土屋文明著「読売歌壇秀作選」(読売新聞社・昭和62年)という本。
この本の最後には「短歌八十年」という聞き書きが載っておりました。
「 読売歌壇の選歌評には、年齢のあじわいがあり、
九十六年の健康をささえているものは 」という質問があります。
うん。検索すると、土屋文明は生れは群馬県(今の高崎市)。
1890年~1990年(平成2年)。
たいへんな高齢で長く歌壇選評をしていたのだなあ。
せっかく、ひらいたので、本文から一箇所だけ引用。
降りしきる雪のごとくにわが心君を思へば清くはかなし
茨城県 郡司珠希
この一首に寄せた土屋文明の選評は
「 これはまた、ひどく古典の一首だ。
調子の乱れもなく一貫してまとまっている。
ただし、いつも、この様な調子ですませては
進歩というものは無くなってしまう。 」( p59 昭和59年より )
また、インタビューの箇所にもどると、こんな質問がありました。
「 土屋さんは読売新聞朝刊の歌壇欄と地方紙一紙の選評を担当している。
一般的に、俳句の応募数は短歌の二倍といわれるが、
読売新聞の場合の土屋さんあての応募はがきの数は、
俳句への応募数とほぼ同じである 」 ( p234 )
これへの答えを、最後に引用しておきます。
「 いつも新しい人、新しい人と思いながら選をしますが、
どうしても幾人かの人に偏りがちになります。
どこか力が違うもんでネ。
でも、なるべく新しい人を見いだすことに、
新聞の歌壇欄の意義があると思います。・・・・
歌の読み方にもいろいろありますが
はがきはしまいまで全部読みますよ。・・・・
いまのところ、二段式にしていまして、
初めに目にとまったものだけを別にして置いて、
それを何日か日をあけて二回読みしてから選評にとりかかります。
・・読売の選歌は昭和二十二、三年ごろからやっていると思います。 」
はい。こういう新聞の歌壇俳壇というのは、
なかなか本になりにくい。古新聞を切り抜いていると、
なんだか、歌壇俳壇の歴史の流れを味わえているような感じになります。
ここに、言葉が息づいているというような。
ということで、まだ整理されていない古新聞があるわけです。
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