な日本学者フローレンツが『松風』を講じていた。そのことが、おそらく先生の念頭にあったのだろう。それまでは一度も教えたことがなかったと思うが、私たちに謡曲の講義を求められた先生は『松風をやりましょう』と快諾し、ことのついでに『卒塔婆小町』まで読んでしまった。先生に習ってから十五年たって、私も同じコロンビア大学の教壇で『松風』を教えるようになった。・・・」(p55)

こと学問としては、「謡曲」は日本よりも西洋の方が学問としての評価が進んでいるような気がしますネ。あるべき詩としての位置づけが定まっているように思われます。それがキーンさんの「日本の詩歌で最高のものは」という発言につながってくるのでしょう。ちなみに日本の現代詩人に、現代詩などより『松風』を評価するといったら、今現在どなたが耳をかすでしょう。それよりも、何よりも身近に賛同者を探すのに無駄足をどれほど踏むのでしょうか。ここはひとつ、狐さんがつけた「けもの道」の目印を辿りたくなるのでした。
ちなみに細かい指摘ですが、山村修著『花のほかには松ばかり 謡曲を読む愉しみ』(檜書店)の山村さんが「いつも手近においているのは・・・有朋堂文庫の『謡曲集』。上下二冊で二百曲あまりを収録しています。新書ほどの判型がハンディーで、濃紺の装丁もすっきりと風合がよろしく、なにより活字が美しい。」(p28)
とあります。どうやら、キーンさんと同じ本のテキストで山村修さんも謡曲を読んでいたようです。

夏目漱石は、謡曲を唸っておりました。
司馬遼太郎は、どうやらそれは未経験だったような気がしますね。
ドナルド・キーンさんは、実際にそれを稽古しておりますね。
さて、その未経験者と経験者と、お二人の対談をあらてめて読みたいと思ったわけです。
それにしても、ドナルド・キーン著「日本文学のなかへ」を読めてよかった。

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