映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

本「映画評論家への逆襲」 荒井晴彦

2021-06-07 20:32:45 | 
先週末書店で面白そうな本を見つけた。「映画評論家への逆襲」である。SNSで誰でも評論家になれる時代に、荒井晴彦や白石和彌をはじめとした脚本家、映画監督4人が、世間の評価に異議をとなえるトークショーの内容が収められている。

個人的には受け入れられない発言もあったりするが、おもしろく読めた。「映画芸術」の主宰でもある脚本家の荒井晴彦には個人的に一目置いている。ただ、彼の独演会だとどうしても偏る。確かに他の3人を含めたトークショーという形式がいいかもしれない。他のメンバーの出来が悪い発言が続くと、どうしても荒井晴彦の発言が一味違って引き立って見える。


取り扱うのは、70年代の傑作深作欣二監督「仁義なき戦い」から入って、昨年のアカデミー賞「パラサイト」を始めとしたポン・ジュノ作品、今回のメンバーの親分格若松孝二監督に絡んだ話、イーストウッドへのそれぞれの思い入れ、キネマ旬報でトップで、映画芸術のワーストである「スパイの妻」の評価など盛り沢山である。

井上、森というのが中心になって話をして荒井晴彦が口を挟む展開だ。特に井上はうっとうしい発言も多い。井上の「ウイキペディアをみると」という言い方に知性のなさを感じる。集合知は大事だが、そもそもの引用元の内容が間違っていることもある。蓮實重彦に関する荒井晴彦とのやりとりを見ても皮相的なのが見え見えで、反体制政治にこだわる低次元の男だ。

個人的に好きな作品も多い白石和彌監督「仁義なき戦い」を自作と照らし合わせて語る序盤戦は切れ味良いトークだが、途中から失速気味だ。74年生まれだけに、昭和現役でない分、ベテラン勢に対等になれない。妙にかっこつけた発言で荒井晴彦にバカにされる。いい映画作るけどね。

⒈荒井晴彦
このブログでも荒井晴彦脚本である火口のふたり遠雷のアクセスがたえず上位で、内田裕也主演「嗚呼!おんなたち 猥歌も同様だ。いずれも軽いエロチックな要素がある映画だ。荒井晴彦の脚本作品幼な子われらに生まれがよかったので、監督だった三島有紀子の次作2つとも観たが、さほどいいとは思えなかった。そうか、やっぱり荒井晴彦ならではの脚本のおかげなんだなとその時思ったもんだ。長く映画界にいただけあり、今の日本映画では一段上の存在だ。


映画芸術ベストテンでは、ワーストテン作選択であえてキネマ旬報の逆をとることも多い。かぶらないようにしている気配もある。荒井晴彦はあまのじゃくの部分があるのかもしれない。ただ、昨年では37セカンズ」「空に住むなど「映画芸術」と「キネマ旬報」の両方でベストテンに入っている作品には外れはない。それだけを追ってもいい作品に出会える。

荒井晴彦の発言を2つだけピックアップする。

*パラサイトに対しては

格差社会っていうのはまず家族が崩壊するんだよ。あんな一致団結した家族ってありえないよ。かなり前の階級社会っていうかな。貧乏人チーム、もう家族じゃなくてチームなわけだよ。で、結束してパラサイトしていく。そこがもう嘘なわけなんだよ。ソン・ガンホのお父さんはチームリーダーなんだけど、それがおかしいよね。家族がバランバランになっていて、お父さんなんか何の権威もないぜというのが現実だと思うけど。そこだけ旧態依然とした家族像で話を作っているところが非常にご都合主義的だと思うんだけどな(映画評論家への逆襲 荒井晴彦他 p48)

なるほど、下流社会でドロップアウトしている奴は家庭崩壊が進んでいることが多い。教育もまともに受けていない奴も多い。確かにそうだなとは思う。でも、在日コリアンにありがちだけど、貧乏人の連帯感みたいな部分もある気もする。そのときは家族の連帯感も強い。
ある程度同意はしてもこの映画やっぱりおもしろい。

*吉永小百合の「キューポラのある街」については

吉永さんの代表作は『キューポラのある街』(62年、浦山桐郎監督)でしょう。『キューポラのある街』は完結編を作るべきで、吉永さんというか石黒ジュンは脱北者に謝らなければいけないと思うんだよ。『続・キューポラのある街 未成年』(65年、野村孝監督)で北朝鮮に帰った方がいいって言って、行きたくないお婆さんを説得しているんだからさ。やっぱり映画の責任ってあると思うんだ。(同 p196)

実は、このトークショー比較的左巻きの人が多いけど、左派右派いずれもこれには実に同感とうなずくであろう、よくぞ言ったという感じだ。


この映画を吉永小百合と浜田光夫の純愛と思っている人はかなり多い。実は主に語られているのは今よりも数段上の格差社会だった時代の北朝鮮帰還事業での在日の悲哀と高校に行きたくてもいけない吉永小百合の悲しい物語だ。

自分が左翼人を胡散臭いと思っているのも1970年代まで左巻きの人は北朝鮮大絶賛で、1966年になっても日本共産党は政府が帰国事業を遅らせていると主張していた。ここで帰国を説得する映画を作ったことに対して反省がない人が多いということ。でも、いまだ現役女優の吉永小百合を担ぎ出してこの続編を作るのはさすがに不可能でしょう。いくら何でもサユリストが怒る。

⒉「スパイの妻」と「罪の声」への批判
キネマ旬報トップのスパイの妻を映画芸術ではワーストにして露骨に批判している中で、自分も「スパイの妻」はいい映画には見えない。自分もブログ記事で意味不明であることを言及したが、当然の如くこのトークショーでも語られる。

俺(荒井晴彦)は歴史モノ時代モノは山田風太郎の明治モノのように「実」をベースにして「虚」を作らないとダメだと、「虚」の上に「虚」を重ねたら、ただのウソ話にしかならないと言った。小林多喜二の虐殺や「ゾルゲ事件」のように特高は甘くない。東出昌大の憲兵は高橋一生や蒼井優をすぐ釈放している。尾崎秀実やゾルゲは特高が逮捕している。大体、スパイ容疑なら特高が出てくるのでは、とか人体実験の映像を誰が撮ったのかとか、首をひねるとこが多いから。(同 p229)

あと、森が「満州で何があったかの描写が安易で、妻が突然夫の行動を支持する理由がわからない」としている。同感である。蓮實重彦の指摘通り、憲兵が坊主でないとかの時代考証を含めて難が多い。ピントがちょっとズレていても面白ければいいが、そうでもないなあ。海外の賞受賞でみんな評価点が上がった。


罪の声日本アカデミー賞脚本賞にもたくさんツッコミが入っている。そもそも日本アカデミー賞自体に対する疑問も多い。どちらかというと、原作もあるので、脚本賞というより脚色のような気もする。ブログで自分がおもったことを荒井晴彦も指摘している。

いい加減なのは星野源が脅迫電話の声が自分だということを35年間憶えていなかったということ。子供の声はテレビでも流れたし、自分がテレビ見なくても友達が見て、あれ、お前の声では、と気がつく可能性を排除している。「ラジカセの録音スイッチを押す真由美。幼い俊也、指示を読み上げる。」。全部ひらがなで書いてあっても7歳じゃスラスラ読めない。何度もやり直したのだろう。それに何これと訊いたに違いない。それを忘れるだろうか。モノによっては憶えていることにするのだろう。(同 p277)



そうなんだよね。この映画の脚本には突っ込むところ多数である。白石和彌が、日本アカデミー賞の脚本賞となっている作品の中では脚本はもっともまともな方と言って、荒井晴彦から一喝される。でも、そうはいうものの、この映画昔懐かしというような俳優さんも大勢出演していて個人的には面白かったです。

意見が合わない部分も多々あれど、最近の映画を扱った新書の中では一読の価値はある。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 14年目の雑感 | トップ | 映画「キャラクター」 菅田... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事