茨木のり子の詩「わたしが一番きれいだったとき」。
その終りの方を引用してみることに。
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
この詩を、西原大輔さんはこう指摘しているのでした。
「戦中の愛国主義にも、戦後の自由放逸にも
満足できない詩人は、第三の道を模索する。
それこそが、もう若くはない茨木のり子が
ルオーから学んだことだった。深い精神性を
湛えた作品を最晩年に生み出したこの画家のように、
詩人は『長生き』し、美しい詩を残そうと決心した。
最終行の控え目な『ね』は、
決意表明の気恥ずかしさを打ち消す効果を生んでいる。
1953年東京国立博物館開催のルオー展が、詩の背景となっている。」
( p99 西原大輔『日本名詩選3 昭和戦後篇」笠間書院・2015年 )
うん。私は茨木のり子の詩を、どのように読めばよいのか迷っておりました。
詩「わたしが一番きれいだったとき」は、つかまえどころがわからなかった。
何だか、西原さんの言葉で、やっと尻尾を見つけたようなそんな気がします。
ありがとうございます。
私は
この詩を
女優の日色ともゑさんの朗読で知りました。
だから
す~っと 心に入ってきました。
母と同じ世代の作者が
青春時代を戦争に踏みにじられた無念な想いが
伝わってきたように思えました。
コメントありがとうございます。
日色ともゑさんの朗読ですか。
うん。活字を目で追うよりも
スーッと入って来るのでしょうね。
それにしても、朗読では最後の『ね』
をどのように、語ったのだろうなあ。