奈良井宿の大きな写真の下に小さな写真が3列あります。
その中段の中央の写真を良くご覧下さい。大宝寺の裏ある屋根のかかった小屋の写真です。中に安置されているのは首の無いマリア地蔵です。
地蔵さんの手には、明らかに十字架にみえる蓮の飾りを持ち、赤子が抱かれています。
後にイエス・キリストになる生まれたばかりの幼子です。
江戸時代初期、この地方のキリシタンが信仰の証として石工に彫らせたものでしょう。
禁教令とともに役人が石工に首を取らせ、頭部を砕き、さらに幼子の顔も砕き、奈良井川へ流したのでしょう。胴体の方は離れた裏山へ捨てました。300余年後の昭和になって胴体だけが藪の中から村人によって発見されました。
マリア地蔵を破壊させた役人も、石工もどんな気持ちだったのでしょう。この地方のキリシタンには棄教して命を永らえた人も居たことでしょう。棄教せずに役人に殺された人も居たでしょう。こんな木曽の奥にもキリスタンが居たのですね。驚きです。
キリシタンの弾圧も、棄教も、殉教も、人間の心の自由です。人間は自分が何をしているか分からないのです。とイエス様が言いました。残るのは木曽の山々の松風だけです。奈良井を訪ねた日は松風でなく春蝉の声が寂しく響いていました。殺した武士の声か、殺されたキリシタンの声かは判然としません。初夏の心地良い風が通りを吹き抜けて行きます。(終わり)