上の写真の出典は、「さきたま古墳群」
(埼玉(さきたま)古墳群 は県名発祥の地、行田市大字埼玉(<wbr></wbr>さきたま)にあり、5世紀の終わりから7世紀のはじめごろまでにつくられた9基の大型古墳が群集し、国の史跡に指定されています。)ーーーの記事の写真を引用させて頂きました。深く感謝の意を表します。 www.sakitama-muse.spec.ed.jp/<wbr></wbr>historic-site/tomb-site.html |
学校教育で古墳は大和朝廷が作ったもので大和地方にあると教わった。仁徳天皇の前方後円墳などを写真入りの教科書で習い、他の地方には前方後円墳は無いものと中年になるまで信じていた。ところが行田市の埼玉(さきたま)という地域に巨大な前方後円墳や円墳が9個も集中して残っているのを見て驚いた。さきたまの古墳時代に強大な王国の存在を想像できる。出土した、見事な細工の金属製馬具や装飾品の展示もある。5世紀終わりから7世紀はじめに作られた古墳と副葬品である。
その金属製の馬具や飾りを見てハッとした。1983年頃、韓国、慶州で見た古墳からの出土品とあまりにも似ているのではないか。素人の気安さで言えば、埼玉の古墳を作った人々は韓国、慶州から渡ってきたようだ。高麗という地名も埼玉南西部に現存する。
専門家の研究は詳細には知らない。ただ戦中、戦後の学校教育では万世一系の天皇をよく強調していた。そのせいか、埼玉にも巨大な前方後円墳のあることを習った憶えが無い。小生のみの勉強不足のせいかも知れないが、中年になるまで古墳は大和地方にしか無いと信じていた。理科系の受験で、日本史を選択しなかったせいもあると思う。
尚、古墳に関する調査結果やその検証と写真は「埼玉古墳群」と検索すると出てくる。(終わり)
撮影場所:埼玉県行田市大字埼玉(おおあざ さきたま)、撮影日時:6月7日午後1時頃、 撮影者:Mrs.藤山