和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

京都らしい知性。

2021-03-30 | 京都
杉本秀太郎氏が、気になるので、
入江敦彦著「読む京都」(本の雑誌社)を
あらためてひらく。この本には、巻末に索引があり
重宝します。関連の場所を読み直す。

「本書には幾人もの嵯峨を京とも思わぬ(笑)
ケシからん京都人が登場するが、
やはり特別に印象的なのはフランス文学者の杉本秀太郎と
国立民俗博物館顧問だった梅棹忠夫だろう。
このふたりに今西錦司を加えた三人をわたしは
《京都らしい知性》・・を備えた智力御三家と呼びたい。
・・・・
杉本秀太郎の名著『新編 洛中生息』(ちくま文庫)・・・」
(p194~195)

「京都の言葉は大きく四種類ある。
 公家が起源の【御所言葉】。
 芸妓さん舞妓さんでお馴染み【花街(かがい)言葉】。
 職工たちが交わした【西陣言葉】。
 商人たちの【室町言葉】。

杉本ら室町言葉を話す京都人が、
西陣言葉の梅棹の言葉遣いが京都語をリプレゼント
するものとして記録されたと知ったら、
そりゃあ反駁もしたくなろう。

室町のほうが上品で、それこそフランス語的な
なめらかな美しさのある京言葉だけれど、
ストーリーを読むのであればリズミカルで表現力に富んだ
英語的な西陣のほうが向いているだろうとわたしは考えるが。
ちょっとラップに近いのだ。

そのせいか文章も杉本より梅棹のほうが、ずっと読みやすい。
平易だからではない。言葉を綴るときに音を意識しているからだろう。
彼は86年に失明しており、学術系でない本はそれ以降に書かれている
ものが多数だから、そのせいもあろう。

杉本の『洛中生息』に相当する梅棹の著作が
『京都の精神』と『梅棹忠夫の京都案内』(ともに角川ソフィア文庫)
だろうか。前者は66年と70年に催された講演をまとめたものなので
書籍としては後者のほうがまとまりがある。しかし案内といいなが
内容は彼の第一言語である民族学的な京都人へのアプローチだったりする。

・・・・・・・後者の白眉は、それこそ京言葉についての省察。
たとえば京都人が誰に向かっても、それが年下や身内、ときには
敵や犬猫にさえ敬語表現を使うのは無階層的、市民対等意識という
基本原則があるからではないかとする推測には感動した。

ああ、この都市の言葉はそんなふうに考えていけばいいのか
という指針にもなった。

・・・三人目の今西錦司。
・・・やはりここは今西でなければならぬ。
なぜならば京都語が森羅万象に敬語で接するように、
彼にはいわば学問対等意識めいた感覚があったからだ。
命題を探る手段として今西錦司という知性は
自然科学にも社会科学にも人文科学にも均等に接することができた。
学問の世界でかくも京都人的であれたのは、すんごいことである。」
(~p199)

読み返して、あらためて知ったのは
京都の智力御三家のはじまりが、杉本秀太郎氏だったこと。

そうそう『京都夢幻記』も紹介されていたのでした。

「『京都ぎらい』のなかで井上(章一)は京大建築科ゼミ生だったころ
調査に訪れた彼の住まい、重要文化財杉本家住宅での会話を紹介している。

『君、どこの子や』と訊かれ、嵯峨だと答えたところ、
それは懐かしいと感想が返ってきたという。
『昔、あのあたりにいるお百姓さんが、
 うちへよう肥(こえ)をくみにきてくれたんや』と。

これがイケズかどうかは断言できないけれど、
充分にイケズになり得る言い回しではある。
しかし同時にすべての京言葉はイケズになり得るのだ。
晩年の『京都夢幻記』などを繙くと、
イケズの達人だったのは明白だ。・・・」(p195)

はい。入江敦彦によるイケズ入門テキストに、
杉本秀太郎氏の本が、登場していたのでした。
うん。京都らしい知性の3人を視野にいれて、
京都への思いを馳せてゆくことにいたします。


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